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巨星、墜つ

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By: Rui Su

「山」というのは、面白い世界だ。

普通のスポーツであれば、○○を何時間何分でなどという
記録を重要視し、それに惜しみない賞賛が送られるものだが、
登山においては、このタイムという記録はほとんど省みられない。
逆に、これをいくら誇ってみたところで、
「ふーん」と軽く流されてしまうのがオチで、
他のスポーツほどには、尊敬を集めることが無い。
(そもそも自分の意見としては、
 「登山」をスポーツのカテゴリーに入れること自体、
 懐疑的な気持ちもあるのだが……)

その代わり、といっては何だが、
「山」の世界では、「初」物に重大な価値を見出す。
つまり「初登頂」ということである。
エベレスト初登頂を果たしたヒラリーとテンジンは、
現在でも変わることの無い、尊敬を受けているし、
これに挑み、命を落としたジョージ・マロリーでさえ、
現在では登山界のレジェンドとして、語り継がれている。

無論、その山に初めて登る「初登頂」ほどではないが、
様々な困難な条件を自分に課して、
特定条件下での「初登頂」を狙うものもいる。
例えば、世界的な登山家であるラインホルト・メスナーなどは、
無酸素・単独という条件を付けて、エベレストを初登頂した。
さらに世界に14座ある8000m峰の全制覇を
世界で最初に成し遂げ、その名を挙げた。
これもまた、条件付きの初登頂といえる。
その他にも、より困難なルートを選んで
初登頂を狙ったりする場合もあり、
やはり「山」の世界では、なによりもまず、
「初」を尊ぶようである。

日本にも、この「初」の登頂記録がある。
世界の8000m峰の1つ、マナスルの初登頂である。
すでに世界の最高峰・エベレストは
イギリス隊によって初登頂されてしまっており、
世界中の国々は、それぞれの威信をかけて、
残る8000m峰の初登頂にしのぎを削っていた。
そんな中での、日本隊によるマナスルの世界初登頂は、
日本に一大登山ブームを巻き起こすことになった。

だが、1956年にマナスル山頂へ
日本が初登頂を果たしたときにも、
日本人にとってのエベレストは、未だ未踏峰であった。
世界最高峰・エベレストが、
初めて日本人によって登頂を果たされたのは、
マナスルから遅れること14年、あの植村直己によってである。
彼は日本山岳会によって編成されたエベレスト登頂隊に、
荷物運び・ルート工作員として参加していた。
彼は自己負担金を用意できなかったため、
そのような形で登頂隊に参加することになったのだが、
彼はその中で抜群の体力を認められ、
第1次アタック隊に選ばれ、日本人初登頂を果たすこととなった。
ちなみに植村直己はその年、マッキンリーへの単独登頂も果たし、
その時点で、世界初の5大陸最高峰登頂者となった。
植村直己はその後、様々な冒険を成功させ、
冒険家としての名声を得たが、
1984年、厳冬期のマッキンリーに
世界初の単独登頂を果たした後、遭難、帰らぬ人となった。
彼の遺体は、未だ発見されていない。

彼に遅れること5年。
1人の女性が、世界最高峰・エベレストの頂を踏んだ。
世界では38人目、日本人でも6人目ということであったが、
「女性として」は、日本初、というか世界初の快挙であった。
彼女の名前は、田部井淳子。
日本が生んだ、世界的登山記録を打ち立てた女性登山家である。

1939年、福島県に生まれた彼女は、
1962年、大学を卒業し、社会人山岳会に所属し登山を始める。
(もっとも、それまでにも山に登ったことはあったようだが……)
1965年には、谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功、
女性ペアによる積雪期登攀は、初めてのことであった。
本格的に登山を始めたのが社会人になってから、ということなら、
わずか3年ほどの登山歴で、
積雪期の谷川岳一ノ倉沢に挑んだことになる。
谷川岳一ノ倉沢といえば、世界の山の中で、
もっとも多くの死者を出しているコースである。
(もちろん、谷川岳にはもっと安全なルートもある)
それを3年の登山歴で可能とした辺りに、
彼女の登山への取り組み方が伺える。
その4年後には、「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に、
女子登攀クラブを設立、翌年、アンナプルナⅢ峰へ登頂した。
そして1975年、エベレスト女子登山隊の副隊長となった彼女は、
世界で初めて、女性としてエベレストの頂を踏んだのである。

こういう風に、その記録だけを見ると、
まさに登山家としてのエリート街道を突き進んでいるように見えるが、
1960~70年代という時代を考えれば、
その道は決して楽なものではなかっただろう。
現在でこそ、女性登山家の活動に世間も理解を示しているが、
まだまだ女性の社会的地位が低く見られていた時代、
「女が山に登るなんて」などという、大きな逆風もあった。
そういう意味では、同じ時代の男性登山者に比べ、
当時の女性登山家たちは、
かなり大きなハンデを背負っていたことになる。
そういう逆風の中で、彼女は地道に活動を続け、
世界の登山史に残る、女性「初」エベレスト登頂という記録を
打ち立てたのである。

彼女が、エベレストに立ったとき、
すでに彼女には夫も子供もいた。
つまり母親だったわけである。
そんな彼女が、夫と子供を置いて
命を落としかねない山に登ることについて、
世間では厳しいことを言う人もあった。
だが、彼女はそんな世間の声を聞きながらも、
マイペースで山に登り続け、1992年、
ついに7大陸最高峰全ての登頂に成功した。
これは、男女問わず、日本で「初」の記録であり、
女性としては、またも世界「初」の大記録であった。
彼女に先だって、エベレストに初登頂を果たした植村直己でさえ、
ついにはこの記録を打ち立てることが出来なかったことを考えると、
まさに、日本登山界の大偉業といっていい。
ここで植村直己の名前を挙げたが、この時点ですでに
彼は帰らぬ人になっていたのだが、
実は彼女は植村直己よりも年上である。
自分より年下の植村直己が、世界的な冒険家として活躍し、
そして43歳の誕生日の後、マッキンリーで悲劇的な結末を迎え、
まさにその名前が伝説となった後も、
彼女はこつこつと、マイペースで登山を続け、
ついに彼の成し得なかった、7大陸最高峰制覇を果たしたのである。

そんな田部井淳子が、この10月20日、
腹膜癌のため、帰らぬ人となった。

彼女は7大陸最高峰を制覇した後も、
変わらずマイペースで山に登り続け、様々な国の最高峰に立った。
さらには数々の著作、講演、TV出演など、幅広く活躍し、
近年では東日本大震災被災者への支援活動として、
被災地の高校生たちと一緒に富士登山を行なっていた。

彼女は、自分の登りたい山に登る際、スポンサーを付けず、
かかる費用は全て自分で支払っていた。
また、ガイド資格なども持っていなかったため、
「登山家が自分の仕事かというと、そうではないと思う」
と、答えていたという。
その発言の意味するところとは、違うかも知れないが、
これだけの人に「自分は登山家ではない」なんて言われたら、
この世の中から登山家がいなくなってしまうだろう。
登山家の記録を引き比べ、
どちらが凄い登山家か?なんてことを語るのは、
はっきりいって、全く意味のないことだろうが、
山で命を落とさず、その天寿を全うしたという一点においては、
彼女はマロリーや植村直己よりも、偉大であったと言い切れる。

日本、というか世界の登山界において、
レジェンドと呼ばれるにふさわしい登山家であった田部井淳子。

今はただ、そのご冥福を祈るばかりである。

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