雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

食べ物

こなもん~たこ焼き

投稿日:

よく、大阪人の家には、すべからく「たこ焼き機」がある、という。

それが本当なのかどうか、確かめたことはないのだが、

兵庫県人である我が家には、確かに「たこ焼き機」があった。

それでよく、たこ焼きを作っていた記憶がある。

一般家庭でたこ焼きを焼くというのは、全国的にはあまりないのかもしれない。

実際、兵庫県の南西部にあるうちのまわりでは、

たこ焼きを自宅でやっている家というのは、あまり聞かなかった。

そういう意味では、うちは変わっていたのだろうと思う。

今回は、このたこ焼きの歴史について書いていく。

最近、「こなもん」という言葉を聞くようになった。

大体はたこ焼きと、お好み焼きをさしている。

広義にいえば、小麦粉食を表す「粉食」のことだろうが、

これが「こなもん」という関西弁になると、とたんにB級じみてくる。

言葉とは恐ろしいものだ。

「たこ焼き」については、その元祖といわれる店がちゃんとある。

大阪西成区の会津屋という店だ。

ここの店の初代店主が、昭和10年に「たこ焼き」を作った。

といっても、この「たこ焼き」に近いものは、それ以前から存在していた。

現に会津屋でも、「たこ焼き」を販売するまでは、

「肉焼き」というタコの代わりに牛肉の入ったものを販売していた。

さらに遡ると、この「肉焼き」は「ラジオ焼き」と呼ばれるものを、

ヒントにして作られている。

では「ラジオ焼き」とは一体なんなのか?

「たこ焼き」にタコが入り、「肉焼き」に肉が入っているのなら、

「ラジオ焼き」にはラジオが……、と考えてしまうが、

さすがにそんなことはない。

「ラジオ焼き」の中には、こんにゃくが入っていた。

明治時代の末期から作られていたようだ。

どこで?というのは明らかでない。

ただ会津屋の初代が、大阪に出てきて「ラジオ焼き」に出会ったとあるので、

大阪近辺で誕生した可能性がある。

形状が、後述する「明石焼」に似ているため、

大阪から明石の間、ひょっとしたら神戸辺りかもしれない。

さらにこの「ラジオ焼き」という名前だ。

当時ハイカラだった、ラジオにあやかって「ラジオ焼き」と名付けられた。

ハイカラなものから名前をとろうとする辺り、神戸っぽい気もする。

味付けは醤油味で、ソースをつけて食べる食べ方は、まだ始まっていない。

形はたこ焼きそのもので、小麦粉を溶いたものを、

たこ焼き機と同じような形をした鉄板で、丸い形に焼いている。

ではこの「ラジオ焼き」からさらに遡れば?

ここで2つに説が分かれる。

「ちょぼ焼き」と「明石焼」だ。

「ちょぼ焼き」は小麦粉を水で溶いたものを、くぼみのある銅板に流し込み、

そこにこんにゃく、紅ショウガ、エンドウ豆などを入れて焼いたものだ。

味付けは醤油で、鰹節やネギをまぶして食べる。

材料は「ラジオ焼き」に近いが、形は「お好み焼き」に近い。

やはり明治末期くらいに、作られはじめたようだ。

「ちょぼ」の名前の由来も多く、どれも決め手に欠ける。

「明石焼」は卵液、出汁、浮粉、小麦粉を混ぜて作った生地を

たこ焼き機と同じ形をした銅板を使って焼き、中にタコを入れる。

具はタコだけだ。

ソースや醤油などで味付けはせず、薄いだし汁にひたして食べる。

生地が「ラジオ焼き」と違っているが、形は「ラジオ焼き」そのものだ。

これは江戸時代の後期から食べられている。

歴史の古さという点では、「ちょぼ焼き」よりも圧倒的に古い。

原料に卵を使う点から「玉子焼き」とも呼ばれるが、

作られた地名をとって、「明石焼」という呼称の方が一般的だ。

ただ、「明石焼」が初めて作られた江戸時代、

かけそば1杯16文の時代に、ゆで卵が1個20文した。

加工していない生卵なら、若干安かったかもしれないが、

そうそう大量には使えなかったのではないか?

もちろん、これは江戸での値段であり、明石では値段が違っていた可能性もある。

だが、存外、江戸時代の「明石焼」の生地は卵の割合が少なく、

「ちょぼ焼き」や「ラジオ焼き」の生地に、近かった可能性もある。

「ちょぼ焼き」と「明石焼」。

どちらが「ラジオ焼き」に近かったかと言えば、やはり「明石焼」ではないか?

そして「明石焼」より前の時代には、遡っていくことができなかった。

恐らく、「明石焼」こそが、「たこ焼き」の直径の先祖に違いない。

「明石焼」→「ラジオ焼き」→「肉焼き」→「たこ焼き」と、

進化の流れがあったに違いない。

江戸時代後期、明石にて、卵とタコを使った「明石焼」が完成。

これが、広がっていかなかったのには、理由がある。

明石のタコ漁は、初夏から晩秋までのもので、

生のタコが使える時期は限られていた。

昭和の初期でさえ、明石のタコ漁は6月から9月までだ。

この時期以外に利用されていたタコは、干しダコだった。

つまりかなりの時期、「明石焼」は季節限定のものであり、

1年中食べれるものではなかったのだ。

この時期という弱点を克服するために、1年中手に入るこんにゃくを使う、

「ラジオ焼き」ができたのではなかろうか?

恐らくは、1年中「ラジオ焼き」を作ることができるため、

商売としても、安定感があったのではないだろうか?

やがてこの「ラジオ焼き」が、会津屋に伝わる。

ここで牛すじ肉を使った、「肉焼き」が生まれる。

やがて「明石焼」の存在を知った会津屋は牛肉に変わり、再びタコを入れる。

恐らくこの時期には、冷凍か輸入かによって、1年中タコを使えるように

なっていたに違いない。

こうして「たこ焼き」は完成したのである。

家庭でたこ焼きを作っていると、具材が足りなくなったり、

あるいは余ったりする。

具材であるタコが足りなくなると、それこそ何でも放り込む。

漬け物、ソーセージ、チーズ、納豆等々。

別にタコでもなくても、具材は何でも、美味しいものができる。

逆に、余ったときも面白い。

生地よりもタコの方が多いたこ焼き、

紅ショウガを大量にぶち込んだ紅いたこ焼き。

これはこれで面白いものができる。

……美味しいとはいわないが。

最近では、電気屋やホームセンターなどでも、たこ焼き機を売っている。

少しでも興味のある人は、是非自宅でやってみてほしい。

難しそうに思えても、存外そこそこのものができる。

子供のいる家庭では、一家揃ってもりあがり、

楽しい食事になることは、間違いない。

次回は、もうひとつのこなもん、お好み焼きについて書いていく。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-食べ物

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.