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弘法水

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日本で一番有名な僧侶といえば、誰だろうか?

行基、最澄、親鸞、法然、日蓮、一休、沢庵……。

名前が現代に残っていて、その偉業も伝わっている僧侶は、実はかなり多い。

無論、外国の歴史に詳しいわけではないが、

日本ほど、歴史上の偉人の中に僧侶が多いというのは、ないのではないだろうか?

その日本の僧侶の中で、一番有名で、人気のある僧侶と言えば、

弘法大師空海だろう。

空海とは、奈良時代から平安時代にかけて活躍した僧侶で、

真言宗をひらいた人物である。

香川県の出身であり、室戸岬の洞窟で悟りをひらいたという。

書道家としても有名で、日本三筆、つまり日本の書道家ベスト3に選ばれている。

もちろん業績としても、超一流であることは疑いもないが、

それが人気に直結するか?といえば、決してそんなことはないだろう。

では、どうして空海は日本人に親しまれ、人気があるのか?

その人気の鍵のひとつが、各地に伝わる弘法大師伝説だ。

弘法大師にまつわる伝説は多く、全国に5000以上存在する。

膨大な数だ。

その中で、ひときわ多いのが、『水』に関する伝説だ。

そのほとんどが、水で苦しむ人々のために井戸を掘った、という類のもので、

この弘法大師伝説のある水を、「弘法水」という。

今回はこの「弘法水」について書いていく。

自分の住んでいる兵庫県のたつの市にも、「弘法水」が存在する。

最も直近のものでは、「七つ井戸」という井戸があり、

自分の住んでいる地区に存在している。

これが、「弘法水」伝説の、お手本のような話なので、参考に書き出してみる。

ある年、大変な日照りが続いて、稲が枯れそうになった。

川のなかったこの村では、農業用水を池に頼っていたが、

その池が干上がってしまったのだ。

そんな時、村にみすぼらしい姿をした、坊さんがやってきた。

村が大変なときではあったが、村人達はこのお坊さんを寺のお堂に案内し、

布団や、村人が常食にしていた、はったい粉などを持ち寄って、もてなした。

翌朝、そのお坊さんが、「ありがとうございました。お礼に井戸を掘りましょう」

と、持っていた杖を地面に突き立て、お経を唱え始めた。

すると、きれいな水が溢れ出し、田んぼの方へ流れていった。

村人達が驚き、喜んでいるうちに、お坊さんは姿を消していた。

このお坊さんは、同じように近くで水で苦しんでいた6つの村に、

同じように井戸を掘った。

現在では、この井戸は「七つ井戸」と呼ばれ、村の人々に大切にされている。

この時、村にやってきたお坊さんは、弘法大師であったと伝えられている。

以上だ。

「弘法水」伝説の典型的な話になっている。

まるで、まんが日本昔話のようだ。

日本には、これに類する「弘法水」伝説が、1600以上もある。

実に弘法大師伝説のうち、3分の1が「弘法水」伝説なのだ。

なぜ、弘法大師の伝説には『水』にまつわるものが多いのか?

弘法大師の年表を調べてみると、水に関するものがひとつある。

821年の、讃岐満濃池の修築だ。

弘法大師の年表の中で、水に関するものはこれのみだ。

弘法大師が、堤防の決壊した満濃池の修築を指揮した、というものだが、

冷静に考えると、これは僧侶の仕事としては異例のものだ。

そもそも彼はどこで、こんな土木工事の技術を習得したのか?

この答えは、彼の中国留学に関係している。

彼の留学期間は2年間と、長いものではなかったが、

この間に、彼は梵語と密教を習得、さらに帰国前の4ヶ月間は、

越州で土木技術や薬学などを学んだ。

この時に学んだ土木技術の中に、治水工事の技術が含まれていた。

だとすれば、弘法大師が満濃池の修築を、指揮できた理由も納得できる。

そしてその治水技術の中に、井戸掘りの技術と、

場所の選定方法が含まれていたのではないか?

弘法大師の年表によると、中国留学の以前と以後に、

それぞれ、何をしていたか不明な、空白期間が存在している。

留学後の空白期、弘法大師には自由な時間があったことになる。

もし、「弘法水」伝説にあるような事例があったとすれば、

この時期に行なわれていた可能性が高い。

しかもこの時期は、弘法大師が中国から帰ってきてすぐの3年間だ。

習い覚えた技術を、すぐに実行してみたのではないだろうか?

伝説によれば、弘法大師が地面に杖を突き立てると、

水が噴き出したことになっている。

現実的に考えれば、こんなことは不可能である。

地面直下に水道管でもない限り、こんな現象は起こらないだろう。

これはむしろ、地面を少し掘っただけで水が出たことを、

誇張したものだろう。

それにしても空白期間は3年。

まるまる日本全国を回って、井戸を掘っていたとは思えないが、

仮にそうだったと仮定して、3年間で1500も井戸を掘ったことになる。

1年間に500。

あり得ないペースだ。

恐らくは井戸の出そうな場所を指定し、後は村人に掘らせたのだろう。

その指定がかなり正確だったために、空海のそれは一種の神通力のように

思われ、後の人気とカリスマ性に繋がっていった。

もちろん、それでも全ての伝説が、弘法大師本人によるものとは限らない。

中には高野聖と呼ばれる、真言宗の遊行僧の事績もあっただろう。

あるいは弘法大師も高野聖も全く関係のない、別人の事績だったかもしれない。

その全てが、おそらく弘法大師の事績へと収束されていったのだろう。

弘法大師の名前には、確かにそういう引力がある。

「弘法水」と呼ばれるものについて、書いてみた。

この「弘法水」は、北海道と沖縄を除く日本中に、点在している。

興味のある方は、身近な「弘法水」を探してみてはどうだろうか?

きっと思わぬ程、近くに存在しているに違いない。

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