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親子丼

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By: ume-y

自分の丼歴を遡っていくと、「アナゴ丼」と「親子丼」に行き当たる。

丼歴、などという言葉があるのかどうかは知らないが、
これを人生における各種丼との出会いと、おつきあいの歴史と
定義するのであれば、自分の丼歴はこんな感じになる。

大学卒業後……「牛丼」、「豚丼」、「海鮮丼」
大学生時代……「うな丼」
中学生時代……「鉄火丼」「天丼」
小学生時代……「カツ丼」
それ以前 ……「アナゴ丼」、「親子丼」

それ以前、という曖昧な表記をした部分については、
すでに自分が物心ついたころには普通に食べており、
いつごろそれを初めて食べたのか、記憶に無いということである。

恐らくは、他の一般人と比べてみると、「牛丼」や「うな丼」の登場が
遅いのではないだろうか?
さらにいえば、「アナゴ丼」なるものは、
他の一般人の丼歴には登場しないかも知れない。

自分が「牛丼」を食べるのが遅かったのは、当時、牛丼チェーンが
身の回りに存在していなかったのも理由の1つで
あまり馴染みがなかったために、大学時代、近くに牛丼チェーンがあっても
そこに入ろうという気に、ならなかったからである。

「うな丼」を食べるのが遅かったのは、
自分が物心つく以前から食べていた「アナゴ丼」の影響である。
この「アナゴ丼」は、甘辛いタレをつけて焼いたアナゴ
丼飯の上に乗せたものである。
見た目的にいえば、「うな丼」とそう変わらない。
ただ、実際に食べてみると分かるが、「うな丼」に乗っているウナギと
「アナゴ丼」に乗っているアナゴは、全くの別物である。
よその「アナゴ丼」はどうか知らないが、
少なくとも我が家の「アナゴ丼」は、普通の焼きアナゴを
そのまま丼飯の上に乗せただけのもので、
それほど脂っ気も無ければ、柔らかくもなかった。
この脂っ気の無い「アナゴ丼」を食べ慣れていたために、
中学生の頃、親戚の所で初めて食べたウナギの蒲焼きは、
くどくて、くどくて、食べられたものではなかったのである。
そんなワケで、中学・高校時代は全くウナギを口にすることもなく
過ごしたのだが、大学生になり、
万事、味付けの濃い福岡に住むようになると、
自分の味覚もそれに対応して変化し、濃い味のものを好むようになった。
そんな自分の味覚の変化に気付き、過去に食べられなかったウナギを
もう一度試してみると、今度は問題なく
食べることが出来るようになっていた。

この「うな丼」の例を見ても分かるように、
物心つく前から食べていたものは、自分の味覚形成に
大きな影響を与えていることが分かる。
と、いうことは、もう1つの「親子丼」の方も、自分の味覚形成に
大きな影響を与えているはず、ということになるのだが、
幸いにしてこちらの方は、この歳になるまで
不都合を感じさせるほどの影響は与えていないようである。

「親子丼」は、割り下などで煮た鶏肉を溶き卵でとじ、
白飯の上に乗せた丼ものの一種である。
鶏肉の他に、ネギやタマネギ、カマボコなどを一緒に煮ることもある。
彩りとしてミツバやグリーンピース、刻み海苔が飾られることも多い。
「親子」という名前の由来は、
鶏肉(親)と卵(子)の組み合わせから来ており、
鶏肉の代わりに豚肉や牛肉を使った場合には、
「他人丼」と呼ばれることもある。
一方で、鮭とイクラの組み合わせで「(鮭・海鮮)親子丼」としたり、
鴨肉と卵の組み合わせで「いとこ丼」などと呼ぶこともある。

この「親子丼」が、いつ、どこで作られ始めたのか?
ということについては、わりと細かい所まで分かっている。
と、いうのも、「親子丼」発祥の店というのが現存しており、
今でもちゃんと営業しているからだ。

その店というのが、東京日本橋人形町にある「玉ひで」で、
こちらは創業が宝暦10年(1760年)という、
歴史のある鶏料理のお店である。
もともとは、幕府の鷹匠をしていた初代が
副業として始めた軍鶏鍋屋がその原型となっており、
やがて鷹匠仕事の方は完全に辞めて、軍鶏鍋屋専業となった。
1852年に上梓された名物店番付では、
鳥料理5店の中にランクインしており、当時から、
なかなかの名店だったようだ。
この店の軍鶏鍋は、割り下で鶏肉を煮て食べるすき焼き系のもので、
「鳥すき」と呼ばれていたのだが、ちょうどこの鍋の〆に
鍋に残っている肉と割り下を卵でとじ、
これをご飯と一緒に食べる客がいたようだ。
この「鳥すき」の卵とじを、特に「親子煮」と呼んだのだが、
ひょっとすると、以前に紹介した「ドジョウ」の柳川鍋を
真似してみたものかも知れない。
明治24年、「玉ひで」5代目の奥さんの発案により、
この「親子煮」をご飯の上に乗せて、一品料理とした。
これが「親子丼」である。
ただ、この時代ではまだ、汁かけ飯でもある丼ものは
下品なものとして軽んじられており、店で出すことは出来なかった。
そのため、出前専用の料理として販売を開始したのだが、
これが人気を呼んで、やがて店でも出すようになったという。
調べてみた所、これとほぼ同じくらいか、やや早いくらいの年代に
同じ丼ものである「牛丼」も誕生している。
こちらもすき焼きの元祖ともいえる「牛鍋」から誕生しており、
ある意味では「牛丼」と「親子丼」は、そのルーツにおいて
非常に似通っているといえるだろう。

さて、現在、「親子丼」を作るとなれば、
それ専用の底の浅い鍋を使うのが普通だ。
実際、我が家には、その丼専用の鍋があって、
自分もそれを使って「親子丼」を作っている。
ただ、自分が記憶している限り、昔、母親が「親子丼」を作るときには、
そのような専用の鍋を使っていなかった。
全く普通の鍋の中で、鶏肉やタマネギ、カマボコなどをダシで煮て、
そこに大量の溶き卵を流し込んでいた。
そのまま火を通して、ある程度、卵が固まったら出来上がりである。
これをオタマですくって、丼によそったご飯の上にかけていた。
非常に大雑把で、乱雑な調理法だが、
大人数の調理をする分には、そちらの方が楽だったのだろう。

それぞれ個別に専用の鍋で調理するより、大きな鍋でまとめて作って、
それを親子で分けて食べる方が、いかにも「親子丼」らしいと思うのは、
一人暮らしの今だから感じる感傷だろうか?

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