今年に入って、世間を大きく騒がせた事件が2つある。
ある作曲家のゴーストライター事件と、
ある科学者の論文の無断引用事件だ。
この2つの事件に、共通していることがある。
作曲家と科学者の世間的評価が、もう全く180度変わってしまったこと。
それも世間の隅から隅まで、一気に変わってしまった感のあることだ。
いかにも日本人らしいのか、それとも人間らしいのか。
これを見ていて、子供の頃に遊んだボードゲームを思い出した。
オセロだ。
ひとつ石をうつと、パタパタと列が丸ごとひっくりかえる。
こんなボードゲームひとつに、人間社会の縮図がある。
今回はこのオセロについて書いていく。
オセロは極めて単純なゲームだ。
お互いに交互に石をうって、相手の石を自分の石で挟む。
そうすると挟まれた石が、ひっくり返り、自分の色になる。
盤面うちつくした後、自分の石が、多い方の勝利となる。
将棋は駒の動きを覚えるのが面倒くさく、
囲碁は、何をしているのかもわからなかった小学生の自分にも、
オセロのルールは即座に理解できた。
この辺りが、人気の理由かもしれない。
1973年、オセロのパッケージが発売され、オセロは世に出た。
社会的には、これがオセロ誕生の瞬間だろう。
オセロの考案者、長谷川五郎は、子供の頃にこのゲームを考案したというから、
考案から発売までのタイムラグは長かった。
発売された、と書いた。
つまり、オセロは一個の商品として、世の中に出たことになる。
オセロは商標登録されている。
だからオセロというのは、ひとつの商品名であると認識してもらっていい。
オセロとよく似たゲームに、リバーシというのがある。
これはオセロの発売に先駆けること100年ほど前、イギリスで考案された。
現在では、ルールに差異の無いオセロとリバーシだが、
もともとルールの違いがあった。
ひとつはゲーム開始時に、中央に4つの置き石をしないこと、
もうひとつはゲーム板に、線が引かれていなかったことだ。
現代ではこの辺りは、オセロと同じようになっている。
リバーシは明治時代に「源平碁」というネーミングで、日本に入ってきた。
日本にあった碁盤と碁石を、そのまま使ってできるゲームであった。
リバーシとオセロの関係については、はっきりとしない。
ルール自体が非常にシンプルなため、全く別ルートで考案された可能性もある。
というのも、オセロのルール自体は将棋(それもはさみ将棋)、囲碁のものと
似通った部分が多いからだ。
相手を挟んだら、一網打尽にできるというのは、はさみ将棋のものだし、
ひっくり返すという発想は、将棋の駒と同じだ。
敵が味方に、というのも将棋の発想で、これはチェスにはない。
それでいて盤上の見た目は、囲碁のものに酷似している。
少なくとも、日本にはオセロを生み出すだけの下地があったのは、確実だ。
「オセロ」という名前は、シェークスピアの「オセロ」からきている。
パタパタと盤上の状況が変わっていく様が、「オセロ」をイメージさせた。
黒人の将軍「オセロ」が黒石で、白人の妻が白石ということらしい。
なんとも文学的なネーミングだ。
ちなみにオセロの場合、「石」という。
これは碁の影響だろう。
これに対してリバーシでは、「駒」という。
これはチェスからきている。
あまり知られていないが、オセロにはハンデというものが存在する。
力量差によって、角に石を置いておく。
ここだけはひっくり返されることはないから、
どんなにこてんぱんに負けても、最低でも1~4個の石は確保できる。
……あまり、かっこいいものではないが。
子供の頃、オセロというのはおしゃれだった。
木の肌色の将棋盤や碁盤と違って、
グリーンの盤上に白と黒の石をうっていくオセロは、
子供心にすばらしくおしゃれに見えたのだ。
安物のオセロセットを買ってもらって、兄弟相手に遊んでいた。
そんな自分が、将棋や囲碁に興味を持たず、
同じ緑の卓上で、色とりどりの牌で遊ぶ、麻雀に傾倒していったのは
まさに3つ子の魂100まで、ということなのかもしれない。
オセロでは列のほとんどを相手の色に染められても、
その端に自分の石がひとつあれば、もう一度逆転することができる。
これもやはり人間社会の縮図だ。
作曲家の方は、もう自分の石は残ってなさそうだが、
科学者の方は、万能細胞の再現という石が、ひとつ残っている。
はたして科学者は、盤上の状況をひっくり返せるや、否や。