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般若心経

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前回、うちにお坊さんが来て、お経をあげてくれたことを書いた。

その際、お経の中に「般若心経」と「真言」があったと書いた。

「真言」については前回書いたので、今回は「般若心経」について書く。

般若心経は、恐らく日本では一番有名なお経だ。

日本では法相宗、天台宗、真言宗、禅宗が般若心経を使っている。

世間一般で行なわれている写経では、そのほとんどが般若心経を移している。

総字数が300文字も無いので、ちょうどよいのだろう。

この般若心経を語る上で、外せないのが玄奘三蔵である。

あの「西遊記」で有名な三蔵法師だ。

もちろん、「西遊記」自体はフィクションであるが、

この中に出てくる三蔵法師こと玄奘三蔵は実在の人物だ。

サル、ブタ、カッパはいなかったが、彼は天竺、つまりインドへと旅した。

当時は国の政情が不安定だったため、禁を破りこっそりと密出国した。

TVドラマの「西遊記」ではのんびりとした旅だったが、

実際は人目を避けての旅だったと思われる。

インドにて仏教を学んだ彼は、645年、経典657部を長安に持ち帰った。

さて、この持ち帰った経典である。

TVドラマや絵本などでは、巻物の経典が描かれていることが多い。

なるほど、確かに経典といえば、巻物のイメージがある。

しかしこれは間違いだ。

この当時のインドには紙が無く、巻物の経典などあるはずが無い。

この頃のインドの経典は貝葉とよばれる、

ヤシの葉を加工したものに書かれていた。

そのため紙に書かれた経典よりもかさばり、それが657部の経典となると

かなりの大荷物になったと思われる。

この大荷物の中に「般若心経」はあった。

玄奘三蔵が持ち帰ったのは「大般若経」で、これは600巻以上あった。

早い話が、彼が持ち帰った経典のほぼ9割以上がこの「大般若経」だ。

「般若心経」はこの心髄を集約したものと言われ、テーマは「空」だ。

「大般若経」が480万字あるところから、300字そこそこに

集約しているわけだから、恐ろしい集約率だ。

玄奘三蔵は持ち帰った経典を、端から翻訳していった。

この恐ろしい物量を考えると、この翻訳作業は天竺への旅よりも

きつかったかもしれない。

つまり我々の良く知る「般若心経」は、我々の良く知る「西遊記」の

大旅行の果ての成果なのだ。

恐ろしい話がある。

当時の中国の経典翻訳は、訳し終わった原典の扱いがかなり雑で

バンバン処分していったらしい。

日本人の感覚では、まず考えられないことだ。

もっとも玄奘三蔵が、苦労して持ち帰った経典を

そんなに雑に扱ったのかはわからない。

長かった天竺への旅を思い出しながら、大切に保管していたと思いたい。

お経というのは、もともとはインドの言葉で書かれている

だから中国人が、それを自国語に訳しているというのは極めて当然であり、

むしろ日本のお経はどうして日本語に訳されていないのか、それが不思議だった。

そもそもありがたい教えというものは、その教えの内容が分からないと

根本的に意味がない。

意味の理解できないお経を、お坊さんの後ろで聞いているだけでは

退屈な音楽を聴いているのと変わらない。

キリスト教の聖書などは、しっかりと日本語に訳されている。

神の教えを広げる、というのであればそれが正しい、というか当たり前だろう。

どうして日本の僧侶達は、中国語のお経を日本語に訳さないのか?

前に仏教に詳しい人間に聞いてみたことがある。

彼によると、「和訳すると、微妙なニュアンスが伝わらないから」と言われた。

しかし今のままだと、微妙なニュアンスどころか、何も伝わらないと思うのだが。

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