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猟奇虐待事件

投稿日:

恐ろしい事件が続いている。

1月8日。
兵庫県姫路市で、内蔵を取り除かれたネコの死骸が見つかった。
警察によると、ネコの死骸は死後4〜5日ほど経過しており、
周辺には目立った血痕がないことから、どこかで切断され、
内蔵を取り除かれた後、棄てられたと見られているという。
姫路市内では先月、右後ろ足が切断されたネコの死骸が見つかったほか、
今年に入ってからも、頭部を切断されたハトの死骸が3件、
相次いで見つかっており、警察では同一犯の可能性もあると見て
調べを進めている。

今回の一連の事件は、いわゆる動物虐待事件というよりは、
動物惨殺事件といった方が、しっくりくる。
事件の概要を聞くと、その動物への残酷な行為ばかりに目がいくが、
それぞれの事件で「その死体が見つかっている」という点を考えれば、
そういう動物の惨殺死体を放置することによって、
いわゆる「悪目立ち」をしようというような魂胆も透けて見える。
さらにいえば、その行為によって付近の住民に
不気味さと恐怖感を与えようという目的もあるのだろう。
そういう意味合いからすれば、二重、三重の意味で
悪趣味極まりない犯罪であるといえる。

多くの一般の人たちは、こういう動物惨殺事件の報を聞くと、
残酷に殺された動物を哀れに思い、
かつ、それを行なった犯人の異常さに恐怖を覚えるだろう。
さらにいえば、この犯人への激しい怒りも覚えるはずである。
もちろん、自分もこの事件の被害者である動物たちや
残酷な犯人には同様の感情を覚えるのだが、
それと同時に、自分が何度かシカやイノシシを解体したことに思いが行く。

当たり前のことではあるが、シカやイノシシを解体するためには
それらの動物の命を奪わなければならない。
自分は狩猟免許を持っていないから、
直接シカやイノシシを殺したことは無いものの、
実際に罠にかかったシカにトドメを刺す現場には立ち会ったことがある。
つい今しがたまで、生きて動いていたシカが猟銃で撃たれ、
その命を落とす姿は、やはりそれなりにこたえるモノである。
命を落としたシカを解体し、食肉の形に持っていくには
血と内蔵を取り除き、皮を剥ぎ、手足(シカに手は無いが……)を
胴体から切り離さなければならない。
その際、首から先の頭の部分については解体も手間で、
それなりに技術も必要になってくるため、ほとんどの場合、
首から頭を切り離して、そのまま処分してしまうことになる。
……。
そう。
こういう風に言えば、色々思われるかも知れないが、
今回の動物惨殺事件で行なわれていることと、かなり似たようなことを、
自分たちもシカやイノシシの解体の過程で行なっているのである。

これを読んでいる人の中には、同じようなことをやっているのに
この犯人を非難するのか、という人もいるかも知れない。
もちろん、非難する。
断固として非難する。
むしろ、同じようなことをやっている(というよりは、この犯人のやっている
チャチで不愉快な解体モドキよりも、よっほどすごいことを
自分たちはその解体の中で行なっているという認識がある)からこそ、
余計にこの犯人に対する侮蔑と怒りの感情がわく。
自分は、まだまだ解体の技術においては素人に近い。
そんな自分が、毎回、必死になってシカやイノシシを解体しているのだ。
複雑に絡んだ肉や腱、強固な関節や骨の継ぎ目などに手を焼き、
それでも諦めずにゴリゴリ、ゴリゴリと解体していく。
大まかに解体し終わったからといって、それで終わりではない。
大きな肉塊をさらにバラし、掃除し、我々がスーパーの食肉売り場で見る
あの状態に近づけていくのだ。
それらは毎回毎回、ひたすら地味で手間のかかる膨大な作業だ。
時間もバカみたいにかかるし(これについては、自分の技術が未熟なため
というのも多分にあるのだが……)、体力、精神力もいる。
そんなひたすら手間のかかる作業をしていると、
シカなりイノシシなりといった、1つの生命の
手強さを感じずにはいられない。
その手強さを見せつけられると、
生命というものへの畏怖を感じてしまうのである。

そういう風に感じるのは、実際にシカやイノシシを
バラバラに解体しているからだろう?という人もいるかも知れない。
しかし、これは決して特別なことではない。
スーパーなどに流通している「肉」については、
目に見えぬだけで、その裏に全て、
自分たちが行なっているのと同じ解体が隠されている。
どこかの牧場で育てられた畜獣たちは、
やがて時期がくれば、どこかの施設で屠殺され、解体される。
全ての「肉」は、それらの最終的な形に過ぎない。
それらの「肉」を食べておいて、その元である屠殺・解体について
知らぬ顔をするというのは、さすがに無理がある。
もちろん、生命という見方をするのであれば、
「肉」のみならず「魚」や「野菜」「果物」についても
その大元の所において、やっているのは自分と同じことである。
すなわち、他者の生命を止めて、自らの糧としてこれを食らう。
その厳然とした事実がある以上、全ての人間は
動物を殺して解体している自分と、何ら変わらないということになる。
だからこそ、我々日本人は食事をとる際に、
そこに並んだ全ての命の残骸たちに対し
「頂きます」と手を合わせるのだろう。

冒頭で述べた動物惨殺事件は、昨年11月から続いていて、
現場近くの住民からは不安の声が上がっているという。
過去には、こういった動物惨殺事件が段々とエスカレートしていき、
やがてその標的が人間になったという事件も起こっている。
そういう事例を考えてみれば、今回の事件は
1つ間違えば、とんでもない凶悪事件の前兆とも言える。
(もっとも、現在起こっている事件自体が、
 そのとんでもない凶悪事件とも言えるが……)

是非とも、一刻も早く犯人を捕らえ、
残酷に命を弄んだ罪を思い知らせてやってもらいたい。

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