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プロレスの話

投稿日:

ひところ、プロレスにハマっていた時期がある。

ちょうど高校生くらいの辺りから、大学生になった辺りだろうか?
夕方、TVで「ワールドプロレスリング」という番組を放送しており、
これを見てハマってしまった。
一緒にTVを見ていた母親と弟もハマっていたことから、
ちょっとした、我が家のブームだったわけである。
まあ当時、我が家でプロレスといえば、
この「ワールドプロレスリング」だったわけで、
要は新日本プロレスリング、新日である。

当時の新日は、ボスであるアントニオ猪木が半引退状態であったものの、
藤波辰巳、長州力を頂点として、その下を、正に伸び盛りであった
武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の、いわゆる闘魂三銃士が固め、
さらに現在では文部大臣となった馳浩や、
後に北斗晶と結婚してTVでの露出が増えた佐々木健介、
ジュニアヘビーの獣神サンダーライガーなど、
結構、豪華な面子が揃っていた。
そこに外国人選手として、ビッグ・バン・ベイダー、
クラッシャー・バンバン・ビガロなどのスーパーヘビー級が参戦し、
さらにそこに新外国人選手のスコット・ノートンが加わり、
その圧倒的なサイズとパワー感に、ワクワクさせられたものである。

実際の所、このころの新日は相当に人気が高かったようで、
自分の周りにもその当時、プロレスにハマっていた人間が何人もいた。
高校時代、大学時代と、周りの人間たちはプロレスの話をしていたし、
プロレス雑誌なども最盛期で、コンビニなどでも結構いい位置に
週刊プロレスや、週刊ゴングが並んでいた。
観客動員数も凄かったようで、年に数回、東京ドーム大会を開くなど、
まさにそのころの新日は、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

もちろん、プロレス団体というのは、新日本プロレスリングだけではない。
その当時でいえば、新日と双璧を成す存在として
全日本プロレスリング、いわゆる全日が存在していたし、
リングス、藤原組、パンクラスなどという格闘色の強い団体、
天龍源一郎率いるWAR、有刺鉄線・電流爆破マッチのFMW、
地方色の強かったみちのくプロレスなど、
正に当時のプロレス界は、様々な団体が乱立する、
いわば群雄割拠の時代であったともいえる。
ただ、記憶している限りでは、当時TV放映されていたのは
「ワールドプロレスリング」の新日と、全日くらいで、
他の団体については、全くTVで見かけることはなかった。
それ以外の団体については、実際に会場に足を運ぶか、
雑誌などで試合結果を知るというのが常で、
現在のようにインターネットの発達していなかった当時、
そういう中堅、弱小プロレス団体の試合については、
これを見るのが、かなり難しい時代であったといえるだろう。
かくいう自分も、新日、全日の試合をテレビで観戦した以外は、
たった1度、佐用町民グラウンドで行なわれた
FMWの試合を見に行っただけである。
かなり田舎の会場であったにも関わらず、エースの大仁田厚を始め
ほとんどの選手がキッチリと出場しており、
メインイベントは、お約束ともいえる有刺鉄線・電流爆破マッチで、
大迫力の試合を至近距離で堪能することが出来た。
田舎の小さな会場でも、手を抜かずに試合を見せてくれるFMWの姿勢に
いたく感動したことを覚えている。

さて、このプロレスリング、元になっているのは
レスリングと呼ばれるスポーツである。
我々が、このレスリングを見る機会というのは非常に少なく、
ほぼ唯一、これをテレビで見れる機会がオリンピックになる。
マット上にあるサークルの内側で、2人の選手が組み合い、
転げ回ったりしながら勝負を付ける。
正直、素人が見ている限りでは、どちらが優勢だとか、
何がどうなったら勝ちなのか?とか、全く分からない。
プロレスであれば、相手の両肩を3カウントの間
リングに押し付けておくフォール勝ちか、
ギブアップを奪うか、ということになるのだが、
(一応、ルール上はノックアウトとリングアウトがある。
 ただ、ノックアウトはほとんど見ることが出来ず、
 リングアウトもやってしまうと「しょっぱい試合」とされることが多く、
 実際にはほとんど見られない。
 お互いが団体のエース格で、どうしても負けられない場合などは、
 両者リングアウトという結果になることが非常に多い)
アマチュアレスリングでは、これはどうなっているのか?
実はルールは非常にシンプルで、相手の両肩を1秒間
マットに押し付ければ勝ちとなる。
さらに柔道のように、技を決めればポイントが入り、
一定のポイント差がつくか、時間切れでの判定によって
決着がつくこともある。

レスリングの起源は非常に古く、その正確な所は分かっていないのだが、
今から5000年前には、すでに競技として
成立していたと考えられている。
古代オリンピックでは人気競技だったようで、
相手を投げ飛ばすか、押し倒して相手の背中、尻、胸、膝、肘などが
地面につけば勝ちということになっていた。
これは、現在のフリースタイルレスリングに似ている。
その競技の性質上、殴ったり蹴ったりすることが無いため
ケガ人(重傷者)が出にくいというのも、
レスリングが広く受け入れられた理由の様である。
この点は、我が国で相撲が人気だったのと同じだろう。
ただ、レスリングは古代オリンピックと関わりが深かったためか、
4世紀に古代オリンピックが廃止されてからは、
ほとんど表立って行なわれることは無く、
中世には、社会的地位のあるもののみの競技になっていたようである。

この状況が変わったのが、1830年ごろのフランスでのことである。
当時もレスリングは、一部の社会的地位のある者のみの
非常に限定された競技であったのだが、そこに加われない者たちが集まり、
サーカス団と合流して技を披露し始めた。
やがてそこから、興行としてのレスリングが誕生することになる。
そう、これがプロレスリングの誕生の瞬間である。
プロレスはたちまちに人気を呼び、ヨーロッパ中に広まっていったが、
やがてその人気ぶりから賭け事の対象にもなり、
そこから八百長などがはびこるようになり、
19世紀末にはその人気も落ちていくことになった。
だが、このプロレス人気は思わぬ結果をもたらした。
ちょうどプロレス人気が落ちていった19世紀末、
4世紀に廃止されていたオリンピックが、近代オリンピックとして復活。
そしてそのオリンピック競技の中に、レスリングが選ばれたのである。
恐らく、18世紀のプロレス人気がなければ、
レスリングが近代オリンピックの種目として
選ばれていなかったかも知れない。
そう考えれば、プロレスがレスリングという
一部のものだけだった競技をメジャーにして、
レスリング復活のきっかけになったともいえる。
これ以降、レスリングはオリンピックには欠かせない定番競技として、
現在まで生き残ることになるのである。

話をプロレスに戻すと、19世紀にヨーロッパで生まれたプロレスは、
そこから移民たちと共にアメリカへと広まっていく。
アメリカでショー的な要素を強めたプロレスは、
戦後になって、ようやく本格的に日本へと入ってくることになるのである。
(戦前にもプロレス興行を行なった例はあるが、
 興行は成功せず、定着はしなかったようだ)

さて、先ほどオリンピックに欠かせないと書いたレスリングだが、
実は現在、オリンピック競技から除外されそうになっている。
人気的なものなのか、あるいはそれとは全く違った
大人の事情によるものなのかはよくわからないのだが、
さしあたって次の東京オリンピックと、その次のオリンピックでは、
競技は実施されるらしい。

かつて、プロレスの人気からレスリングが広まり、
オリンピックの競技に選ばれるまでになったことを考えると、
現在のレスリングの危機を乗り切るには、
プロレスの人気回復が「鍵」になるのかもしれない。

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