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紙芝居

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意外と知られていないことなのだが、
現在、多くの図書館では「紙芝居」を扱っている。

たつの市内の図書館では、龍野図書館を除く揖保川、新宮、御津の
3館でこれを取り扱っている。
特に新宮図書館における「紙芝居」の蔵書数は抜きん出ており、
図書館側の「紙芝居」へのこだわりは、かなり強いようだ。
もちろん、これらの「紙芝居」については貸し出しも行なわれており、
たつの市の図書館カードを持っていれば、誰でも借りることが出来る。

「紙芝居」という言葉を出すと、
その昔、街頭で行なわれていたものを例に出す人が多い。
自転車などで回ってきた「紙芝居」のオジサンが
近所の子供たちを集め、街頭にてこれを演じる。
この「紙芝居」を見るのに、見物料などは要らない。
では、このオジサンが全くのボランティアで
「紙芝居」をやっているのかというと、これもまた違っていて、
このオジサンは「紙芝居」を見に集まってきた子供たちに、
駄菓子を販売して、売り上げを上げていたわけである。
だから、これを正確に表現するのであれば、
このオジサンは「紙芝居」屋というよりは、
駄菓子の移動販売業ということになるのだろう。
オジサンにとって「紙芝居」というのは、
あくまでも子供を集めるための手段であり、
それで利益を得ていたわけではない、ということなのである。
もちろん、そういう営業形態なわけだから、
集まってきた子供たちが、全員、
何かしらのお菓子を買ってくれるわけではない。
経済的な理由などで、お菓子を買えない子供もいただろうが、
別にそういう子供であっても、「紙芝居」を見るのはOKだったようだ。
今日、お菓子を買ってくれなかった子供も、
次の機会にはお菓子を買ってくれるかも知れないし、
よしんば、経済的な理由でお菓子を買ってくれる見込みのない子供でも、
これを差別して追っ払うのでは、あまりにイメージが悪い。
それにお菓子を買う買わないは別にして、
「紙芝居」の前にそれなりの人数の子供がいてくれると、
それにつられてまた新しい子供たちが集まってくる。
そうなれば当然、お菓子の売り上げも上がることになる。

……。
と、色々街頭での「紙芝居」について書いたのだが、
実は自分自身、この街頭での「紙芝居」というのを見たことがない。
理由は至極簡単で、自分が子供だった昭和50年代には、
もうこういった街頭での「紙芝居」というのは、
全く行なわれなくなっていたからである。
だから自分などの場合、「紙芝居」といえば、
幼稚園などで先生がやってくれたものくらいしか、記憶に残っていない。
もちろん、幼稚園内でのことになるので、
そこにはお菓子も何もない。
ただ全員が先生の演じる「紙芝居」の前に座り込んで、
夢中になってこれを見ていただけである。

「紙芝居」というのは、絵を見せながら演じ手が語り、
物語を観客に見せていく、一種のパフォーマンスである。
我々のイメージする「紙芝居」というと、
絵の描かれた紙を十数枚ほど重ねておいて
演者の語るストーリーの進行と共に、これを引き抜いて
場面を転換するものである。
絵の裏面には、演者の語るストーリーが書かれており、
これを読み進めていって、全て読み終わった所で紙を引き抜いて
場面を転換するというのが、一般的である。
このスタイルの「紙芝居」は「平絵」と呼ばれるもので、
昭和5年ごろに確立されたものになる。

これ以前の「紙芝居」は、主に「立絵」と呼ばれるスタイルで、
棒の先に人物などの姿を描いた絵を貼付け、
これを演者が下から操作して観客に見せる
一種の人形劇の様なものであったらしい。
この「立絵」スタイルの「紙芝居」では、
演者が「立絵」の操作や語りを全て1人で行なっていたため、
「平絵」の様に紙の裏にセリフを書いておく様なことも出来なかった。
そのため、「立絵」操作や語りを全て覚えておく必要があり、
結構、大変だったようだ。
この「立絵」の「紙芝居」が廃れ、
「平絵」の「紙芝居」がメジャーになったのは、
「平絵」の方が「立絵」に比べて演じやすく、
毎回違った話を、しかも複数演じることが出来るためだろう。
見ている子供たちにとっても、毎回、違った物語が楽しめ
さらにそれを複数楽しむことが出来るというのは、
大きな魅力だったに違いない。
(ちなみに初期の「平絵」の「紙芝居」では、
 現在の様に絵の裏にセリフやあらすじは書かれていなかったらしい。
 「紙芝居」が「立絵」だったころの影響か、
 ストーリーやセリフに関しては、口伝、
 つまり口頭で演者に伝えられていたので、
 同じ絵を使っていても、演者によってストーリーやセリフが
 微妙に違っていることも多かったらしい)
現在、図書館などで扱っている「紙芝居」は、
絵も、裏の語りやセリフもキッチリと印刷されているが、
当時の「紙芝居」は、そのほとんどが手描きの1品ものであり、
これらを元締めが管理し、演者はそれを毎回借り受けて
「紙芝居」を執り行っていた。
当然、「紙芝居」は酷使されるために傷みが激しく、
さらに後に起こった戦争による災禍によって、
そのほとんどが焼失してしまうことになった。
(もっとも、「紙芝居」を行なっていた業者自身、
 自分たちが扱っている「紙芝居」が
 後に資料的な価値を持つ様になると考えていた人は
 ほとんどいなかったようで、それらの多くは
 「紙芝居」が廃れてしまった後、散逸・廃棄された。
 戦後、街頭で多く演じられた「紙芝居」のうち、
 現存しているものが少ないのには、そういう事情の方が大きいようだ)

街頭、あるいは幼稚園などで多く演じられていた
「平絵」の「紙芝居」であるが、この「平絵」の中にも
派閥の様なものが存在していた。
大きく分ければ、街頭で子供の興味を引くための「街頭紙芝居」と、
幼稚園などの場で、昔話や童話などを見せる「教育紙芝居」である。
この「教育紙芝居」というのが、自分が子供のころ目にしていたもので、
現在、図書館などにおいてある「紙芝居」なども、
すべからくこちらのカテゴリーに入るだろう。
一方の「街頭紙芝居」は、時代劇、怪奇もの、探偵ものなどの
演目が多く、教育というよりは娯楽作品が中心であった。
また、子供の目を惹き付けるために、過激な表現やドギツイ絵を
用いているものも多く、そのため昭和20年代には
「街頭紙芝居」は俗悪だ、などと激しく抗議されることもあったようだ。
TVやマンガなど、子供の娯楽が増えていく中で、
この「街頭紙芝居」はだんだんと下火になっていき、
やがて完全に廃れてしまうことになるのだが、
その原因の中に、「街頭紙芝居」は俗悪だという抗議も
含まれていたであろうことは想像に難くない。

今回は、昔懐かしい「紙芝居」について書いてみた。
次回は「立絵」以前、「紙芝居」と呼ばれる前のルーツについて
書いていく。

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