トマソン、という言葉がある。
芸術上の概念を表す言葉である。
不動産に付属し、まるで展示するように美しく保存されている、
無用の長物、という意味である。
なかなかに失礼な言葉だとも言える。
が、実はまわりを見回してみれば、意外と色々あるものだ。
今回、書いていく井戸というものも、これにあたる。
田舎の村などを歩いていると、民家の庭先に井戸の跡が残っている。
跡、と言うと語弊がある。
実際には、すでに使っていないために、
人が落ちないよう、厳重にフタが取り付けてあるだけの場合がほとんどで、
井戸自体はまだ使えるものが多い。
井筒だけが残っていて、これにフタが固定してある場合がほとんどだ。
寺などでは、石造りの井筒に、竹を編んだフタをかぶせてあることがある。
やはり格好がいいのは、しっかりと屋根を組んである井戸だ。
これは屋根に滑車が取り付けてあり、釣瓶を操作して水を汲む。
この井戸は「車井戸」と呼ばれ、一番雰囲気のある井戸だ。
例えば「弘法水」のように謂れのある井戸の場合、
結構、凝った屋根をつけていることが多い。
昭和30年代くらいまでは、全使用水のうち、40%が井戸水だった。
井戸水というのは、つまり地下水である。
高度成長期、工業用にと地下水を組み上げすぎたため、
地盤沈下という問題を引き起こした。
海抜0m地帯、というのは地下水を組み上げすぎて、
地盤沈下を引き起こした土地だと思って、間違いない。
現在では、工業用に地下水を組み上げることは、厳しく規制されている。
当たり前のことだが、一度沈下してしまった地盤は
二度と元に戻ることはない。
高度経済成長の影で、実はとりかえしのつかないことを、
やらかしちゃっていたのである。
現在では、全使用水のうち12%程度が井戸水である。
では人類は、いつくらいから井戸を使っていたのか?
もともと人類は、川や泉の側など、水のある所に住んでいた。
ところが、人類が増え、水場から離れた不便な場所に住むようになると、
人々は泉のように水の沸き出そうな所に、井戸を掘りはじめた。
これが約9000年ほど前のことだ。
シリア北東部、新石器時代の遺跡に、最古の井戸の痕跡がある。
日本国内の場合、弥生式文化の初期ごろから、井戸を使っていたとされる。
奈良県の唐子遺跡では、長さ2m、直径80cmの丸太をくりぬいて、
垂直に埋め、井戸側としていたことがわかっている。
さて、井戸というと、井筒が組んである、掘り抜きの井戸を、
思い浮かべてしまうが、実は井戸というのはこれだけではない。
地面にパイプを打ち込み、地上の手押しポンプで水を汲み上げる、
打ち込み井戸、というのがある。
たまに、地面に手押し式のポンプが設置してあるが、
あれも井戸になる。
現在、新しく掘られる井戸のほとんどは、このタイプの井戸である。
比較的掘りやすく、時間も金もかからない。
中には手製の道具で、打ち込み井戸を掘り当ててしまう人もいる。
地下に水脈があれば、意外と簡単に掘れるようだ。
最近では、井戸の掘り方を説明してある本もあるので、
興味のある人は読んでみてはどうだろうか?
さて、井戸水の場合、気になるのが水質だ。
都会の井戸の場合、水質汚染により、飲用に適していない井戸水も多い。
地下水脈が浅い場合、地上の汚染の影響を強く受けるからだ。
一般的に地下水は、地上の川の水よりは、きれいな場合が多い。
それは地面自体が、一種の濾過装置の役割を果たし、
不純物をある程度除去してくれるからだ。
さらに地面の中を通過する際に、土の中に住んでいる微生物によって
汚染物質や病原菌が分解される。
しかし地下水脈が浅い場所の場合、この効果が薄いのだ。
もちろん、汚染がひどい場合、この効果が追っ付かないということになる。
そういう場合、地下水は汚染されていくことになる。
一般的に地下水の水温は、地面の温度に影響されるので、あまり変動しない。
夏は冷たく、冬は暖かい。
だから、川での水仕事がキツい季節でも、井戸の水を使ってやれば
それほどキツいことはない。
夏場、低い水温を利用して、様々なものを冷やした。
スイカなどを、井戸水につけて冷やすのは有名だ。
特に冷蔵庫の容量が少なかったころなどは、スイカの冷却は井戸の役目だった。
もちろん、飲用に適した水の場合、
夏の飲み水にも利用されていたことは疑いがない。
地盤を通過する際に、各種ミネラルがとけ込む場合があり、
そういう場合は、名水などと呼ばれたりする。
冬場、水温が暖かいので、雪国などでは融雪に地下水が使われる。
しかしこれもやりすぎると、地盤沈下を招くので、
慎重にやらなければならない。
井戸、というのは面白いもので、点在している場所を見ていくと、
その偏りから、地下水脈の流れをある程度、知ることができる。
日頃、町を歩く際に、井戸を見つけたら、
その付近に他の井戸がないか、注意して探してみよう。
多分、近くにいくつか、同じような井戸が見つかるはずだ。
そこから、地下に流れる水脈を感じることができるだろう。
それを見つけると、いつも住んでいる町が、
また違った見え方をしてくるに違いない。
今回は、井戸について現実的な視点から書いてみた。
次回は、今回書くことのなかった、井戸にまつわる説話、
伝説のようなものについて取り上げる。