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著者検印

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図書館で、山岡荘八の「徳川家康」を借りて読んでいる。

これは1950年3月から1967年4月まで、
北海道新聞・東京新聞・中日新聞・西日本新聞に掲載されていた
歴史小説である。
実に17年の長きに渡って、延々と書き綴られてきたわけだ。
普通、この手の歴史上の偉人を取り扱った歴史小説の場合、
主人公の誕生から、その死までを描くことが多いのだが、
この「徳川家康」の場合、家康の母親である
於大の方の縁談からのスタートとなっている。
まだ家康が、母親の腹の中にさえいない所から始まるのである。

借りているのは、講談社のハードカバー版で、
奥付を見てみた所「昭和38年4月5日第6刷発行」とある。
実に、半世紀以上前に発行されているわけである。
(実際に連載されていた期間は、上記の通りなので、
 連載開始から考えれば、65年以上の月日が流れているのだ)
ちょうど発行日の横に定価が印刷されているのだが、
約350ページからなるハードカバー版の定価が、290円である。
昨今では、350ページのハードカバー版といえば、
2000円近い値段をとられるのではないだろうか?
この半世紀の物価の上昇を、しみじみと感じさせられる。
この約350ページのハードカバー版が、
26巻まで続くというのだから、まさに大長編といっていい。
書く方も書く方なら、読む方も読む方である。
現在、18巻まで読んでいるので、
なんとか折り返し地点は越えているものの、
残り8冊を残して、関ヶ原の戦いが終わってしまった。
徳川家康を題材にした「普通」の小説なら、
ここの時点で、ほぼ全体の9割が終わっているといってもいい。
この3年後に征夷大将軍に任命され、
江戸幕府を開くことになるのだが、
そこら辺は一言二言でさっさととばし、
大阪冬の陣と夏の陣を書いた後、家康が死ぬだけなのである。
だが、山岡荘八の恐ろしい所は、
その常人ならさっさととばしてしまう部分に、
大長編全体の3分の1もの量を費やしている所だ。
一体、ここから何を書こうというのか?

山岡荘八が、「徳川家康」を書くために使用した原稿用紙は、
なんと17400枚にも上り、世界最長の小説として
ギネスブックにも登録されている。

と、山岡荘八の「徳川家康」について、
長々と書き連ねてしまったが、
今回のテーマはそちらではない。
この古い小説を1冊読み終わり、ふと奥付の部分、
つまり、本の最後の書誌事項が印刷されているページを見ると、
そこに切手大の紙が1枚、貼付けられていた。
紙には安楽椅子のイラストが描かれており、
その下にアルファベットで「KODANSHA」と印刷されている。
これは「講談社」のことだろう。
このハードカバー版「徳川家康」を発行しているのが講談社なので、
アルファベットはそれを表しているらしいのだが、
この切手大の紙の上に、「山荘」と刻まれた判子が押してある。
これは恐らく、作者である山岡荘八の判子だろう。
一体これは何なのか?

調べてみると、これは「著者検印」と呼ばれるもので、
著者自身がこの判子を押し、書籍の発行部数を確認していたらしい。
この著者の判子が押してある切手大の紙を、
何枚使ったか?ということを元にして、印税等が支払われたという。
どうして、このようなことが行なわれていたのだろうか?

実は出版社の中には、著者に内緒で増刷する「ヤミ増刷」を
行なう様な会社があり、それで得た売り上げを隠し、
著者に印税を支払わない様なこともあったらしい。
これを防ぐために作られた制度が、
著者が1冊1冊に自分の印を押し、その発行部数を確認するという
「検印制度」だったわけである。
いわば、作者と出版社の間の信頼関係を保証するための制度、
と考えれば、わかりやすいのかもしれない。
ただ、出版される全ての著作物に
検印を押さなければならないというのは、
著作者にとっては、かなりの負担である。
とくに、今回の山岡荘八の「徳川家康」の様な場合、
シリーズの累計発行部数が3000万部ということなので、
著作者である山岡荘八は、
実に3000万回も検印を押したことになる。
奥付に貼付けられている、検印用紙のサイズから考えて、
これはもっと大きな用紙に検印だけいくつも押しておき、
その後で細かく、切手大に切り分けたものらしいので、
1枚1枚、検印を押すことに比べれば、
幾分、時間は短縮されただろうが、
それにしても3000万回判子を押す、というのはただ事ではない。
スタンプ台に1回押し付けて、用紙に判を押す動作に、
1回1秒かかると仮定して、それを3000万回行うとすれば、
3000万秒かかることになる。
単純にこの作業を1人で行った場合、
全ての本の検印を押すのにかかる時間は8333時間となり、
24時間、不眠不休で判を押し続けたとしても、
347日という時間がかかることになる。
ほぼ1年がかりである。
1日8時間労働として判を押したとしても
3年ほどかかることになり、
これをマジメに著作者にやらせたとすれば、
きっと他の小説など、書いている時間はなかったに違いない。

もちろん、そんなことが実際に行なわれていたわけではない。
この検印が、サインではなく判子という所に、
これを容易にするポイントがある。
判子を押すだけであれば、何も著作者本人が行なわなくても、
著作者の家族や、マネージャーなどがこれを代行してもいいし、
もっと極端なことを言えば、
アルバイトを雇って作業させてもいい。
著作者が原稿用紙に向かい、
せっせと作品を書き続ける隣の部屋では、
著作者の家族やマネージャーが、
検印用紙にせっせと判子を押していく。
恐らく、検印制度があった当時、
小説家など作家の家では、
そんな光景が繰り広げられていたのだろう。
著作者の家族などにとっては、
この検印押しは大変な作業だっただろうが、
この作業が大変であれば、大変であるほど、
本がよく売れているということになる。
そう考えれば、この大変な判子押し作業も
存外、笑いのこみ上げてくる作業だったのかも知れない。

だが、こんな面倒くさい作業が、いつまでも続けられるわけがない。
この「検印制度」は、1970年代ごろまでは続けられていたものの、
それ以降は、一部の例外を除き、
「著者との話し合いにより、検印廃止」と、
奥付に印刷されるようになり、
「著者検印」は徐々に廃れていくこととなった。
現在では、奥付に「検印廃止」の文字すら印刷されないことが、
多くなっている。
恐らく、1970年代ごろからは、
ヤミ増刷を行なう様な、悪徳出版社は淘汰されてしまい、
「著者検印」という制度自体が、
意味を成さなくなったものと思われる。
現在でもわずかながら、本の奥付に
「検印廃止」と印刷されているものがある。
これらは、かつての著者検印制度の、成れの果てなのである。

ひととおり本を読み終わり、ふと奥付を見たときに、
そこに押されている、著作者の判子。
それは著作者を、実に身近に感じさせてくれる。
出版社のヤミ増刷が無くなり、
検印という制度が必要なくなったこと自体は、
喜ばしいことであるが、
今回のように著者検印のある古い本を見ると、
ちょっともったいなかった様な気も、しないでもない。

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