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雪男

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深田久弥という名前をご存知だろうか?

もしこの名前を知らなかったとしても、

「日本百名山」の名は、聞いたことがあると思う。

百の頂きに百の喜び。

そんなキャッチフレーズのもとに、日本国内のすばらしい山を100山、

紹介した本である。

最近の登山ブームでは、この「日本百名山」を制覇するのを目標にして

登山を続けている人も多い。

この「日本百名山」の作者こそが、深田久弥である。

深田久弥はもともと小説家であったが、その名を知らしめたのは

この「日本百名山」だ。

これを書いて以降は、小説よりも山に関する随筆、紀行文を書くことが

多くなる。

日本において、山の随筆、紀行文と言えば、

まず深田久弥の名前をあげなくてはならない。

深田久弥は山について、国内外を問わずに筆を執る。

その著作の中に、「深田久弥の山がたり」という随筆があり、

その第3巻はサブタイトルに「ヒマラヤ物語」とあるように、

深田自身がヒマラヤへ遠征した体験をもとにしたものだ。

そこには深田久弥の、世界最高峰を抱くヒマラヤ山脈への思いが

つづられている。

その中に気になる項目があった。

それが今回のテーマである「雪男」だ。

最初は、そういう伝説のあることを紹介しているだけだと思った。

だが読み進めていくとどうも様子がおかしい。

深田久弥自身が「雪男」の存在を確信している。

さらに、雪男の姿を写真に収めようと、本気で考えている。

うまくいけば今回の遠征費用を稼げる、というようなことも書いている。

書いてある様子では、ヒマラヤに来ている他の登山家達も

「雪男」探索に真面目に取り組んでいる。

……正直言えば、ここまで読み進めて、かなり混乱した。

一体目の前で、何が起こっているというのか?

「雪男」?えっ?マジで「雪男」?ジョークじゃなくて?

先に書いたように、この「ヒマラヤ物語」は「深田久弥の山がたり」の

第3巻目である。

その時の自分は、第1巻と第2巻を読破している。

どちらも薄っぺらい本ではない。

ハードカバーの分厚い本だ。

その分厚い1巻と2巻の中では、非常に冷静で理性的な文章がつづられていた。

それが3巻目まで来て、いきなり「雪男」だ。

それもガチでの「雪男」だ。

訳がわからない。

少し間を置いて、冷静に考えてみた。

深田久弥が山に関する文章で、悪ふざけをするとは思えない。

深田久弥はそれまで常に冷静に、理性的に、山だけでなくその空気すらも

その文章に書き記してきている。

その深田が書いている以上は、その当時、

ヒマラヤで「雪男」の存在は、疑うべくもない事実だったのだろう。

恐らく深田久弥はその空気を感じ、それをそのまま文章にしたのだ。

調べてみた所、深田久弥がヒマラヤへ遠征したのは、1966年だ。

当時のヒマラヤはどういう時代だったのか?

まずこの13年前の1953年、ヒラリーとテンジンが世界最高峰

エベレストに初登頂している。

さらにその2年前である1951年、エリック・シプトンが

「雪男」こと「イエティ」の足跡を発見している。

さらにその前年の1950年、人類史上初の8000m峰の初登頂が

アンナプルナにおいてなされている。

世界に14座ある、8000m峰の初登頂は、

この14年後の1964年までの間に完遂されている。

その中には1956年、日本隊によるマナスル初登頂も含まれる。

もちろんこの期間中、「雪男・イエティ」の調査隊も各国から派遣されている。

ざっと当時のヒマラヤの状況を挙げてみた。

ヒマラヤにおける8000m峰の初登頂ラッシュと、

「雪男・イエティ」に対する頻繁な調査隊の派遣である。

深田久弥がヒマラヤを訪れた1966年は、初登頂ラッシュと

「雪男・イエティ」の熱が、まだ残った時期だったのではないだろうか?

だとすれば、深田久弥がその空気を感じ取ったというのも

当然のことだったのかもしれない。

雪男・イエティ。

もともとは現地に住む人々の間で伝承されていた、未確認生物である。

世界的に有名になったのは、19世紀末期に足跡が発見されてからだ。

全身長毛に覆われた、巨人である。

現地ではヤクなどが襲われるという被害も出ていた。

が、結局は捕獲されたり、死体が見つかったりすることもなく、

その存在は現在に至るまで、幻のままだ。

現代では、その正体はヒグマであったという説が有力である。

正体がヒグマ。

なんとも無難な所に収まったな、という感じはする。

ただご存知の通り、ヒグマは冬眠する。

はたして雪のある時期に、雪男に間違われるような行動を

とったりするのだろうか?

いささか、疑問は残る。

現代人にとって、雪男などナンセンスだ。

真面目に口にすれば、それだけで変人扱いされるだろう。

しかしそれも現代という時代があってのことだ。

1966年という時代において、雪男・イエティというのは

充分にその存在の可能性を持っていた。

その時代の空気を、現代の感覚で否定することは意味がない。

深田久弥の「雪男」は、そのことを教えてくれている。

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