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コメ~その2

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前回、コメの消費、という点について、書いていった。

今回は、コメの歴史について書いていく。

コメは稲という植物の、いわば種子にあたる。

稲はイネ科イネ属の植物だ。

イネ科の中では、一番正当な種といっていいかもしれない。

同じイネ科の植物の中には、小麦、大麦、トウモロコシがある。

世界3大穀物は、全てイネ科の植物なのだ。

何十億という人類を、イネ科の植物が支えている、ということもできる。

稲の原産地については、2つの説がある。

ひとつは中国南部の長江下流域。

もうひとつは東南アジアという説だ。

長江下流域というのはかなり具体的だが、

東南アジアというのはざっくりしすぎている。

このどちらの説をとるとしても、アジア原産の植物であることは、

間違いない。

稲にはジャポニカ種、インディカ種などの種があるが、

ジャポニカ種については長江下流域で、約1万年前に栽培されていることから、

ここが原産地ではないか、という可能性が高くなっている。

稲が日本に入ってきたのは、縄文時代後期のことだ。

ある世代以上の人は、稲作の開始とともに、

弥生時代が始まった、と教えられてきていることから、

コメの流入=弥生時代の開始、というふうに考えている人も、

多いのではないだろうか?

実は研究が進んだ結果、縄文時代後期、

すでに稲作が始まっていたことが明らかになり、

現在ではこちらの説が、主流となっている。

これが紀元前11世紀頃、3000年以上前のことだ。

日本のコメ栽培の歴史は、3000年の歴史があることになり、

これは日本の公的な歴史よりも、長い。

というよりは、日本はコメを作ることによって、ムラ、クニという集団を

作るようになった、ともとらえることができる。

そうなるとこの国の建国は、コメの移入こそが、

その第1歩であったとも考えられる。

ただ、本格的な栽培が始まったとされる時期は、

伝来からずいぶんとたってからだ。

これには地域的な差があり、もっとも早い北九州で紀元前9世紀、

近畿地方ではこれに1000年遅れて、1世紀頃となっている。

関東地方はこれに200年遅れ、3世紀頃、

本州北端はさらに1000年近く遅れ、12世紀頃となっている。

北海道に稲作が伝わったのは、明治時代に入ってからだ。

これは3000年の稲作の歴史からすれば、ほぼ現代といっていい。

コメは太古から日本全土で作られていた訳ではなく、

ゆっくりと時間をかけて、日本の国中に広がっていったのだ。

弥生時代の遺跡からは、水田の後が発見されている。

つまり、稲は日本に伝来した当初から、水田によって栽培されていたことになる。

これは恐らく、稲だけが日本にやってきたのではなく、

稲と稲作の技術を持った人間が、その栽培地を求めて日本にやってきた、

ということだろう。

そのため、稲作に必要な技術をはじめ、道具なども一緒に移入された。

日本国内で鉄器が作られるようになったのは、弥生時代後半、

つまり1世紀~3世紀ごろである。

これは、後に朝廷のできる近畿地方での、稲作の開始時期と重なっている。

恐らくは鉄器による、コメの生産力のアップが、日本の国家誕生の

重要なポイントだったに違いない。

基本的には、この弥生時代の技術を踏襲する形で、

日本の稲栽培は進化していく。

といっても、特に革新的な変革はなく、品種改良にしても、

突然変異を待ち、特に実なりのいい株から籾をとって育てる、

という程度のものだった。

このやりかたは、明治時代まで変わっていない。

コシヒカリが開発されるまで、西日本で主に栽培されていた「神力稲」も、

このタイプの突然変異でできたものを、増やしていったタイプのものだった。

もとは、そのきれいな粒と、豊かな実なりから、

「器量善(きりょうよし)」と呼ばれていたが、

後に、これは神(天照大神)からの贈り物である、という意味を込めて

「神力稲」と名付けられた。

兵庫県たつの市御津町で生まれたこの稲は、現代では食用ではなく、

酒米として生き残っている。

優れた品種同士を交配する、「交配育種法」という方法が

使われるようになったのは、明治36年のことである。

ここから本格的な、品種改良の歴史が始まる。

この方法によって生み出された、交配種第1号が「陸羽132号」という品種だ。

寒さに強い「亀の尾4号」と、病気に強い「陸羽20号」を交配して作られた。

これを皮切りに、次々と交配が進められていくことになる。

そして昭和19年、うまい米の代名詞ともいえる「コシヒカリ」が誕生する。

味の良い「農林1号」と、いもち病に強い「農林22号」を配合した結果だ。

以降「コシヒカリ」は、実に70年近く、その評判を保ち続けている。

現在に至っても、「コシヒカリ」の作付け面積は

全品種の中でも、抜きん出ている。

もうひとつ、有名な品種のひとつに「ササニシキ」があるが、

これも「コシヒカリ」と同じく、「農林1号」と「農林22号」を

交配して作られている。

まるで競走馬を作るのと、同じ感覚だ。

ただ、馬と違うのは、完全に公的機関である農業試験場で行なわれているため、

交配するのに、必要以上の費用がかからないことだろうか。

そしてその成果は、民間に還元されている。

日本は、その歴史の最初から、コメによって動いてきた。

と、いうよりはコメという植物を効率的に作り上げるために、

クニという共同体が出来上がった、ともいえる。

ここ最近、コメの関税を自由化するように、外国からの圧力が強くなっている。

これに、懸命に抗っている、というのが現状だ。

しかし実際の所、農業人口の減少、高齢化、さらには日本人のコメ離れ。

この流れを見ていると、コメの輸入が自由化されるころには、

すでに日本は、有望なコメ市場ではなくなっているのかもしれない。

今回は、コメの歴史に焦点を合わせて書いてみた。

次回は、日本国内のコメの種類、味について書いてみたい。

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