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恵方巻き

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最近、コンビニの前を通ると、
大々的に恵方巻きの広告が張り出されている。

色とりどりの具材を巻き込み、
つやのある黒々とした海苔で、外側を巻いた海苔巻きは、
太々しくて、いかにもウマそうである。
もちろん、コンビニのみならず、
スーパーや寿司屋などでも、恵方巻きの広告が目立つ。
広告に目を通してみると、
「恵方巻き、予約開始」
との文字が目に入る。
つまり、節分時に食べる巻き寿司を、
あらかじめ注文しておいてくださいね、
ということらしい。
最近では、この手の予約販売が様々に広がり、
「恵方巻き」の他に、
「クリスマスケーキ」や「おせち」なども、
コンビニやスーパーで予約販売を行なっている。

しかし考えてみれば、
自分がまだ子供だったころ、
「恵方巻き」なんていう風習は、存在していなかった。
もちろん、どこか余所の地方には
そういう風習があったのだろうが、
少なくとも、自分の住んでいた播磨地方には、
節分に巻き寿司にかぶりつく、という風習はなかった。
節分は、せいぜい炒った豆をまくくらいで
それすらも「もったいない」ということで、
我が家ではセレモニー的に、
ひとつまみほどの豆を鬼にぶつけ、
残りはみんなで食べる、というのが慣例であった。
そこに巻き寿司は、全く存在していなかったのである。

自分が大学生になったころ、
節分に巻き寿司にかぶりつくという風習が、
どこからか伝わってきた。
うちの母親は、スーパーの総菜部でパートをしていたが、
その筋から我が家に「恵方巻き」という風習が入ってきた。
どうも、母親の働いていたスーパーで、
節分の巻き寿司セールというのをやったらしい。
これに影響される形で、
我が家でも、巻き寿司にかぶりついたのだが、
「一息に食べてしまわなければいけない」
というのが、大きなネックになったのか、
この後、定着することもなく、
我が家の「恵方巻き」はこれっきりになってしまった。

調べてみると、「恵方巻き」というのは、
江戸時代の終わりごろに、
大阪の商人が始めたという説が有力である。
これより古い説として、
戦国時代、豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が、
節分の前日に巻き寿司のようなものを食べて出陣し、
大勝利を収めたことに由来する、というものもある。
だが、板海苔の発明が江戸時代であることから、
この説の信憑性は低い。
この2説以外にも、様々な説があるのだが、
やはり「大阪で生まれた」とする説が多い。
「恵方巻き」は大阪で生まれたというのは、
どうやら間違いないようである。

だが、一体どういう理由で
巻き寿司を1本丸かじりするのか?ということに関して、
はっきりとした理由が提示されているものは少ない。

「商売繁盛と、厄払いの意味合いで」
というものが多いが、
そもそも巻き寿司をまるかぶりすることと、
「商売繁盛・厄払い」の間に、
どういう関係があるというのか?
少なくとも、日本人の好きな
「言葉遊び」の形にすらなっていない。

「切り分ける手間を省くため」
というものもあるが、
切り分けてない巻き寿司にかぶりつくと、
飯はボロボロこぼれ、具材も落下する。
食べにくいこと、この上ない。
確かに切り分ける手間は無くなるが、
それ以上に面倒な、食べる手間が発生している。
トータルで考えれば、苦労してまるかぶりするよりも、
巻き寿司を食べやすい大きさに切った方が、
はるかに効率的だろう。

「旦那衆の遊び」
というものがあるが、
まるかぶり自体に大した意味を持たせないこの説が、
一番リアリティを感じさせる。
この説を補強するわけではないが、
大正時代初期ごろの大阪の花柳界では、
節分時期に漬け上がる「新香」、
つまり漬け物を使った巻き寿司を
恵方に向かって食べる風習があった。

花柳界は、旦那衆の格好の遊び場所である。
旦那衆がこの手の遊びを思いつき、
実際にやってみたのも、
花街でのことだったのではないだろうか?
となると、当然、花街の芸者達も
これに付き合うことになる。
そのため、花街でこの節分の風習が
伝えられることになった。
花街で食べられていた巻き寿司が、
従来の太巻きではなく、
「新香」を巻いたものだったのは、
旦那衆の前でみっともない食べ方の出来ない芸者達が、
安価な「新香」の巻き寿司で、
まるかぶりの練習をしていたからではないだろうか。
これが長い年月の間に風化していき、
「新香」の巻き寿司をまるかぶりする、
という風習になり、伝えられたのだろう。

節分に巻き寿司をまるかぶりする、という風習は、
昭和初期から戦中にかけて、衰退している。
これが復活するのが、戦後になってからのことである。
大阪鮓商組合や海苔業者などが、
販売促進手段のひとつとして、
この「巻き寿司のまるかぶり」を、
復活させることを目論んだ。
「土用のウナギ」よろしく、
「節分の巻き寿司まるかぶり」をキャッチフレーズに、
巻き寿司の販売促進を狙ったのである。
ただ、これらはあくまでも
大阪という町の中での動きであり、
「地方の風習」という枠からは出ていない。
これが大阪という枠を飛び出し、
全国区への風習へと広がっていくのは、
コンビニで「これ」を扱うようになったためである。

1980年代に始まった
コンビニでの「節分の巻き寿司まるかぶり」は、
関西を中心にじわじわとその範囲を広げていき、
1990年代には、ほぼ全国へと広がっていった。
また、この動きにあわせるようにして、
スーパーなどでも、
節分に巻き寿司を扱う所が増えはじめる。
1990年ごろに、あるコンビニで
「恵方巻き」という名前で、節分の巻き寿司が販売された。
これをきっかけとして、「恵方巻き」という名前が
全国へと広まっていき、
2006年には国民の90%以上が、
この「恵方巻き」を認知するに至るのである。

ここ数年、節分になるとスーパーの弁当売り場では、
弁当類が隅っこの方に押しやられ、
一面に巻き寿司が並ぶ、ということになっている。
なかなかに壮観な眺めだ。

巻き寿司は現在、
家庭で作られることが、少なくなっている。
「巻き簾」がない家庭も多い。
しかし、実際の所、巻き寿司は
作ってみれば意外に簡単なものである。
下手をすれば、おにぎりを作るよりも簡単だ。

毎年、節分には「恵方巻き」を買っているという人も、
一度くらい、巻き寿司に挑戦してみてはどうだろう?
自分の好きなものばかり入った「恵方巻き」というのも、
楽しいのではないだろうか。

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