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こなもん番外編~回転焼き・鯛焼き

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前回、前々回に続いてこなもんに関してだ。

と言っても今回は、はたしてこなもんと言ってしまって、いいものかどうか?

今回書くつもりの、「回転焼き」と「鯛焼き」は、軽食というよりも

お菓子の分類に入るだろう。

と、いっても「お好み焼き」、「たこ焼き」に並んで、

祭りなどの屋台で販売されているし、

小麦粉が重要な役割を果たしていることは明らかなので、

今回、番外編として取り上げてみることにした。

「たこ焼き」の回に、自分の家にたこ焼き機があることを書いた。

これはまあ、関西圏ではそれほど珍しいことではない。

しかしその時に触れなかったが、うちにはそれと並んでたい焼き機がある。

は?なにそれ?と思われるかもしれないが、

「鯛焼き」の型がふたつあり、これで実際に昔、「鯛焼き」を焼いてもらった。

ワケがわからないが、その時は確か「鯛焼き」がお昼ご飯だった。

というわけで、少しでも縁の深い「鯛焼き」から歴史を探っていく。

「鯛焼き」の出自を探っていくと、必然的に「回転焼き」にいきつく。

「鯛焼き」は「回転焼き」のアレンジのひとつとして、生み出された。

どこで生まれたか?ということについては諸説ある。

有力なのは三重県津市の「日の出屋食堂」という店であるという説。

もうひとつ有力なのは東京麻布の「浪速家」という店であるという説。

両方とも、1900年頃から「鯛焼き」を作りはじめている。

どちらかがどちらかを真似した、と考えるには、距離が離れすぎている。

模倣して作ったというのなら、もっと情報の伝わりやすい近所から

作り始めるはずだ。

と、なると、これは同時期に、同じ発想で作り上げたということになる。

そうなってくると、何か共通の、発想を喚起するような、

出来事があったのではないか?

しかも2カ所の距離が離れていることから考えて、

それは地方の出来事ではなく、全国区の出来事であったはずだ。

1900年あたりで、それらしいものと言えば、日露戦争ぐらいだろうか?

1905年、日本海海戦の大勝利を持って集結したこの戦争は、

当時、奇跡的な勝利といわれた。

恐らく、国を挙げての祝賀ムードに酔ったはずだ。

その祝賀ムードが、東京と三重の回転焼き屋に、

鯛の形をした「回転焼き」を発想させ、生み出させたのではないだろうか?

この2つの「鯛焼き」から、「鯛焼き」の歴史が始まったとするのは、

穿ち過ぎであろうか?

ちょっとワケのわからない話だが、「鯛焼き」に天然ものと養殖ものがある。

なにいってんの?と思われるかもしれない。

じつは「鯛焼き」の型には、長細い鉄板に複数の鯛の型がついていて、

同時に複数焼けるものと、完全にひとつしか焼けないタイプの型がある。

前者で焼いた「鯛焼き」を養殖もの、後者で焼いたものを天然ものという。

つまり我が家で焼いていた「鯛焼き」は天然ものだったわけだ。

次は「回転焼き」だ。

これは実に名前が多い。

全く同じ形をしていても、ここまで違う名前があるものかと驚く。

ちなみに自分の住んでいる地方では、これは「御座候」と呼ばれている。

それではわからないと思うので、比較的知られているであろう「回転焼き」を

タイトルに持ってきた。

主な呼ばれ方として、「今川焼」、「大判焼き」、「回転焼き」などがある。

「御座候」をはじめとする地方名は、いちいちあげられないほど、

多く存在するので、今回は割愛する。

ここからは「回転焼き」で話を進めていく。

「お好み焼き」などと違って、「回転焼き」は素材的には極めてシンプルだ。

生地は小麦粉に卵、砂糖を混ぜ合わせたもので、

これには地方差というものがない。

さらに中に入っているのは、どれも基本的には小豆餡である。

もちろん、最近ではカスタードクリームやチョコレートなど、

ありとあらゆるものが、餡の代わりに中に入っているが

基本的にはどこでも、小豆餡の「回転焼き」がスタンダードだ。

来歴も確かだ。

江戸時代中期の安永年間、つまり西暦でいうと1772~1780年の間になる。

江戸神田西今川町、神田東今川町の、今川橋近くの店が、

この焼き菓子を作ったといわれている。

店の名前などは、明らかになっていない。

しかしこの「今川橋」から「今川」というのを拝借して、

「今川焼」となったというのが、その名前の由来らしく、

正式には「今川焼」と呼ぶのが、正しいようである。

ただ名前の由来については異説もあり、

それによると「戦国大名・今川氏の家紋に似ているため」という説がある。

今川氏の家紋は、黒丸の中に白い横線が2本、引いてある。

これが似ている、ということになるのなら、

○紋の家紋は全て似ている、ということになってしまう。

おそらく、これは今川の名前を掛けただけの、言葉遊びのような説だろう。

これが全国に広がっていったわけだが、各地にて名前が変わる。

その事実を考えると、「今川焼」の名前は、

イマイチ受けがよくなかったのではないだろうか?

ただ、これに近いものを、「お好み焼き」の回で紹介している。

「助惣焼き」だ。

これは小麦粉を溶いたものを、薄く鉄板の上で焼き、

この皮で餡を包み込んだものだ。

生地に若干の違いはあるが、味わい的にはかなり

「回転焼き」に近いのではないか?

これが焼かれていたのが、寛永年間だ。

西暦では、1624~1645年だ。

江戸時代にあっては、かなりの初期になる。

守貞謾稿(1837年)で、「助惣焼」について書かれているが、

それによると、当時、すでに廃れる寸前のようである。

これは似た味わいで、ボリュームのある「今川焼」に押されて、

廃れていった、とは考えられないだろうか?

さて、途中に書いたが、自分の住んでいる播州地方では、

「回転焼き」のことを「御座候(ござそうろう)」と呼ぶ。

他の地方のネーミングと比べてみても、圧倒的に異質だ。

なんだ、「御座候」って?と思う人は多いだろう。

実はこれ、会社名なのである。

姫路市にある「御座候」という「回転焼き」のチェーン店である。

関西地方と、東海地方を中心に展開しているので、その地方の人なら

知っている人も、いるかもしれない。

しかし「御座候」は「回転焼き」チェーンでありながら、

姫路本社工場をはじめとする、姫路近辺の店では、担々麺や餃子も売っている。

全然「回転焼き」とは関係ないのだが、普通に担々麺や餃子を売っていて、

普通に客が入っている。

安くてうまいので、人気がある。

そして同じ場所で「回転焼き」も焼いて、売っている。

冷静に考えれば、結構不思議な光景なのだが、

それを不思議に思わないのが、姫路市民である。

それは生まれたときから、ずっと目にしている光景だからだ。

興味のある人は、姫路観光のついでに是非。

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