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六古窯

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土をこねて、炎で焼くと極単純な焼き物ができる。

これはれっきとした化学変化であり、焼き物は人類が一番最初に作り出した、

化学変化による工業製品だ。

古代人達はこれを煮炊きなどの調理や、食料の貯蔵などに使った。

学者の中には、土器で煮炊きはできない、

そんなことをすれば土が溶け出してくる、というような意見を言うものいた。

が、これは間違いだ。

土器というのは泥団子ではない。

きちんと焼成されて、化学変化を経たものなのだ。

煮炊きをして溶け出すような土器は存在しないし、

もし煮炊きして土器が溶け出すようならば、それは土器ではない。

日本では、土器から須恵器、陶器、磁器と新しい焼き物の技術が入ってきた。

この「入ってきた」という所がミソで、日本は初期の土器の技術以降、

全ての技術を、大陸から輸入することにより、進化させてきた。

古墳時代、大陸より土器師が渡ってきて、須恵器の技術を伝えた。

奈良時代に、「唐三彩」をモデルにした国産陶器「奈良三彩」が作られ、

ここから陶器の歴史が始まる。

この日本の陶器の歴史の黎明期を担ったのが、愛知県猿投古窯。

今回のテーマ、六古窯のうち、5つの大本となった窯である。

現在、六古窯と言われているのは、瀬戸、常滑、丹波、信楽、越前、備前であり、

その中に猿投古窯の名は無い。

猿投は、現在の愛知県豊田市にあり、

日本最大の焼き物の町、瀬戸市と隣接している。

現在、瀬戸市では陶磁器が製造されているが、

猿投では全く陶磁器は作られていない。

猿投古窯で陶磁器が製作されていたのは、鎌倉時代の初期までで

それ以降は猿投での作陶は行なわれなくなった。

では猿投古窯では、どのようなものが焼かれていたのだろう?

猿投古窯で焼かれたのは、主に貴族が使うような高級な施釉陶器だった。

窯の性格としては、国営の官窯としてのものに近い。

恐らく、日本で最先端の技術を持つ唯一の窯として、

国産陶器を一手に製造し続けていたに違いない。

そして、後にここからふたつの民窯が誕生する。

まずは正当な施釉陶器の技術を受け継いだ、瀬戸。

そしてそれとは違い、一般庶民のための雑器などを焼く常滑。

この常滑からは、さらに技術が広まり、各地に民窯が誕生する。

渥美、信楽、丹波、越前、珠洲。

どれも一般庶民のための雑器を中心に製作した窯である。

このうちの信楽、丹波、越前は現代まで残り、渥美と珠洲は廃れた。

現代まで残った、信楽、丹波、越前は全て六古窯に選ばれている。

では、ここまでにあげた六古窯について、それぞれの性格を見ていこう。

まず、瀬戸は現代でも続く窯業の町だ。

もっとも全盛期に比べると、その規模はずいぶんと縮小している。

この町は陶祖、加藤四郎左衛門によって陶業が伝えられたという伝説があり、

現在、彼は陶彦神社に祀られている。

貪欲に技術を取り込む所があり、わりと節操のない所もある。

が、それも陶業にかけるエネルギーのすごさの一端だろう。

続いて常滑は一般庶民のための雑器を焼くことを信条とした、民窯だ。

特に大型の瓶や壷を焼くことが多く、そのパイオニアといえる。

タイルなどの工業製品も製造している。

常滑で作られる朱泥の急須は、現代でも人気は高い。

信楽は、もうなんといっても、タヌキの置物のイメージが強い。

実は信楽は土が良いことで知られている。

腰の強い土で、かなりサイズの大きいものでも成形することができる。

千利休ら戦国の茶人にその素朴な美しさを見いだされ、

以降は茶器の生産も行なわれるようになった。

越前焼は長く無名の焼き物だった。

注目を集めたのは、第2次世界大戦後に、六古窯に認定されてからである。

ここが認められることによって、五古窯が六古窯になった。

他の窯が茶器などを作ったりしていても、

かわらず庶民のための雑器を作り続けていた。

現在、越前陶芸村では多くの陶芸家が作陶に励んでいる。

丹波焼は、別名丹波立杭焼ともいわれる。

もともとは一般庶民のための雑器を焼いていたが、

茶器がもてはやされた時代には、これを焼いている。

施釉陶器も焼くようになったのは、京焼の影響だろうか?

茶器にしても、施釉陶器にしても、京都の影響を強く受けている気がする。

現代では六古窯以外にも、全国に陶業地が点在している。

六古窯というのは、その中でも特に歴史の古いものであり、

現在活動している六古窯以外の窯業地も、その多くは、元をたどっていけば

この六古窯に行き着くと思われる。

1000年以上の昔から、途絶えずに技術を継承し、磨き続けていることは

やはり価値のあることだろう。

その一方で、渥美焼や珠洲焼のように、廃れてしまった窯もある。

廃れてしまった窯が、復活することは少ない。

その点で言えば、焼き物の生まれた国、中国はすごい。

激動の歴史を送った中国では、陶業地も歴史に翻弄される。

ひとつの国の盛衰にあわせるようにして、陶業地も栄えて滅びる。

下手をすればその時に全ての技術が、失われたりもする。

しかし、中国の陶業地はその度に復活する。

社会の激動に巻き込まれ、窯の火を完全に消されても、隙あらば復活する。

そのたくましさこそが、中国陶磁器のすごさかもしれない。

さて、六古窯について書いてきた。

しかしここまで読まれた人は思っているだろう。

おい、備前焼はどこいった?と。

六古窯でありながら、猿投の血をひかない、いわば六古窯の中の異端児。

次回は独立独歩の備前焼について書く。

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