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歴史 雑感、考察

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禅宗が日本にもたらしたものは多い。

日本文化に重要な位置を占める「茶道」も、
もともとは臨済宗の開祖・栄西が
「茶」をもたらしたのが、そもそもの始まりであるし、
「饅頭」を日本にもたらした林淨因も、
禅宗の僧と一緒に、日本にやってきた人物である。
「水墨画」も禅宗の僧侶が
日本に持ち込んだといわれている。
雪舟といえば、水墨画家の中でも有名な人物だが、
彼は画家であると同時に、禅宗の僧侶でもある。
「精進料理」についても、
禅宗によって中国より持ち込まれ、工夫された、
様々なメニューが存在している。
江戸時代に、インゲン豆や煎茶道など、
様々なモノ・文化を日本に持ち込んだ僧侶・隠元もまた、
黄檗宗という禅宗の僧侶である。

我々は「禅」といえば、
どこか山奥の寺の、寒々とした板の間で足を組み、
ピクリとでも動こうものなら、
後ろで見張っている坊さんに容赦なく叩かれる、
というイメージを持っている。
一般人の目から見れば、「坐禅」というのは、
ただ、足を組んで座っているようにしか見えない。
しかも、その足の組み方も、
普通に胡座をかくのとは違う、複雑な組み方で、
身体の固い人間は、足を組むのも一苦労である。
はたして、「禅」とは一体なんなのか?
アレに一体、どういう意味があるのだろうか?

禅宗の歴史を遡っていくと、
やがて「達磨(ダルマ)」に行き当たる。
え?「達磨」って、あの真っ赤な「達磨」?
顔が髭もじゃで、
片目が白目をむいているあの「達磨」さん?
よく、選挙事務所などに鎮座している、あの「達磨」?
そう、あの「達磨」である。
日本では真っ赤なひげ面人形で知られる彼こそが、
「禅宗」の開祖なのである。

「達磨」のインド名は、ボーディダルマであり、
これをそのまま音写すると「菩提達磨」となる。
彼は、南インドのある国の王子であった。
どういう経緯があって、
彼が出家したのかは明らかでないが、
王子という身分でありながら出家したという点は、
仏教の開祖、釈迦に通じるものがある。
彼は、西暦520年にインドから船に乗って
中国へとやってきた。
彼は「禅」を伝え、中国禅宗の開祖となった。

彼に関する逸話で有名なものは、
壁に向かって9年間、坐禅を続けたという話だ。
一説によれば、この9年間の坐禅によって、
彼の手足は腐ってしまったといわれる。
そのため、日本で作られている「達磨」には、
手も足もついていないのだ、といわれることもある。
しかし坐禅は別に、手足の血流を悪くするような
危険な行為ではない。
さすがに坐禅のし過ぎで、手足が腐ったというのは、
後世の人が作り出したものだろう。
彼が中国で開いた禅宗からは、
大きく、5つの宗派が生まれた。
その中には、日本に伝えられた
曹洞宗や臨済宗も含まれている。

禅宗が日本に持ち込まれたのは、
鎌倉時代のことである。
栄西によって臨済宗が、道元によって曹洞宗が伝えられた。
栄西によって禅宗が伝えられた当初、
すでに日本にあった各宗派から、激しい排斥を受けたが、
武士の庇護を受けることになり、
急速にその勢力を広げていくことになる。
以降、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府と、
武士によって開かれた政権では、禅宗は厚く庇護された。
また江戸時代には、中国から隠元禅師が招かれ、
「黄檗宗」が開かれる。
隠元禅師は、元々中国臨済宗の禅僧であったが、
日本で「臨済真宗」を開こうとして認められず、
「臨済宗黄檗派」を名乗ることになった。
(明治維新の後に、「黄檗宗」として独立した)
また、「普化宗(ふけしゅう)」と呼ばれる
宗派も存在していたが、
江戸時代、幕府との繋がりが強かったため、
明治時代になると、政府の手によって解体された。
江戸時代劇によく出てくる「虚無僧(こむそう)」は、
この普化宗に属している僧侶である。

「禅宗」では、全ての人が
自分自身の中に供えている仏性を見つけ出すために、
「坐禅」と呼ばれる「禅定」の修行をする。
「禅定」というのは、心身ともに動揺のなくなった、
一定の状態のことをさしている。
真言宗が真言を唱えたり、
浄土宗や浄土真宗が南無阿弥陀仏を唱えたり、
日蓮宗が南無妙法蓮華経(題目)を唱えるのも、
「禅定」にいたる行であるとされている。
その手段が、禅宗では「坐禅」であるということである。

では何故、経典から教えを学ぶのではなく、
「坐禅」をするのか?
実は仏教の開祖である釈迦が、
初めて悟りを開いた時、行なっていた「行」が、
「坐禅」だったのである。
「禅宗」では、釈迦と同じ修行をすることによって、
彼と同じ悟りを開くことを目的としているのである。
釈迦と同じ方法で修行をしたとして、
本当に同じ結論(悟り)に、
たどり着くのかどうかはわからないが、
方法論的には、そういうやり方もアリだろう。

では、その「坐禅」をしている間、
修行者は一体何を考えているのか?
これは、大きく2つに分けられる。
ひとつは「只管打坐(しかんたざ)」と呼ばれ、
意識を捨てて、無意識の中で行なう坐禅だ。
今、自分が坐禅しているということも
忘れてしまうくらいに、
ひたすら坐禅に集中する。
主に曹洞宗で行なわれている坐禅である。
もうひとつは「公案禅(こうあんぜん)」。
これは修行者に公案と呼ばれる問題を与え、
これについてひたすら思案させる、というものだ。
この公案には、答えがはっきりとしない問題も多い。
例えば、「風の色は何色か?」といった調子である。
こういった公案を、禅をしている間のみならず、
四六時中考えさせるのである。
この公案というのは、
禅問答という言葉でも知られており、
こちらは臨済宗にて行なわれている。

「禅宗」は、仏教の世界では少数派である。
しかし、日本文化への貢献という視点で見れば、
恐らく、他のどの宗派よりも大きく貢献している。

身の回りにあるちょっとしたモノ、風習など、
その由来を調べてみると、
意外に禅宗由来のものがあるかもしれない。

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