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食べ物

海苔

投稿日:

子供のころ、寿司といったら巻き寿司だった。

海苔巻きである。

世の中には、握り寿司というものがあるということは、

テレビなどで知ってはいたが、それを初めて食べたのは

中学に上がって以降だったと思う。

そもそもうちでは寿司、というのは家で作るものであり、

買ってくるという発想がなかったのだ。

中学に上がる前に、いなり寿司とちらし寿司は解禁(?)になっていたが

やはりそれでも寿司、といえば海苔巻きだった。

刷り込みとは、恐ろしいものである。

今回はこの海苔巻きにかかせない、海苔について書いていく。

海苔は、極めて日本的な素材だ。

日本以外では中国、韓国等で食べられている。

これは、極東という昔から交流のある圏内でのことなのだが、

これ以外にも、イギリスのウェールズ地方で海苔が食べられている。

日本のように薄いシート状に加工したものではなく、

ペースト状のもので、見た目は海苔の佃煮に近い。

これをウェールズの人たちは、パンなどに塗って食べているようだ。

あまり一般的な食品ではなく、「珍味」扱いであるという。

地球の裏表といっていい日本とイギリスで、

それぞれどういう経緯で海苔を食べる文化が生まれたのか、興味は尽きない。

消費量、ということになると日本が一番多い。

だが、最近では日本食ブームの影響もあり、

海外でも海苔の消費量は増えてきている。

やはり寿司用の食材としての、利用が多い。

ただ、その黒い紙のような外見から、カーボン紙のようだと拒否感もあり、

海外の巻き寿司では、海苔を内側にして巻く、

カリフォルニアロールのようなタイプが、主体になっている。

たしかに、昔に比べれば、受け入れられていると言えなくもないが、

やはりまだまだマイナー食品の域を出ていないようだ。

日本では、海苔はいつごろから食べられていたのだろう?

文献で確認できる最古のものは、飛鳥時代の「大宝律令」だ。

これは701年に制定された、法令だが、

この中に、海苔が税として朝廷に納められていたことが記されている。

「常陸国風土記」によれば、ヤマトタケルについての記述の中に、

浜で海苔を干していたことが記述されている。

これは多分に物語的な要素が入っているので、

そのまま信じてしまうことはできないが、ここに書かれていることが、

事実だとすれば、第12代景行天皇の時代には、

すでに海苔が食べられていたことになる。

海苔が初めて養殖されたのは、江戸時代からだ。

それまでは天然の海苔を採取するだけであったが、

貞享年間(1684~1687年)に、江戸で養殖が開始された。

「武江年表」(1850年)によると、

現在の大田区大森で、海苔の養殖が始まったとある。

もともと大森には、将軍家に献上する魚を育てていた池があり、

この池を囲んでいた木の棒に、海苔がついているのを発見したのが、

養殖のきっかけになったといわれる。

それまで海苔は、天然物を採取するだけだったので、収穫量が少なく、

高級品として扱われていたが、この養殖技術の開発により、

収穫量はそれまでの数十倍に跳ね上がり、庶民の口に入るようになった。

海苔が現在のような、シート状になったのは、江戸時代中期のことだ。

当時、浅草では「浅草和紙」という紙が漉かれていたが、

この紙すきの技術を、そのまま転用することによって、

現在の板海苔が出来上がった、

このため、海苔の原産地は大森であったが、

「浅草海苔」の名前で販売されることになった。

この形状になったことで、「海苔巻き」という寿司が出来上がった。

「海苔巻き」は当時の江戸で、一種のファーストフードとして

かなりの人気だったようだ。

しかしこのころの海苔の養殖は、全くの運任せのものだった。

海苔の生態がはっきりとしていなかったため、

海苔の養殖は運や勘に頼ることが多く、

海苔のことを「運草」と書くこともあったという。

収穫量は極めて不安定だった。

これが解消されることになるのは、昭和24年のことだ。

イギリスの学者、ドリュー女史が海苔の糸状体を発見。

海苔のライフサイクルが解明されて、人工採苗に向けて大きく技術が前進した。

これにより天然のタネ場が遠く、人工養殖できなかった場所でも

海苔の養殖ができるようになったのである。

極東以外で、唯一海苔を食べていたイギリスの学者が、

この発見をしたことは、何となく運命的ですらある。

現在、海苔の生産量全国1位は佐賀県である。

その生産量は圧倒的で、年間7万tも生産している。

それに大きく引き離され、生産量2位は兵庫県である。

その生産量は4万tで、コンビニおにぎりなどに多く使われている。

兵庫県では、大正末期から海苔養殖がはじめられた。

場所は揖保郡網干町が、海苔養殖発祥の地といわれている。

現在の姫路市網干区だ。

時代的に考えてみれば、このころは人工採苗がまだ行なわれておらず、

完全に勘・運任せの養殖であったことを考えると、

近くに天然海苔のタネ場があったようだ。

ただ現在では、網干近辺では海苔養殖は行なわれていない。

工業用地確保のため、海が埋め立てられたことで、タネ場が消滅したと思われる。

大正末期から昭和初期にかけての、

兵庫県内の海沿いの漁家の食事情を調べてみると、

明石、淡路、但馬すべてで、天然海苔を採取して食べている。

ただ天然の海苔を採取するのは、冬場の作業であり、

寒さの厳しい但馬海岸などでは、かなり辛い作業だったようだ。

当時、県内のほぼ全てで、祝い事などの晴れの食として、

板海苔を使った巻き寿司が、サバ寿司、ちらし寿司などと一緒に供されている。

これは海から離れている、県中央部の山地や、丹波地方でも同じだ。

現在ほどの大量生産はされていなかったにせよ、

県内で生産される海苔は、一応の需要を満たしていたと思われる。

子供のころ、寿司といえば巻き寿司のことだった、と書いた。

もちろん、具材は卵焼きや、アナゴ、三つ葉、椎茸などだったのだが、

子供のころは、これがあまり好きではなかった。

それを見越した母親が、シーチキンのマヨネーズ和えとキュウリ、

レタスの巻寿司を大量に作って、子供達に食べさせた。

……今思えば、全くお子様の味覚だなぁ、としみじみと思う。

しかし、子供がお子様の味覚なのは、自然なことなので、

これはこれで健康な子供だったのだろう。

いつの間にか、自分の味覚も変わり、卵焼きやアナゴの入った巻寿司を、

とても美味しく感じるようになった。

現在では、握り寿司よりも巻寿司の方が、好きなくらいである。

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