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クレープ

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今年も、今月末に「相生ペーロン祭」が行なわれる。

すっかり少子高齢化が進み、元気の無くなってしまった相生市が
1年のうちでもっとも活気を取り戻すのが、この「ペーロン祭」だ。
祭のメインイベントは、祭の名前にもなっている「ペーロン競漕」で、
相生湾を舞台に、毎年、熱戦が繰り広げられるが、
その他にも、市内を回る大パレードや、前夜の花火大会など、
様々な催し物が繰り広げられる。
市内の通りには、それこそ数え切れないほどの屋台が出て、
相生市は「ペーロン祭」の2日間、
普段では考えられないほどの活気を取り戻す。

両親が相生市出身だった自分にとって、
この相生の「ペーロン祭」は、とても重要なイベントであった。
ともすれば、龍野市の花火大会や、龍野まつり、さくら祭りなどよりも
馴染んでいたぐらいだから、龍野市の子供としては、
かなり異端だったと思う。
小学生のころから高校生くらいまでは、
毎年、この「ペーロン祭」の2日間は相生に出かけて行き、
祭りを楽しんでいたものである。
当時の自分にとっては、まさに1年に1度の大イベントで、
これより規模の大きな祭りを知ったのは、ずっと後年のことになる。

自分にとって、この「ペーロン祭」の一番の楽しみは、
町中に数え切れないほど乱立する屋台群であった。
市内の通りの大部分を埋め尽くすように、様々な屋台が建てられており、
これを1つ1つ見て回るのが、子供のころの何よりの楽しみだった。
たこ焼きや烏賊焼き、お好み焼きなどといった定番の食べ物の他に、
金魚すくいやひよこ売りといった動物系の屋台、
くじ引きや射的といった遊戯系の屋台など、屋台の種類は実に豊富で、
そんな中に、毎年、1つか2つ、変わり種の屋台があったりするのが
実に面白かった。
この変わり種の屋台は、その年だけで消えていくこともあれば、
翌年くらいから、ドンドンとその数を増やしていき、
いつの間にか新しく、定番の屋台になっているものもある。
食べ物関係の屋台に、この傾向は顕著であり、
近年では定番になっている「フライドポテト」や「からあげ」などは、
もともと変わり種として登場し、いつの間にか定番になった屋台である。

こういった、いつの間にか定番になった屋台の1つに「クレープ」がある。

ぺらぺらの薄い生地に、フルーツや生クリーム、チョコなどを
トッピングして折りたたみ、そのまま歩きながらでも食べられる
「クレープ」は、祭りの屋台などで取り扱うには都合がいい。
もともとは東京などで流行っている、
オシャレなオヤツというイメージだったが、
こういう祭りの屋台で販売されるようになって、
かなり身近な食べ物になった感がある。

「クレープ」は、小麦粉、卵、牛乳などで作った生地を
薄く伸ばして焼いた料理、またはお菓子の一種である。
クレープ用の専用の鉄板か、クレープ用の専用の焼き鍋などを使って
焼くのが一般的であるが、普通のフライパンやホットプレートなどでも
同じように焼き上げることが出来る。
日本では、生クリームやフルーツ、ジャム、チョコレート、
アイスクリームなどを包み込み、お菓子として食べることが多いが、
それ以外にも、ハム、肉類、チーズ、野菜などを挟み込んで、
軽食として食べることもある。
本場ではもっとシンプルに、バターや砂糖だけを巻いて
食べることもあるようだ。
この「クレープ」の上にクリームなどを塗り、
さらにその上に、また焼いた「クレープ」の重ねる。
これを何回も繰り返して、ある程度の厚さにしたものは
「ミル・クレープ」と呼ばれる。
「ミルク」と「クレープ」の合成語ではなく、
フランス語で「千枚のクレープ」という意味になる。
この「ミル」は、かの有名プロレスラー、ミル・マスカラスの
「ミル」と同じ意味を持っているわけだ。
こんな語源について聞くと、
「ミル・クレープ」って、フランスで生まれたものなんだな、と思うが、
実は「ミル・クレープ」は、純然たる日本生まれである。

「クレープ」がいつごろから食べられていたのか?
ということに関しては、諸説ある。
その説の中で、もっとも古いものが紀元前7000年というものである。
今から数えると、ちょうど9000年ほど前である。
1人の女性が、太陽で熱せられた平らな石の上に、
小麦のお粥をこぼしてしまった。
それが焼けて固まったので、女性がその塊を食べてみた所、
とても美味しかった。
これがクレープの始まりとなった、という話である。
年代こそ分かっているものの、その根拠が何も示されておらず、
出典についてもハッキリしていないので、説としてはかなり怪しい。
年代から考えてみれば、小麦はまだ原産地から
広まっていない時代の話になるので、
そこから考えると、「クレープ」が誕生したのは中央アジアから
イラク辺りにかけてのどこかだ、ということになる。

「クレープ」誕生の説として、もっとも良く知られているのは、
フランス国王・ルイ13世の妻、アンヌ王妃にまつわる話である。
彼女がフランスの北西部、ブルターニュ地方を訪れた際、
蕎麦粉で出来た薄焼き「ガレット」を食べて、これを非常に気に入った。
ブルターニュ地方は土地がやせており、小麦が育ちにくく、
小麦の代わりに蕎麦が多く育てられており、
これを食べる方法の1つが、蕎麦粉で出来た生地を薄焼きにした
「ガレット」だったわけである。
彼女は、この料理を宮廷に料理人に作らせたのだが、
生地を作る材料は、蕎麦粉から小麦粉へと変更され、
これに牛乳やバター、鶏卵、砂糖などが加えられた。
この生地を薄く伸ばして焼けば、その表面に独特の縮れ模様が現れる。
この縮れ模様から「クレープ」という名前で呼ばれるようになったらしい。
もともとの生地は、蕎麦粉と塩、水だけで出来ていたわけだから、
これはもう、全く別のものといってしまってもいいだろう。
果たして「ガレット」を食べたかったアンヌ王妃が、
「クレープ」を差し出されて、満足することが出来たのだろうか?
アンヌ王妃は、1600年代の前半ごろに生きていた人物なので、
「クレープ」が誕生したのも、そのころの話ということになる。
(一説には、アンヌ王妃が作らせたのは、ブルターニュ地方のものと同じ
 蕎麦粉で出来た「ガレット」で、これが小麦粉を使った
 「クレープ」に変わったのは、19世紀に入ってからという話もある)

日本に初めて「クレープ」の店が出来たのは、1976年のことである。
もともとはプレーンな皮に、ジャムなどが塗られただけの
シンプルなものだったのだが、あまり人気は出なかった。
「クレープ」の人気が出るきっかけとなったのは、
暑い夏にアイスクリームを「クレープ」の具材として入れたことである。
冷たいアイスの入った「クレープ」は、爆発的な人気を呼び、
さらにこれにヒントを得て、フルーツや生クリームを入れる
現在のスタイルが確立されることになった。

「クレープ」は、料理としてはそれほど難しいものではない。
小麦粉を使った生地を薄く焼くだけだからである。
専門店で売っている様な本格的な出来上がりにこだわらなければ、
テフロン加工などの焦げ付かないフライパンと、
ホットケーキミックスでもあれば、誰でも作ることが出来る。
粉を緩く溶いて、何枚か焼けば、後は何か適当に塗って折り、
そのまま食べるだけである。

非常に簡単ではあるのだが、出来上がりが薄っぺらいだけに、
1枚や2枚、食べただけでは、なかなか腹にたまらないのが欠点だ。

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