雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

食べ物

こなもん~お好み焼き

投稿日:

前回、こなもんのひとつ、たこ焼きの歴史について書いた。

今回は、もうひとつのこなもん、お好み焼きの歴史について書いていく。

たしか「じゃりん子チエ」のマンガで、

ホルモン焼き、お好み焼き、カルメラ焼きを、

日本古来のもの、といっていたキャラクターがいた。

ホルモン焼きは戦前からのものなので、古来というほどの歴史はない。

だが、カルメラ焼きは古い。

16世紀の半ば、ポルトガル人宣教師によってもたらされた、南蛮菓子である。

別名、カルメ焼き。

古いが、もともとは西洋の菓子である。

そして今回のテーマ、「お好み焼き」。

「お好み焼き」の歴史を遡っていけば、その歴史が意外と浅いことに驚く。

そもそも「お好み焼き」の名前が出来上がったのが、戦後のことである。

名前の歴史、という点では一番短い。

では、「お好み焼き」になる以前はどういう名前だったのか?

実はここで、候補がいくつかに別れる。

その候補と思われるものをあげてみよう。

まず「どんどん焼き」。

これは小麦粉を溶いた生地を焼き、それに魚肉ソーセージ、青のり、天かす、

ネギ、干しえび、紅ショウガなどを乗せて焼く。

味付けは醤油か、ソース。

具には地域差があり、焼き上がったものを割箸などに巻いて食べる。

地方ではまだ残っている所もあり、関西方面では「はしまき」とも呼ばれる。

屋台などで売っている。

明治時代から昭和初期にかけて、販売されていた。

次に「一銭洋食」。

小麦粉を溶いた生地を鉄板で焼き、それにネギ、キャベツ、こんにゃく、もやし、

魚粉、タマゴ、天かすなどが具材として用いられた。

味付けにはソースが使われており、かなり「お好み焼き」に近い。

大正時代の関西地方で、子供相手の商売だったようだ。

「ちょぼ焼き」。

「たこ焼き」の時にも紹介したが、小麦粉を溶いたものを、

くぼみのある鉄板で焼き、こんにゃく、紅ショウガ、エンドウ豆、などを

具として入れている。

ネギや鰹節をまぶして食べる。

普通の鉄板ではなく、専用の鉄板で焼く所がポイントだ。

大正から昭和初期において、食べられていた。

以上の3点の他にも、神戸長田の「にくてん焼き」、

大阪岸和田の「かしみん焼き」などが候補としてあがる。

しかし「にくてん焼き」と「かしみん焼き」は現在でも郷土食として残っており、

「お好み焼き」の直系のものではないようだ。

それぞれに特徴はあるが、この中では「一銭洋食」が、内容、形態ともに

いちばん「お好み焼き」のそれに近い。

ただ歴史の古さを考えると、「お好み焼き」→「一銭洋食」→「どんどん焼き」

という流れが正統のようだ。

「ちょぼ焼き」はやや亜流の感がある。

ここからさらに遡ると、「もんじゃ焼き」になる。

これは、明治時代に作られたといわれる。

特徴は、小麦粉を溶いた中に、ソースを始めとする調味料も、

全て混ぜ込んでしまう所だ。

具材は色々あるが、キャベツ、天かす、青のり、切りイカ、削り節等。

ただキャベツが一般に普及したのは、戦後のことなので、明治時代には

使われることはなかっただろう。

野菜が使われたとしても、ネギくらいではなかったか。

さらにソースだが、明治時代、いち早くソースが普及したのは関西だった。

もんじゃ焼きが誕生したといわれる、東京の下町では明治後期まで

ソースは普及していない。

順当に考えれば、ソースに変わる調味料が生地に混ぜ込まれていたはずであり、

それはやはり醤油以外に考えられない。

「もんじゃ焼き」が江戸時代から食べられていた、という話がある。

1819年の『北斎漫画』に、「文字焼き」の名前を見ることができる。

これは「もんじやき」と読み、「もんじゃ焼き」の元となったということだ。

焼いた鉄板の上に、溶いた小麦粉を流し、文字を書いたという。

文字を書く、というなら混ぜ込みの具材はなかったであろうし、

後から具材を乗せる、ということもなかったはずだ。

となると、生地に味付けがなされていたか、

焼き上がったものに、調味料で味付けしたのか?

詳細はわからない。

が、これははたして「もんじゃ焼き」の前身としていいのだろうか?

「文字焼き」を崩す形になったものに対して、「もんじゃ」とするのも

わからないでもない。

が、この「文字焼き」は遊びの要素が強すぎる。

これでは軽食というよりも、エンターテイメントだ。

確かに「お好み焼き」にも、エンターテイメント的な要素があるが、

その基本は食事だ。

「文字焼き」は、その方向性が違いすぎている。

「もんじゃ焼き」には、もうひとつ遡っていくことのできるルーツがある。

「助惣焼」だ。

これは小麦粉を溶いて薄く伸ばして焼き、それに小豆餡を包んだものである。

和風のクレープといえる。

そういう意味では、軽食ともファーストフードともいえて、

「お好み焼き」の系列にあるように思える。

しかし「助惣焼」と「もんじゃ焼き」の差は大きい。

まず、素材的にいえば、これは「もんじゃ」というよりは、

「回転焼き」や「鯛焼き」のものだ。

次に形態的にいえば、具材を生地に混ぜ込むことをしていない。

これは、後のどれとも違う。

さらに味そのものの違いだ。

この「助惣焼」は「甘味」である。

これも後のものとは、味わいが違いすぎる。

はっきり言うと、これでは菓子である。

あまりにも隔絶が大きいのだ。

これを「もんじゃ焼き」のルーツとするには、無理がありすぎる。

この「助惣焼」をルーツとした場合、さらにひとつ遡ることができる。

「麩の焼き」だ。

これは千利休が、茶菓子として作らせていたことでも有名だ。

もとは仏菓子である。

これも、庶民の軽食としての「もんじゃ焼き」とは、スタンスが違う。

結局の所、「もんじゃ焼き」以前には、

しっかりとしたルーツを探ることはできなかった。

つまり、大きな流れをいえば、こうなのではないか。

まず、明治期に東京で「もんじゃ焼き」ができあがる。

これをよりファーストフード的にしたものが、箸に巻いた「どんどん焼き」だ。

屋台で販売できる形になって、これは日本中に広がっていく。

それが関西で「一銭洋食」という形で再び鉄板の上に戻る。

そして戦後、「一銭洋食」は「お好み焼き」という形で、生まれ変わる。

これが、「お好み焼き」の出来上がった流れのようだ。

「たこ焼き」と違い、「お好み焼き」は一般家庭でも作ることができる。

専用の焼き道具が、いらないからだ。

本式には鉄板の上で作るが、これはフライパンで代用できる。

そうなると、実際には小麦を溶いて具材を混ぜ、焼くだけの簡単な料理だ。

そのため、我が家でも「お好み焼き」は定番メニューだった。

食べ盛りの子供には、1枚では足りず、何枚も焼いてもらって食べた。

やがて世間で、ご飯のおかずに「お好み焼き」というのが話題になった。

どうも世間から、白眼視されている、とかそういう論調だった。

だが、このニュースを聞いたうちの母親はこれ以降、

嬉々として「お好み焼き」にご飯をつけてくるようになった。

「お好み焼き」を何枚も焼く手間を減らすためだ。

……まったく、よけいなことが話題になったものである。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-食べ物

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.