JR山陽本線・姫路駅から下り列車に乗ると、
その終着駅は、概ね3つか4つに絞ることができる。
まず、岡山行き。
言わずと知れた、岡山県の県庁所在地である。
次に、上郡行き。
これは赤穂市の北に位置する上郡町のことであり、
この駅からは智頭線が出ている。
次に、網干駅。
ここは、姫路から3駅ほど下った所にあり、大きな列車基地がある。
また山陽本線の新快速は、この網干駅までしか来ていない。
そして最後に、播州赤穂駅である。
「赤穂」の前に、わざわざ「播州」とあるが、
「赤穂」という地名は、ここにしかないので、
ただの「赤穂駅」であっても通じるはずである。
それをわざわざ「播州赤穂」としているのは、
「播州赤穂浪士」を強くイメージしてのことだろう。
そう、赤穂は塩の町、そして赤穂浪士の町である。
昔は、年末になるとTVで「忠臣蔵」を放送していたという。
現在でも、年末には、ひとつふたつは「忠臣蔵」を見ることができる。
よく言われることだが、昔は芝居小屋に客が入らなくなった時、
「忠臣蔵」を上演すると、たちまち客が押し寄せたという。
それだけ、日本人には受けのいいストーリーだということだ。
たまにNHKなどで「忠臣蔵」を取り上げた番組があると、
そこによく出てくるのが、「仮名手本忠臣蔵」という言葉である。
「忠臣蔵」というのは、わかる。
恐らくは「忠臣・大石内蔵助」を縮めたものだ。
もちろんこれには異説もあって、
「蔵一杯になるほどの忠臣」という意味だとも言われる。
なるほど、47人もいれば、普通の蔵なら一杯になるかもしれない。
しかし、冷静に見た場合、やはりこれは「忠臣・大石内蔵助」の方が、
正しいように思える。
問題は「仮名手本」の部分である。
「仮名手本」というのは、もともと、いろは歌を平仮名で書いた、
習字用の手本のことである。
いろは歌自体を、指すこともあるようである。
では「仮名手本忠臣蔵」とは、どういうことなのか?
単純に考えれば、習字のお手本になるような、
きれいな平仮名で書いてある「忠臣蔵」ということになる。
……。
さすがに「そんなバカな」としかいいようがない。
それではまるで、絵本ではないか。
実際にインターネットで「仮名手本」というワードで検索すると、
出てくる検索結果は、99%が「仮名手本忠臣蔵」である。
逆にいえば、この「忠臣蔵」以外には、
「仮名手本」というものが、存在していないようだ。
この「仮名手本」が文字通り、習字用の手本だった場合、
他にも「仮名手本桃太郎」とか、「仮名手本源氏物語」などがあってもいい。
しかし、どうも「忠臣蔵」以外には「仮名手本」は存在していない。
ということは、この「仮名手本」というのには、
習字用の手本以外の、意味があるのではないか。
そう考えて調べてみると、この「仮名手本」というのは、
赤穂浪士四十七士を、いろは四十七文字にかけて、
「仮名」と表現したものらしい。
では「手本」とは?
これに関しては、言及しているものがなかった。
ただ無理矢理、意味を通すということになると、
「忠臣・大石内蔵助」を代表とする四十七士「仮名」は、
武士のお「手本」である、というような意味があるのかもしれない。
なんとも、回りくどい表現を使ったものであるが、
当時としては、「赤穂事件」が世間を揺るがした大事件だっただけに、
それをモデルにしたストーリーを作ったとしても、
「四十七」という直接的な数字をタイトルに入れず、
「仮名」とすることで、なんとなく四十七という数字を表現したのかもしれない。
さらに「いろは歌」には暗号が隠されている、という説もある。
いろは歌というのは、いろは四十七文字を全て1文字ずつ使った歌のことだ。
ちょっと書き出してみよう。
いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へと 散りぬるを)
わかよたれそ つねならむ(我が世誰そ 常ならむ)
うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日越えて)
あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見し 酔ひもせず)
「ゐ」や「ゑ」が入っているが、確かに四十七文字だ。
ちなみにいろは歌の中には「ん」は入っていない。
果たしてこれに、どんな「謎」が隠されているというのだろうか?
言われているのは、このいろは歌を7文字ずつ区切って、
その7文字目だけを拾って呼んでいく。
すると「とかなくてしす」となる。
これを「咎、無くて死す」と読むのだ。
この「咎、無くて死す」というのが、浅野内匠頭を指すのか、
四十七士を指すのかはわからないが、なんとも暗示的なことだ。
ただ「いろは歌」が初めて文献に出てくるのは、
1079年に書かれた「金光明最勝王経音義」で、「赤穂事件」のはるか前だ。
この説については、全くのこじつけであろう。
今回は、仮名手本「忠臣蔵」の「仮名手本」の部分について考察してみた。
次回は「忠臣蔵」、つまり内容の部分について、書いていく。