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命の価値〜ゲーム編

投稿日:

「命の価値」などということをマジメに考えだすと、
意見がそれこそ百出して、まとまることが無い。

人1人の命は、地球よりも重い、
なんていうことをいう人もいれば、
人の命も、虫けらの命も価値は同じだという人もいる。
マジメに考え、議論している人たちには悪いが、
これは答えの無い問題である。
いくら議論を重ねた所で、明らかになるのは
個々人の命に対する価値観だけで、
明確な命の価値など、出ようはずも無い。

しかしモノによっては、
命の価値が別のモノに換算できることがある。
今回は、それを色々と見ていく。

命の価値が、非常にわかりやすいものに
「テレビゲーム」がある。
例えば、スーパーマリオブラザーズでは、
とりあえず、「命」が3つある。
人間の世界では考えられない話だが、
とりあえず、そういうことでゲームは始まる。

この主人公・マリオはよく死ぬ。

穴の中に落ちれば死ぬし、
カメに触っても死ぬ。
歩くキノコを踏んづけ損なって死ぬこともあるし、
ユルユルと飛んでくる、大砲の弾に当たっても死ぬ。
土管から生えている花に触っても死ぬし、
カメが投げてくるトンカチに当たっても死ぬ。
橋の上を歩いていて、跳んできた魚に当たって死ぬし、
雲の上から、刺の生えたカメをぶつけられても死ぬ。
城の中を歩いていても、巨大な杭につぶされて死ぬし、
左右から迫ってくる壁に挟まれても死ぬ。
だったら何もせずに、じっとしていれば良いかというと、
何もせずに突っ立っていても、
5分もすれば、タイムアップで死ぬ。

これだけ死ぬのであるから、
命はいくつあっても足りない。
だから作中には、「命を増やす方法」がいくつもある。
やはり人間の世界では考えられないことだが、
とりあえず、そういうことになっている。

レアなキノコを食べれば、命はひとつ増えるし、
コインを100枚集めれば、やはり命がひとつ増える。
宝箱をあければ、
命が増えるアイテムが入っていることもあるし、
神経衰弱で絵柄が揃えば、命が増えることもある。
スロットが揃えば、命が5つくらい増えることもあるし、
場合によってはステージをクリアしただけで、
命が増えることもある。
あまつさえ、階段でカメを蹴飛ばし続ければ、
それこそ命は、際限なく増えていく。

詰まる所、マリオの命はキノコ一個分、
あるいは、コイン100枚分、
さらには、カメひと蹴り分と換算することが出来る。
国民的キャラクターであるマリオだが、
その命の価値は、悲しいほどに小さい。

同じゲームでも、「ドラゴンクエスト」の場合は、
少し変わってくる。
このゲームでは、
HP(ヒット・ポイント)と呼ばれる数字が、
戦闘などのダメージで0になると、死んでしまう。

チーム全員が死亡すると、
主人公だけが王様の前で生き返させられ、
「しんでしまうとは、なさけない」
と、お説教されてしまう。
そこはねぎらいの言葉があっても良いんじゃないの?
と、思うのだが王様はなかなか冷たい人だ。
シリーズによっては、教会の神父様の前で生き返る。
こちらは、それほど辛辣なもの言いはして来ない。
さすが聖職者だ。
さて、仲間を生き返らせないと、と思って財布を開くと、
貯めに貯めていたお金が、ごっそりと半分無くなっている。
これは王様の場合も、神父様の場合も同じである。
思わず王様や神父様を見て、
「あなたって、そういうヒトだったんですね」
と恨み言のひとつも、いいたくなる。
もっとも、お金を持っていなくても、
生き返らせてはくれるので、そういう時は
「あなたって、そういうヒトだったんですね」
と見直すことになる。

仲間を生き返らせる場合、教会に寄付をすることになる。
あくまでも「寄付」であり、「料金」でない所に、
宗教法人の「闇」が、垣間見える。
この「寄付」の値段は、
生き返らせるキャラクターのレベルによって、
大きく変わってくる。
大体、ちょっと頑張れば払えるが、
結構、懐に痛い金額を要求される。
この辺りの匙加減が絶妙で、神父様の手慣れた感がすごい。
相当、人の懐を探ることに長けている。
この辺りは、現実の宗教法人と変わらない。
ほとんどのシリーズでは、
レベルが上がれば蘇生呪文を覚えるので、
教会への寄付はしなくても良いようになるが、
蘇生呪文を持つキャラクターが死んだ時は、
結構な値段を払わざるを得ない。
このシリーズの場合、
「命」=「金」という図式が濃厚である。

「ウィザードリィ」での「命」は、わりとシビアである。
これもまた、「ドラゴンクエスト」と同じで、
HPが0になれば、死亡してしまう。

チームが全滅しても、王様が生き返らせてくれることは無く、
死体は洞窟の中に放置されたままだ。
生き返らせるためには、別パーティを作り、
死体を回収することから始めないといけない。
結構、面倒なので、全滅したパーティは無かったことにして、
そのまま放置してしまうこともある。

全滅ではなく、仲間が1人か2人だけ死んだのならば、
城に戻り、これを生き返らせることが出来る。
寺院で蘇生の儀式を執り行うのだが、
もちろん、これも有料である。
「ウィザードリィ」の恐ろしい所は、
たまに蘇生の儀式が失敗する所である。
蘇生に失敗した死体は灰になってしまう。
一体、何をやらかしたのかと問いつめたくなるが、
死体が灰になった場合、
さらに金を払って、復活の儀式を行わなければならない。
恐ろしい二重料金システムだ。
さらに復活の儀式も失敗すると、
キャラクターは完全に消滅して、帰って来ない。
現実と同じ、完全な死である。
この完全な「死」が、ゲームに緊張感をもたらすのだ。
つまり「命」=「緊張感」である。

シミュレーションRPG「ファイアーエムブレム」は、
さらにシビアである。

どのキャラクターも、死ねば復活することが無い。
リーダーである主人公が死んでしまえば、
ゲームオーバーとなり、以降のプレイは出来なくなる。
仲間キャラクターの場合、
死んだとしてもプレイは続行できるが、
死んだキャラクターは2度と使えない。
全く現実と変わらない緊張感である。
途中、仲間が死んだ場合、
これを無かったことにするためには、
もう一度同じステージをやり直して、
死なないようにするしかない。
それ故に、戦術の一手一手に緊張感が溢れている。
だからこのシリーズは難易度が高く、
上級者向け、ということになっている。
このゲームの場合、
「命」=「リセットボタン」ともいえる。

さて、ここまで様々な「ゲーム」を通じて、
「命」の価値について見てきた。
次回は、メディアを変え、「命」の価値を見ていく。

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