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「ういろう」とは、なんぞや。

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名古屋に名物は数多あるが、
「お菓子」というカテゴリーで、
もっとも有名なのは「ういろう」だろう。

かつて名古屋に住んでいる親戚が、
龍野に遊びにくるときに、
お土産として「ういろう」をもって来てくれた。
子供の目にはカラフルな羊羹にしか見えず、
食べてみると、非常にモチモチとしていて、
自分のよく知っている羊羹とは、違う味わいだった。
甘さも、羊羹よりは控えめで、
どういうわけか、羊羹よりもお腹にたまった記憶がある。

「ういろう」。
漢字で書くと「外郎」となる。
蒸し菓子の一種で、米粉に砂糖と湯を混ぜ合わせ、
練り合わせた後、型に流し込み、蒸して作る。
米粉の他にも、小麦粉や葛粉なども使われる。
砂糖も、白砂糖の他にも、
黒砂糖や氷砂糖を砕いたものを使うこともある。
各種食紅で着色したものもあり、
小豆餡や抹茶などを入れたものもある。
結構、カラフルである。
最初に、名古屋の親戚のお土産だった、と書いたが、
実はういろうを名物にしている場所は多い。
有名なのは、先に書いた名古屋、
他にも小田原や伊勢、山口、徳島、宮崎などがある。

羊羹に似ている、というのも当然で、
日本で最初に作られた「蒸し羊羹」は、
小豆と、小麦粉あるいは葛粉と、水を
混ぜて蒸し上げるものであり、
その製法は極めて、「ういろう」に近い。
また米粉と砂糖を混ぜ、湯で練り、
蒸し上げるという点では、団子の製法そのままである。
団子とういろうの違いは、生地の硬さだけで、
団子の生地をゆるくすれば、そのままういろうになる。
そういう意味では、ういろうは羊羹や団子の親戚ともいえる。

「ういろう」の起源については、いくつかの説がある。

色(黒)が、「外郎薬(ういろうやく)」に
似ていることから、「外郎(ういろう)」になったという説。

三河地方の伝統菓子である「生せんべい」が、
もとになっているという説。

中国から亡命してきた陳宗奇が、
足利義満に「外郎薬」を献上した際、
その口直しとして、添えあわせた菓子であるという説。

3つの説のうち、2つまで「外郎薬」が関わっている。
これは名前の由来も、まとめて説明できる説だ。
そうなると重要になって来るのが、「外郎薬」である。
医薬品である「外郎薬」の実態を知らなければならない。
この「外郎薬」、日本では、
陳宗奇が作ったものが最初である。
つまり、ういろう起源第3の説、そのままだ。
それ以降、この「外郎薬」は、
現在に到るまで、作り続けられている。
どういう薬かというと、実は万能薬である。
その効能は、下痢や便秘から日射病、口内炎、胃腸炎、
はては乗り物酔いや高山病にまで及んでいる。
ここまで効能が多岐に渡ると、
この薬は人間の回復力を上昇させるとしか、思えない。

調べてみると、「外郎薬」の実物の写真があった。
小さな銀色の粒である。
第1の説の「黒」という部分と、矛盾している。
しかし、銀色なのは外側だけで、内側は茶色である。
口直しとして、お菓子が必要だっただけあって、
かなり臭いが強い(らしい)。
外側が銀色にコーティングされているのも、
味が悪いのをごまかすためだろう。

さらにこの「外郎薬」を販売している店のHPで確認した所、
お菓子の「ういろう」を考案したのも、
陳宗奇ということになっている。
もしこの話を正しいとするならば、
陳宗奇は薬とお菓子、両方を
日本にもたらしたということになる。
たが、当時すでに団子や蒸し羊羹のように、
ういろうに似たお菓子も作られていたので、
陳宗奇も、これらを参考にして、
「ういろう」を作り出したのではないだろうか。

後は、三河地方の「生せんべい」が、
ういろうの元になっているという説である。
この「生せんべい」、発祥は1560年のことである。
桶狭間の戦いの際、母のいる知多半島へ向かう徳川家康が、
百姓家の庭先に干してあるせんべいを、
生のまま差し出させたのが、始まりであるという。
現在のものは、生地に砂糖が練り込まれているが、
砂糖が輸入品だった当時、百姓たちが
せんべいに砂糖を練り込んだとは思えない。
しかも時代的に見ると、
第3の説よりもかなり後の話である。
それを考えると、この「生せんべい」が、
「ういろう」の元になったとは考えにくい。

では、結局、もともと「ういろう」は
どのようなものだったのか?

「ういろう」という名前からも、
「外郎薬」と何らかの関係があるのは間違いない。
色が「黒」もしくは「茶色」だったとすれば、
これは恐らくアンコを使ったか、黒砂糖を使ったかである。
アンコを使っていたとすれば、
これはそのまま蒸し羊羹だ。
敢えて「ういろう」という名前は、つけないだろう。
となると、黒砂糖だ。
当時、砂糖は調味料というよりは、薬であった。
陳宗奇が「外郎薬」を作る医者であったとすれば、
当然その手元には、「砂糖」も存在していたはずである。
これを使って羊羹、もしくは団子に近いものを
作ったのではないだろうか?
だとすれば、一番最初の「ういろう」は、
黒砂糖の「ういろう」だったことになる。
やがて「外郎薬」だけでなく、
お菓子の「ういろう」も評判をとり、
これを求める人が、多くなる。
そうなると、同じ「ういろう」ということで、
「外郎薬」と「ういろう」を同じ店で売るようになる。
実際、現在でも「外郎薬」を販売している
神奈川県小田原市の「株式会社 ういろう」では、
医薬品の「外郎薬」と一緒に、「ういろう」も販売している。
この「株式会社 ういろう」は、
陳宗奇をその祖先に持つ、
由緒正しい「ういろう屋」である。

さて、この「ういろう」についてだが、
もともと「ういろう」は薬であったと言われることがある。
しかし、これは明らかに間違いである。
「外郎薬」は過去、現在ともに薬であり。
「ういろう」は過去、現在ともにお菓子である。
歴史の上で、この2つが一緒であったことはない。

さらに「ういろう」を、
「透頂香(とうちんこう)」とも呼ぶ、という話を聞くが、
これも間違いで、この「透頂香」は「外郎薬」の別名であり、
お菓子である「ういろう」を「透頂香」と呼ぶことはない。

最近、スポーツ時の栄養補給ということで、
「羊羹」が見直されている。
いわゆる「スポーツ羊羹」だ。
「ういろう」も同じようなアプローチは出来ないか?
「スポーツういろう」だ。
砂糖を多めに、塩分などを加えれば、
それなりにいけそうな気もする
ランニングの途中で、
「チュルン」と食べる「スポーツ羊羹」とは違い、
登山の休憩中に、
「モッチャ、モッチャ」と食べる「スポーツういろう」。
アピールポイントは食べごたえと、腹もちだろうか。

どうも「スポーツ羊羹」ほどの
スマートさがないのが悲しい。

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