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Me Too

更新日:

もうどれくらい前からになるのか、ハッキリとは覚えていないが、
インターネットのニュースサイトなどを見ていると、
「MeToo」というワードを目にすることが多くなった。

最初は、何のことやらサッパリ分からなかった。
中学・高校と英語の授業で苦しめられてきたため、
ちょっと英語アレルギーのようになっていることもあり、
わざわざこの「MeToo」について、調べてみようという気に
ならなかったのだ。

そんな風に「MeToo」をスルーし続けていたのだが、
ここ最近になって、いよいよ「MeToo」を目にする頻度も
上がってきた様である。
どうもよく分からないのだが、この「MeToo」というのは、
日本国内だけのものに留まらず、どうやら世界的なものらしい。
いよいよ、英語アレルギーだから、では済まないくらいに、
「MeToo」を目にする機会も増え始めた。
ここは心機一転、気合いを入れて「MeToo」というワードに
正面から向き合ってみなければなるまい。

そんなワケで、ついに覚悟を決めて「MeToo」というワードが
含まれているニュースの見出しをクリックしてみた。
クリックしてみたのは

『カンヌでも#MeToo
 審査委員長ら女性82人が訴え』

という見出しであった。
少なくとも、見出しだけでは「MeToo」がどういうものなのか、
サッパリ分からなかったのだが、クリックして表示されたニュースを見ると、
いきなり「MeToo」についての書き出しで、ニュースが始まっていた。

『セクハラ告発運動「#MeToo(私も)」が、
 最高峰の映画祭にも広がっている。
 フランスで開催中の第71回カンヌ国際映画祭で〜』

そう。
「MeToo」というのは、セクハラ告発運動だったのである。
よくよく見てみると、「MeToo」の前には「#」がついているし、
「MeToo」の後には「(私も)」という、日本語訳もつけられている。

改めて「MeToo」について調べてみると、
ことの発端は、おおよそ半年ほど前に、アメリカの映画プロデューサーが
数十年にも及ぶセクハラを告発されたことらしい。
数十年間もセクハラ行為を行なっていたということだから、
とんでもないエロプロデューサーである。
彼にセクハラされたという女性(女優などが多かったようだ)は、
世界中におり、その被害者たちが一斉に声を挙げたわけだ。

その一連の流れの中で、1人のアメリカ人女優が、
同じようにセクハラ被害を受けたことのある
女性たちに向けて、「MeToo(私も)」と声を挙げるように
Twitter上で呼びかけた。
この呼びかけに対して、多くの女性が「MeToo」と、
自らのセクハラ被害を訴える声を挙げ、
その動きが世界中に広まっていった、ということらしい。
先に書いた、カンヌ国際映画祭で
女性82人が「MeToo」と訴えたということは、
それらの女性たちも何らかのセクハラ被害を受けていたと
いうことである。
何もセクハラは映画界だけに限ったものではないだろうが、
それでも国際的な映画祭で、それだけの人数が被害を訴えたということは、
映画界には広く、セクハラがはびこっているということだろう。

この「MeToo」運動で、被害女性が声を挙げた例を見てみると
女優などの芸能関係者、ジャーナリストなどのマスコミ関係者などが多い。
当然、彼女らにセクハラしたとされる人物もまた、
彼女らと同じ業界や、彼女らの仕事関係などである場合が多く、
芸能関係者、マスコミ関係者、政治家などが彼女らによって告発され、
それぞれ責任を問われ、辞職したり解雇されたりしたようである。

実はここの所で、首をひねった。
本当にこれで良いのだろうか?
一連の告発による例を見てみると、ただセクハラとのみ
書かれている例が多いが、中には具体的に強姦や強姦未遂といった
事例まで書かれているものもある。
これらは本来、警察によって逮捕されて、
司法の手によって処罰されねばならない犯罪行為である。
それにセクハラと書かれているものの中にも、
法に触れないものばかりでなく、強制わいせつなどにあたる事例も
多く含まれているであろうし、そういう場合も、
やはり加害者は司法の手によって
刑事罰を受けなければならないはずである。
告発を受けた加害者たちは、確かに解雇されたり職を失ったりして
一定の社会的制裁は受けているかも知れないが、
本来犯罪者は、それにプラスして刑事罰を受けるのが当たり前である。
この「MeToo」によって告発された加害者たちは
社会的制裁は受けているが、法的な制裁は受けていない。
これはやはり片手落ちなのではないだろうか?

もちろん、これらの告発はウェブ上で行なわれたもので、
警察や司法などに対して行なわれたものではないため、
彼らが捜査、裁判、処罰の対象ではないのは当然だ。
それに今回の件の本質は、セクハラを訴えにくい、
あるいは訴えられない業界・社会構造にこそ、その根の部分があり、
そこで鬱積した感情が、「MeToo」の広まりのパワーの源である。
大元のことを言えば、セクハラをさせないというのが基本部分で、
そのためにはセクハラをした者が、決してその罪から逃れられず、
キッチリと処罰されるという社会を構築する必要がある。
「MeToo」というのは、そういう社会へ向けて動き出す、第1歩なのだ。

そういえば我が国で、財務省の元事務次官が
マスコミに対するセクハラ疑惑で騒がれた際、
野党議員が「#MeToo」と書かれたプラカードを持って
財務省に抗議したという。
同じように、事務次官のセクハラ被害にあった女性が
それをするなら分かるが、そうではない野党議員が「MeToo」を掲げて
政治アピールをするのは、あまりに無神経が過ぎるのではないだろうか?

重い意味のこもった「MeToo」を、軽々しく政治パフォーマンスに
用いるのは、あちこちから反感を買いそうである。

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