雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

特撮、テレビ 雑感、考察

命の価値〜特撮編

投稿日:

前回、「ゲーム」というメディアを中心として、
「命」の価値について考えてきた。
今回は、メディアを「特撮」というジャンルに移し、
「命」について考えていく。

まずは、「ライダー」シリーズから見ていく。
「ライダー」シリーズといっても、自分の年代的に
取り上げるのは、昭和ライダーが中心となる。

意外なことだが、ライダーというのはあまり死なない。
V3とXライダーに関しては、
重傷を負って、生きるために、改造手術を施された。
実際には死んでいないのだが、
これを「死」から復活したという風に捉えれば、
この2人はそれぞれ一度、生き返ったということになる。

昭和ライダーの中で、唯一「死」が描かれたのは、
仮面ライダーBlackだ。
彼は終盤、宿敵シャドームーンに敗れ、命を落とした。
彼は、クジラ怪人の持つ「命のエキス」により復活、
その後の対決で、
シャドームーンとゴルゴムを壊滅させている。

同じく、限りなく「死」に近いのが、
仮面ライダーV3に登場した、ライダーマンだ。
番組終盤で、彼はプルトンロケットに乗り込み、
爆弾を使ってこれを破壊する。
当然、空中での大爆発となり、
プルトンロケットの中に乗り込んでいたライダーマンも、
これに巻き込まれて、死んだと思われていた。
しかし、次シリーズの仮面ライダーXで復活。
死んでいなかった、ということになった。
仮面ライダー1号と2号も、
V3序盤で核爆発に巻き込まれており、
それでも生きていたことから察するに、
ライダーは爆発には強い構造であるらしい。

さらに「スカイライダー」最終回。
8人ライダーが、ネオッショッカー大首領と戦い、
ライダーの力を合わせ、大首領を宇宙へ運び、
大首領とともに大爆発した。
爆発後、半透明のライダーが空で手を振っていたので、
子供心に「ライダー、死んじゃったんだ」と思ったが、
その後の仮面ライダースーパー1に、
8人で登場、死んでいなかったことになった。
宇宙空間で大爆発して、どうやって生還したのかは不明だ。

少なくとも、「ライダー」シリーズでは
ライダーの「命」はかなり大切にされていて、
ライダーの「死」が描かれることは、非常に少ない。
「命」=「爆発に巻き込まれても大丈夫」ということらしい。

これとは逆に、「ウルトラ」シリーズはひどい。

何せ、「ウルトラマン」第1話から
主人公・ハヤタが死んでいる。
しかも、殺したのはウルトラマンである。
形の上では、業務上過失致死ということになる。
その後、ハヤタを助けるためにウルトラマンが同化し、
命を共有することになるのだが、
このパターンは昭和シリーズの定番となり、
以降、結構な数の主人公が、第1話で命を落としている。

このシリーズにおいて「死」というのは、
枚挙に暇がない。
ウルトラマンの最終回、ウルトラマン自身が死ぬし、
ウルトラマンジャックは、
怪獣スノーゴンに身体を凍らされた後、
バラバラにされている。
まるで横溝正史のミステリーのようだ。
ウルトラの父は、地球にやってきて5分ほどで死ぬし、
ウルトラマンタロウは、首を切られたりもする。
タロウは自らの技、
ウルトラダイナマイトで粉々になったり、
火山怪鳥バードンに突き殺されたりもする。
このときはゾフィも突き殺されていた。
ウルトラマンレオでは、変身できないセブンが
円盤生物に基地ごと食べられたり、
レオ自身、身体をバラバラにされたりしている。
彼らにとって、「死」とは日常茶飯事なのだ。

設定上は、何万年も生きているウルトラマンだが、
その長い人生において、何回死んだのか気になる所だ。
ちなみに設定上では、3万年前、
エンペラ星人との戦いによって、
多くのウルトラ戦士が死んだらしい。
このゾンビのような一族を、どうやって殺し切ったのか、
非常に興味をそそられる。

「ウルトラ」シリーズでは、
「命」=「決して無くならないもの」としてもいいだろう。

最後に紹介するのはロボットだ。
……いやいや、元々ロボットには「命」がないだろう、
と言われそうだが、まあ、ひとつの例として取り上げる。

まず取り上げるのは、「ジャイアントロボ」だ。
BF団によって作られたジャイアントロボは、
草間大作少年とともにBF団を脱出、これと戦うことになる。
最終回、巨大化し、自らが原子力エネルギーの
固まりであることを明かす、ギロチン帝王。
手を出せないユニコーン機関に対し、
降伏を迫るギロチン帝王。
そんな中、ジャイアントロボが
大作少年の命令を無視して出撃。
ギロチン帝王を抱えたまま宇宙に飛んで行き、
隕石に激突して、共に大爆発するのである。
いわば、自らの「命」を犠牲にして、
仲間を守ったということになる。

同じく、「大鉄人17」も最終回で、
敵のボス・ブレインを倒すために、
主人公の操縦で特攻をかける。
その最後に、17は主人公の少年だけを強制脱出させ、
自分だけでブレインに特攻する。
結果として17とブレインは共に大爆発。
これも自らの「命」を犠牲にしたことになる。
さらに特筆するべき点として、
17は長らくパートナーであった、
主人公の少年の「命」を救っている。

ジャイアントロボも17も、
本来「命」は持ち合わせていない。
だが、両者とも明らかに仲間の「命」を守るために、
自らの破壊という最終手段をとっている。
核爆発に巻き込まれても死なないライダー達や、
何度死んでも、ゾンビのように蘇ってくる、
ウルトラマン達に比べると、
このロボット達の行動は、
たったひとつの「命」を、感じさせてくれる。

ロボット達にとっては、
「命」=「なにより大切なもの」ということらしい。
「命」を持たないロボット達の方が、
「命」の価値を感じさせてくれるというのは、
皮肉なことである。

ここまで「ゲーム」、「特撮」という2つのメディアで、
「命」の価値について考えてきた。
次回は最終回として「アニメ・マンガ」での、
「命」の価値について考える。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-特撮、テレビ, 雑感、考察

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.