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内田康夫「孤道」

更新日:

図書館で、内田康夫著「孤道」を借りてきて、
先日、これを読み終わった。

この「孤道」は、彼の大人気シリーズ、
「浅見光彦」シリーズの最新作である。
自分もこのシリーズは大好きで、120作ほどもある作品は
全て読んでいて、新作が出るのを心待ちにしていたのだが、
数年前、「浅見光彦最後の事件」と銘打った作品・「遺譜」が出版された。
「最後の事件」と銘打たれているだけあり、
これまでの事件に出てきた関係者たちが多く登場し、
ちょっとしたオールスター的な作品に仕上がっていた。
毎回、若い女性がヒロインとして登場するのが
このシリーズの定番だったのだが、
主人公の浅見光彦が、それらの面々の中から
ついに結婚相手を選ぶのではないか?というような話も流れ、
まさにシリーズ大団円を目指した作品であった。
(実際、このシリーズはこの「遺譜」の時点をもって終了し、
 これ以降に出版される作品については、
 時系列的にこの「遺譜」よりも、以前の物語である、
 という扱いになるとコメントされていた)
シリーズがどのような結末を迎えたのか?ということに関しては、
ネタバレを避けるという意味で、触れずにおこう。
「浅見光彦最後の事件」を書き上げた後、
作者である内田康夫は、これ以降にも浅見光彦シリーズを書くつもりだが、
それらはこれまで未発表だった事件を明らかにしていくという
スタンスで書いていく、とコメントしており、
シリーズが完全に終わってしまうのでは?と、
不安がるファンを一安心させた。
この「孤道」という作品は、この「遺譜」以降に出版された
唯一の浅見光彦シリーズ作品である。
当然、時系列的には「遺譜」以前のいつかということになっている。

だが、この作品には、他の作品と大きく違っている点がある。
それは、これが未完成の作品である、ということである。
「孤道」という作品は、シリーズの他作品同様に
ハードカバーの装丁を施された形式で製本化されているが、
そのストーリーは途中でブッツリと途切れてしまっているのだ。

この「孤道」という作品は、毎日新聞の紙上にて
連載されていた作品である。
だが、2015年7月、作者である内田康夫に
軽度の脳梗塞が見つかり、彼が入院することになったため、
8月に連載が終了してしまった。
後日、回復後に続きを書き下ろし、刊行する予定だったようだが、
作者の左半身に麻痺が残り、リハビリの方も
思うように進まなかったことから2017年3月に、
正式に休筆宣言を出し、「孤道」については発表分のみを
未完成のまま刊行することになった。
……。
まあ、普通ならここまでで話は終わる所である。
しかし、この内田康夫という作家が、他の人と違っているのは、
この物語の続きを一般公募して、その中に面白いものがあれば、
それを完結編として発表しよう、と思い立ったことである。
実際、この「孤道」の最後には、ちゃんと募集要項まで載っている。

しかし、中にはこう思う人もいるかも知れない。
別に作者は死んだわけではないのだから、ストーリーを口述して
それを誰かに文章に落としてもらえばいいんじゃないの?と。
これはまあ、ごく当たり前の意見のように聞こえる。
実際、文章を作るのに必要なのは頭だけで、
そこさえ無事なら、文章を作ることは問題なく出来そうな気がする。
ただ、これはあくまでも、文章を書くということを
あまり知らない人間の言うことである。
自分なども、こうして駄文をブログに掲載しているが、
話の締めまで考えて、文章を書くようなことはない。
大体が、「何について書くか?」さえ決まっていれば、
後は出だしさえ決まれば、勝手に文章というものは綴られていく。
全く文章というものは、それ自身が意志を持った生き物のようなもので、
自分が書こうと思っていたことをサッパリ書かず、
全く考えもしていなかったようなことを、
次々書いていくなんていうことも結構ある。
もう、こうなってくると、頭が文章を書いているというより、
手が文章を書いているといった方が、良いような状態になる。
もちろんこれは、文章を書いている人間全てに当て嵌まるものではなく、
あくまでも、そういうタイプの人間がいるという話である。
当然、文章を書く上で、事細かにプロットを練り、
締めの所まで細かく考えた上で、文章を書く人もいるだろう。
普通に考えれば、そちらの方が文章を書くスタイルとしては、
ごく、当たり前で、普通なのかも知れないが、
世の中の人間が全て、普通だけで出来上がっているわけではない。
どうしたって、これは文章を書く人間の「個性」というものが
現れてくる。

この内田康夫という作家が、手でペンを握るか、
キーボードを叩いていないと文章が作れないタイプの人間なのかどうかは
わからないが、半身不随になって文章が作れないというのであれば、
ひょっとしたら、自分と似たようなタイプなのかも知れない。
有名な話であるが、内田康夫は小説を書く際、
細かいプロットなどは考えず、ほぼ、行き当たりばったりに物語を
綴っていくと言う。
他の小説ならばともかく、ミステリーという分野の作家としては、
これは全く異色の作風といっていいだろう。
トリックや犯人などは全く考えもせずにストーリーを書き始め、
いざ主人公が事件を解決する段に至り、
誰が犯人なんだ?と考え込むこともあるそうだから、
ある意味、恐ろしい作家といえなくもない。
こんな無茶なスタイルが成立しているのは、
彼の作風が、凝ったトリックを軸にしていないからである。
人の思い込みなど、盲点を上手く利用したトリックを
最小限度で使っているため、話が非現実的になることもなく、
比較的、初心者にもやさしいミステリーになっている。
凝ったトリックの代わりに、彼は舞台となった地方の風土や習慣、
人の感情などの描写に力を入れる。
そういう意味では、一般小説に近いともいえる。

内田康夫がそういうスタイルでミステリーを書いている以上、
途中で彼が書くのをやめてしまったら、
その後、どういう展開でもって事件が解決していくのか、
全く誰にも分からないということになる。
なんせ、そこまでのストーリーを書いていた
作者自身にも分からないのである。
だから作者にしても、続きがどうなるかを誰かに話し、
それを踏まえた上で、誰かに続きを書いてもらうということも出来ない。
もし作者が、自分と同じようにキーボードを叩いていないと、
文章が浮かんでこない、というタイプだったとすれば、
これはもう、手が満足に使えなくなったという時点で、
作品を書いていくのが、非常に困難になっているわけである。

募集要項によれば、この「孤道」の続きについては
2018年4月末日まで作品を求め、その後、選考作業をした後、
秋には結果が発表されるという。
恐らくはそれと同時に、完結編も発売されるのだろうが、
作者を含む選考者の気に入るものがなければ、
この完結編の話自体、無かったことになるのだろう。
刊行されている「孤道」は、話は面白く、
続きを読みたい気分にさせられるのだが、
正直、ここからどういう経緯で話をまとめるのか、
ちょっと想像つかない。

果たして、この「孤道」は、どのような結末を迎えるのだろうか?

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