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家族葬

更新日:

友人の母親が亡くなった。
交通事故だったそうだ。
ほんの10日ほど前に、顔を合わす機会があり、
その際には、まったくお元気だったために、
その後の突然の訃報には、随分と驚かされた。

友人の方からは、母親が亡くなったという訃報と、
葬儀を「家族葬」で執り行う旨の連絡が送られてきた。

ここ最近、葬儀の1つの形として「家族葬」が増えてきている。

我が家の場合、父親、母親、婆さんと、
直系の身内で自分より年嵩の人間が
ここ15年ほどで全て亡くなっているので、
都合、3回ほど身内の葬儀を執り行ったわけだが、
このうちの2回は、この「家族葬」で執り行われた。

我が家の親族の中で、もっとも最初に亡くなったのが母親である。
すでに13回忌を終えているほど、以前に亡くなったのだが、
その際には、「家族葬」というような選択肢は挙ってこなかった。
市内のセレモニーホールで行なわれた葬儀には、
数多くの参列者が参加して、色々と大変だった記憶がある。
「家族葬」というものは、そのころにも存在していたかも知れないが、
まだまだ一般的に広く認知されているものではなく、
喪主であった父親は、一般的な葬儀を選択したのだろう。
母親は、わりと人付き合いの広い人間だったので、
あちこちの関係から、参列者も多く、
結果的には、一般的な「葬儀」を選択したのは、正解だったと思う。
(亡くなった母親は、「家族葬」の方がいいと言いそうだが……)

その後、10年ほどたって、今度は父親が亡くなった。
こちらの葬儀は「家族葬」で執り行われた。
母親の葬儀の行なわれた時代から10年ほどたち、
世の中の「家族葬」というものへの認知度も高まってきており、
これを希望する人間も多くなった。
うちの父親も、そういう1人だったわけである。
ただ、父親の方は母親と違い、近所付き合いなどの
人付き合いをほとんどせず、友人も少ない人間だったので、
一般的な葬儀を行なっても、母親のときほど参列者はいなかっただろう。
(父親自身、そういう自分の性格を理解した上で、
 「家族葬」を選択したものと思われる)
こちらもまた、その選択は正解だったと思われる。

父親が亡くなって、1年ほど後。
今度は婆さんが亡くなった。
うちのブログにもたまに出てくるこの婆さんは、
父系ではなく、母系の婆さんだったのだが、
もともと住んでいた相生市に、もっとも近い場所ということで、
龍野市に住んでいた、うちの母親の所で同居していた。
母親が大病を患ったため、愛知県瀬戸市に住んでいる息子
(うちの母親にとっては弟になる)の所に引っ越していったのだ。
うちの両親が、どちらも60代で亡くなっているのに対し、
この婆さんはなんと101歳まで生きた。
うちの一族は、我が家の両親の様に早死にする者が多いのだが、
この婆さんは、そんな一族の中で1世紀をまるまる生き抜いたわけだ。
この婆さんが亡くなった際、執り行われたのも「家族葬」だった。
直系の子孫のみが集まっての「家族葬」になったのだが、
101歳まで生きた婆さんの周りに、同年代の友人は全く残っていない。
それどころか、この婆さんも人付き合いが悪く、
(近くで畑を作っている人たちと、挨拶ぐらいはしていたようだが……)
友人というものを、全く作ろうとはしなかった。
畑作りとTV時代劇、あとはわずかな読書だけを友人として、
全くのマイペースで100年以上生きた。
もうこうなると、一般的な葬儀を行なっても誰もやってこない。
喪主を勤めた叔父が「家族葬」を選択したのも、
これまた当然のことであろう。
さらに婆さんの場合、引っ越しのため、全く寺と無縁になっていたため、
宗教色の全く無い、「無宗教」スタイルの葬儀となった。
まさに、時代の最先端を行くスタイルである。

「家族葬」とは、死者の近親者のみで行なう葬儀のことだ。
近親者以外の者に関しては、その参列を拒否するというのが
本来のそのスタイルらしいのだが、これを本気でやってしまうと
弔問客と一悶着起こってしまう可能性もあるため、
これを断固として拒否するのは、なかなか難しいようである。
葬儀自体がセレモニーホールなどで行なわれる場合、
「通夜」と「葬式」が行なわれる2日間ほどは、
その一室を借りて祭壇を用意しているため、
遺族以外の者が時間外にやってきて、
焼香だけを行なう場合もある。
うちの父親と婆さんの葬儀の場合、
「通夜」「葬式」の2日間は、母親のそれと比べても、
随分とゆっくりすることが出来た。
ただ、祭壇や棺、花などは、「家族葬」であっても用意せねばならず、
葬儀にかかって来る経費は、一般的な葬儀に比べると若干安価であるが、
一応、それなりの経費はかかってくる。
別の見方をすれば、香典などの収入(?)が全く見込めないため、
場合によっては、一般の葬儀より経費がかかってしまうこともある。
とはいえ、ほとんど弔問客のいない葬儀のため、
遺族の肉体的、精神的な負担はかなり軽減されるのは確かだ。
この辺り、一度体験しておけば、
「自分の葬式も、家族に負担のかからない家族葬で」
という考えになるのも頷ける。

「家族葬」を行なった場合、遺族側としては
「葬儀に呼ばなかった、故人の関係者が
 後から、呼ばなかったことに文句をいってこないかな?」
という不安を覚えるだろう。
そういう意味では、もともと知り合いの少なかった
うちの父親や婆さんは、「家族葬」向きの故人であった。
葬儀が終わった後に、その手のクレームが入ることがなかった。
(婆さんの場合、旧知の友人が
 全て亡くなっていたというのもあるが……)
仮に母親の葬儀を「家族葬」でやっていた場合、
何件かのクレームは入っていただろう。
そういう風に考えた場合、
自分もどうやら「家族葬」向きの故人になりそうだ。
これが果たして、良いことなのか、悪いことなのかは断じないが、
時代には合っているということだろう。

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今回の友人の母親の「家族葬」ですが、
他の友人らと相談の上、友人の許可を貰い、
時間外に、ご焼香だけさせていただきました。

故人様の安らかなご冥福を、心よりお祈りいたします。

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