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年取り魚

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今年も残す所、後、10日ほどになった。

スーパーなどに出かけてみれば、売り場はクリスマスと
お正月準備でいっぱいである。
お菓子コーナーや精肉コーナーでは、来るべきクリスマス商戦に向けて、
各種お菓子類や、チキンなどを宣伝しているが、
鮮魚コーナーにおいては、全くクリスマスは無視してお正月準備を
大々的に打ち出している。

お正月に向けて、このくらいの時期から
鮮魚コーナーに姿を見せ始めるのが「新巻鮭」だ。
最近では、昔ほど露骨ではなくなったが、
年末といえば「新巻鮭」というのは、
自分が子供のころからの伝統でもある。
どういうわけか、我が家では「年末に新巻鮭」という風習がなかったため、
ついに我が家の台所に「新巻鮭」がやって来ることはなかったが、
そんな自分でも、年末になると「新巻鮭」と考えるくらいには、
この風習は広く認知されているようである。

しかし、改めて考えてみると、不思議な話である。
どうして年末になると「新巻鮭」なのか?
年末にあれだけ出回るのであるから、
その流れでお正月のおせちなどにも「鮭」が加わりそうなものだが、
どういうわけか、年末にあれだけ出回った「新巻鮭」が
お正月料理の中に出てきたという話は、全く聞いたことがない。
(もちろん、自分が知らないだけで、お正月に「鮭」を
 食べている家庭は多いのかも知れないが……)
ということは、年末にあれだけ出回った「新巻鮭」は、
年を越さずに、そのまま年のうちに食べられているのだろうか?
何せ、我が家には、年末に「新巻鮭」を買ってくるという
習慣がなかったため、そこら辺りの事情が分からないのである。
分からないのであれば、とりあえず調べてみるしかない。

調べてみた所、この「新巻鮭」は大晦日の夜、
つまり年越しの食事に食べるもので、
こういう魚のことを「年取り魚」(または年越魚、正月魚)と呼ぶらしい。
ここで、こういう魚という書き方をしたのは、
同じ「年取り魚」であっても、地方によって
その種類が変わってくるからである。
一般的にいわれている分類としては、
東日本ではサケ、西日本ではブリが用いられる。
……。
そう、ここまで話を読んできた人なら「?」と首をひねっているだろう。
この分類の話をそのまま信じるのであれば、
西日本に位置しているたつの市のスーパーなどでは、
「鮭」ではなく「鰤」を販売していないとおかしい。
もちろん、このブリも普通の生のブリではなく、
「新巻鮭」の様に塩をして保存性を高めた「塩ブリ」でなくてはならない。
このサケとブリの境界線は、新潟県の糸魚川と
静岡県の富士川を結ぶラインと一致しているため、
我が家のある兵庫県たつの市は、完全にブリ圏内である。
だが、事実として、年末になればたつの市内のスーパーでも
しっかりと「新巻鮭」を販売している辺り、
近年(と、いっても自分が子供のころからだが……)では、
この地方性というのは、曖昧になってきているのかも知れない。
よくよく思い返してみれば、たしかに年末の鮮魚コーナーには、
たくさんの「新巻鮭」が並べられてあったが、
同じようにブリも(塩ブリかどうかまでは記憶していないが……)
並べられていた記憶がある。
今までは「新巻鮭」ばかりに気がいってしまっていたが、
改めて考えると、あのブリもまた「年取り魚」として
並べられていたのだろう。
サケは「栄える」に通じるとされ、ブリは成長によって
名前の変わる出世魚である。
これらのめでたい魚を、新しい年を迎える夜に食べるというのは、
いかにも日本的な感覚に思える。

もちろん、日本の各地にはサケ・ブリ以外の「年取り魚」も存在する。
青森ではタラ、三陸ではメイタカレイ、長野ではコイが、
それぞれ「年取り魚」として、大晦日に食べられている。
コイは、天に昇って龍になるという伝説もあり、
サケやブリに劣らぬ、縁起のいい魚といえるが、
タラやメイタカレイには、どのような由来があるのだろうか?
さらにいえば、縁起のいい魚というジャンルでは外すことの出来ない
タイが「年取り魚」になっていない。
まあ、タイの場合は、年が明けたお正月料理の魚として
多々登場して来ているので、タイは大晦日ではなく正月に、と
いうことなのかもしれない。

この「年取り魚」という食習慣が、いつごろから行なわれていたのか?
ということに関しては、ハッキリとしたことは分かっていない。
文部省唱歌「田舎の四季」という歌の中には、
「年越し魚」というフレーズが出てくる。
フレーズの前後から察するに、これはサケやブリのことを
指しているわけではないのだが、少なくともこの唱歌の歌詞が
作られた時代には「年越し魚」という言葉があったということである。
「田舎の四季」の作詞は堀沢周安。
明治2年生まれの作詞家である。
愛知県に生まれ、香川県や愛媛県で教職を勤めながら
作詞活動をしていたらしいので、明治時代の中ごろには、
すでに四国などでも「年取り魚」というものが、
完全に根付いていたのだろう。
東北・北陸で獲れたサケやブリが塩蔵加工され、
日本国中に流通していた、ということを考えれば、
やはりこの風習が一般的になったのは、
千石船による海上輸送、特に北前船が活躍した江戸中期以降、
ということになるのだろうか?
これ以前の流通状況では、これらの魚が日本国中に回ったとは考えられず、
「年取り魚」という風習そのものがなかったか、
あるいは先に書いた長野の様に、コイなどの淡水魚や、
もっと近い海で獲れた魚を塩蔵加工して、
これを「年取り魚」としていたのではないだろうか。

さて、冒頭でも書いた通り、我が家には年末に
「新巻鮭」を食べるという風習はなく、
もちろん、それの代わりにブリを食べる、という風習もなかった。
これらの代わりに、何か決まったものを食べていたというワケでもなく、
毎年、メニューは違っていたが、それなりの御馳走が出ていた。
ひょっとすると、年末は大掃除や餅つき等の正月準備で忙しく、
いちいちサケやブリを捌く様な暇がなかったのかも知れない。
一人暮らしとなってからは、特に何か特別なものを食べるわけではなく、
ひどい時は、おせちを作った余りが、
そのまま大晦日の晩御飯、なんていうこともあった。
こうなると、今年から改めて「年取り魚」を、というのは
難しいかも知れないが、いっそのこと、おせちの中にブリかサケを加え、
その余りを「年取り魚」にしてしまうのもアリか。

その場合、ブリにするかサケにするか、悩ましい所である。

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