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阿波の家

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さて、前回まで3回にわたって、
四国八十八ヶ所霊場のうち、第1番札所「霊山寺」から
第3番札所「金泉寺」までを歩いたことを書いた。

最初に車を停めた、道の駅「第九の里」から歩き始め、
第3番札所までを回って戻ってくるまで、
距離にして10km近くを歩いただろうか。
これらの札所のある、鳴門市と板野町は徳島県の北、
香川県との県境に位置している町である。
板野町から山1つ越えれば、
そこはすでに香川県の東かがわ市になる。
南には一面に徳島平野が広がり、
その中央を大河・吉野川が、西から東へと流れている。

広い徳島平野では農業が盛んで、
米はもちろんのこと、鳴門市ではサツマイモ「鳴門金時」や、
蓮根などが名産品として、栽培されている。
第1番札所「霊山寺」から第3番札所「金泉寺」は、
そんな農村地帯の中に点在しているのである。
時期は5月の下旬、空気が白くモヤっているものの、
太陽はしっかりと照りつけてきて気温も上がり、
まさに「夏日」そのものである。
いや、ひょっとしたら気温が30度を越える、
「真夏日」だったかも知れない。
そんな中を友人と2人、テクテクと歩いて行くのである。
周りの景色は、日本の平均的な「田舎」の風景で、
はっきりいって、自分の住んでいるたつの市とそれほど変わらない。
水田では、こちらよりも早く田植えの終わっている所があるが、
それ以外は、畑に植えられている作物も、こちらと変わらない。
ある意味、退屈な風景である。

そんな中、何か変わったものはないかと、
辺りを見回しながら歩いていると、
その辺りの「家」が、どうも奇妙な形をしていることに気がついた。

「家」といっても、現代的な「文化住宅」ではなく、
古くからの伝統を受け継いでいる「和風住宅」の話だ。
まず外壁は、播磨地方の住宅と同じように
「焼き板」を用いているものが多いのだが、
その張り方が、こちらとは異なっている。
播磨地方の外壁の張り方は、「焼き板」を縦方向に並べ、
それをそのまま打ちつけていることが多いのだが、
阿波地方(といっても、鳴門市と板野町で確認しただけだが)では、
これを横方向に、わずかに重ねるようにして並べ、
これに縦の押縁をあてた、
「簓子張り」を用いている家がほとんどだ。
それだけでも、播磨地方の住宅とは随分、印象が違うのだが、
これ以外にも大きく異なっている点がある。

それが屋根から張り出している「軒」部分の大きさである。
ざっとみた感じ、播磨地方の住宅の「軒」の倍は張り出している。
「軒」が大きく張り出していれば、張り出しているほど、
太陽の光は「軒」に遮られ、家の中に入ってこない。
恐らくは、夏の強烈な日差しを
少しでも遮ろうということなのだろうが、
そういう所を見ると、徳島もやはり「南国」なのだと、
再認識させられてしまう。
ただ、この大きく張り出した「軒」と同じく、
奇妙に感じたのは、阿波の住宅の「庇」の多さである。

「庇」とは「ひさし」と呼ぶ。
いつも使っている国語辞典によれば、

庇 …… 1・窓や入り口などの上に張り出した屋根
     2・学生帽などの、つば

と、ある。
今回、自分のいう「庇」とは、もちろん1の意味である。
もちろん阿波地方以外の和風住宅でも、
「庇」は使われている。
「軒」の無いような所はもちろん、
「軒」が張り出している所の窓の上にも、
「庇」が取り付けられている場合もあり、
「軒」と「庇」が、ダブっている建物というのも、
そう珍しいことではないのだが、
驚くべきことに阿波地方の「庇」は、
「窓」の上以外にも取り付けられているのである。
早い話、家の前面に窓が2つ、側面に1つ、あったとしよう。
普通は、それぞれの窓の上に「庇」が1つずつ取り付けられる。
まとめたとしても、前面の窓2つの上に
ひとつながりの大きな「庇」を取り付けるくらいだ。
だが阿波地方では、家の前面の2つの窓の上から、
さらに角を回って側面の窓の上まで、
グルリとひとつながりになった、長い「庇」を取り付けるのである。
いくら何でも、ムダが多くないか?とも思うのだが、
これで驚いていてはいけない。
家によっては、窓の有る無しに関係なく、
大きく張り出した「軒」のすぐ下に、
家をグルリと1周するように「庇」を取り付けてあるのだ。
パッと見た感じには、屋根が二重になっているような感じを受ける。
そういう場合、窓と屋根の間に「庇」の層があるので、
妙に家が高く見えるのである。

「軒」が大きく張り出している以上、
普通に考えれば、わざわざ「庇」を取り付ける必要は
ないはずである。
さらにいえば、窓の上につけるのならともかく、
窓と窓の間をつなぐように「庇」を取り付ける意味もない。
「軒」のすぐ下に「庇」をつけるなど、
まさに全くの無意味のようにさえ思える。
どうして阿波地方の人たちは、こんなムダな「庇」をつけるのか?

帰って来てからも、そのことが気にかかり、
インターネットを使って調べてみたのだが、
大きく張り出した「軒」に関しても、
かなりムダが多いように思える「庇」に関しても、
まともな情報を得ることは出来なかった。

この手の変わった建築技法の1つに「うだつ」というのがある。
「うだつが上がらない」という言葉で有名なアレだ。
「うだつ」というのは、町家などで隣家との境界に作る
防火壁などの役割を兼ねた装飾であるが、
実はこの「うだつ」で有名な美馬市は、
鳴門市や板野町と同じ、吉野川流域に位置しており、
西に30kmほど離れた位置にある。
もちろん、美馬市の「うだつ」と、
鳴門市や板野町の「庇」では、
その役目も全く違っているだろうが、
どちらも「あまり意味がない」装飾であるのは事実である。
ひょっとしたら、このふたつには何か繋がりが?
とも考えたのだが、どうも納得できる理由は思いつかなかった。

何故、阿波地方の家では、
全くムダとも思える「庇」をつけるのか?
大きな「謎」のまま、残ってしまった。

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