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歴史 雑感、考察

処刑〜その1

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By: ajari

日本には「死刑」制度がある。

このことについては、その可否について意見が対立している。
「死刑」廃止を訴える人もいれば、現状通り「死刑」存続を望む人もいる。
これらは単純にどちらが正しい、と言い切れる問題ではないのだが、
少なくとも我が国では、死刑制度を容認する声が全体の8割ほどもあり、
その世論によって……というワケでもないのかも知れないが、
死刑制度は今なお存続している。

人類の歴史を紐解いてみれば、「処刑(死刑)」というのは
原始時代の狩猟採集民族のころから行なわれているため、
人間はほぼ、その歴史の全てで、この制度と付き合ってきたわけである。
「死刑」というのは、その正当性、公平性は別にしても
一応、ルールの違反者に与えられる刑罰である。
だから逆に考えてみれば、「死刑」が行なわれていたということは、
そこには原始的とはいえ、「社会」が存在していたということになる。

ただ現在では、様々な考え方から、多くの国で「死刑」は廃止されている。
ECなどでは、その加入の条件として「死刑制度の撤廃」というものがあり、
ヨーロッパでは死刑を廃止している国が多いし、
それ以外にも南米やカナダ、オーストラリアなどでも死刑は廃止されている。
逆に日本を含むアジア諸国や、中東、アフリカ諸国などでは
死刑制度の残っている国が多く、欧米文化圏の中でも
アメリカ合衆国などでは、現在でも多くの州で死刑制度が残っている。
死刑制度の有無について、地域的な偏りが存在していることは
それぞれの地域における文化的な背景、思想の違いなどが
繁栄されているのかも知れない。
ただ、少なくとも、犯罪発生率と死刑制度の有無には
ハッキリとした関連性を見つけることは難しく、
それによって死刑制度の可否を語ることは、出来そうにない。

さて、そんな死刑制度であるが、現在の世界的な流れとしては、
死刑囚がなるべく苦痛を感じない、いわゆる「人道的」な方法で
刑を執行するということが、1つの命題になっている。
これを逆説的にいえば、過去の「処刑(死刑)」においては
死刑囚をなるべく苦しめる、いわゆる「非人道的」な方法が
その大半を占めていたということになる。
そう。
「処刑」の歴史を紐解いてみれば、
歴史を遡るほど「処刑」は残虐なものであり、
また、それは多くの人々の目前にて行なわれるものであった。
(21世紀になった現在でも、いわゆる「公開処刑」を
 行なっている国もあるが、本当にごく一部の国だけである)
何故、昔の人々は、多くの民衆の前で、
残虐な「処刑」を行ってきたのだろうか?

理由は簡単で、この手の公開処刑によって、
いわゆる「みせしめ」効果を狙っていたからである。
つまり、多くの市民の前で法を犯した、あるいは支配者に逆らった
罪人たちを残虐に「処刑」することによって、
法を破ったり、支配者に逆らえばどうなるのか?ということを理解させて、
その支配体制を固める目的があったのだ。
そういう意味では、古代ローマでの「処刑」はすごい。
古代ローマでは劇場(現在でも残っている円形闘技場の様な場所)で、
「処刑」を執り行っていた。
ここでは、劇場を埋め尽くしたローマ市民たちの目の前で、
多くの囚人たち(純粋な罪人以外にも、政治犯や異民族、異教徒なども
この括りに入れられて「処刑」された)が、残虐に「処刑」された。

その処刑方法の1つが「猛獣刑」である。
これはその名の通り、囚人たちをライオンやイノシシ、
ヒョウや野犬などに襲わせる「処刑」で、
囚人たちのいる闘技場に、これらの飢えた猛獣たちが放たれ、
凄惨に食い殺された。
現代人の感覚からすれば胸が悪くなる話だが、
ローマ市民たちはこの「処刑」を、一種の娯楽として楽しんだ。
何せ、当時のローマ皇帝の人気は、
「処刑」の数に比例するとさえいわれたほどである。
やがて市民たちはさらなる刺激を求め、それに応えるようにして
「処刑」はドンドンと手が込み、工夫を重ね、残虐なものになっていく。
ついには、囚人を剣闘士に仕立て上げ、彼らの殺し合いを
「処刑」として公開するまでになり、
闘技場では「猛獣刑」と「剣闘士」の
豪華2本立てのプログラムが組まれた。
闘技場には、磔柱にかけられた囚人たちが並んでおり、
プログラムとプロブラムの合間に、市民を退屈させないために
火あぶりにされた。
冷静に考えれば、この火あぶりも相当にエグイ「処刑」なのだが、
「猛獣刑」と「剣闘士」がかなりえげつないため、
むしろ口直し的なポジションになってしまっている。
これらを娯楽として楽しんでいたわけだから、
当時のローマ市民の感覚も、完全に麻痺していたといっていいだろう。

もう1つ、このローマ帝国の時代から行なわれていた
残虐な「処刑」の1つが「車輪刑」である。
これがどういう「処刑」なのかというと、
まず処刑執行人は、囚人の足や腕が大きな車輪の
「間」に来るように縛り付ける。
それだけならば、どうということは無いのだが、
その後、処刑執行人は罪人の手足を、植物の蔦のように巻き付けていく。
もちろん、人間の手足には骨が入っているため、
普通にやっていては、植物の蔦の様に巻き付けることは出来ない。
ではどうするのか?というと、処刑執行人は金属の棒などを使って
囚人の手足を折り、無理矢理車輪に巻き付けていくのである。
……。
想像するだけで、震え上がってしまう。
この「処刑」の恐ろしい所は、体の胴部分にはダメージを与えないため、
囚人が長く、腕や足を折られる痛みを味合わされる所だ。
もちろん、そんなにひどく腕や足を折れば、そこから出血し、
やがて囚人は死に至ることになるのだが、
優秀な処刑執行人は、腕や足を折る際にもなるべく血を流させず、
囚人が長く生きているように、折り方や折る場所などを工夫したという。
こうして一定時間、苦痛を味合わされた後、
心臓の上を強打して、トドメを刺されることもあったが、
この「車輪刑」が行なわれる国によってはトドメを刺してもらえず、
そのまま死ぬまで、磔にされることもあったらしい。

さて、次回は「処刑」にはつきものの、体のある部分に関係のある
「処刑」方法について書いていきたい。

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