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お好みの食パンはナンですか?

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前に「ガス器具展示会」の中で書いた、
食パンがうちに届いた。
全く興味のなかった「ガス器具展示会」に、
自分の足を運ばせた、功労者ともいえるパンである。
聞いた所では、きちんとしたパン屋に依頼して、
焼いてもらったものらしく、
これを目当てにかなりの人数が押し寄せ、
午前中に用意していた食パンが、
全てなくなってしまったということだった。
食パンにつられた自分がいうのもなんだが、
たつの市民には、チョロい人間が多いのかもしれない。

さて届けられた食パンだが、ちょうど3斤分の大きさがあり、
長さが30cm以上ある。
「斤(きん)」という、耳慣れない単位が使われているが、
これは体積ではなく重量を示す単位で、
1斤は600gということになっている。
だが、これは日本古来の基準であり、
現在ではほとんど使われていない。
一般的に食パンの単位として使われるのは、
「英斤(えいきん)」と呼ばれる、
イギリス由来の単位である。
こちらは1斤=450gである。
しかし、これは食パンが販売され始めた明治時代のもので、
時代とともに1斤の重さが減っていき、
現在ではおおよそ350~400gくらいになっている。
つまり3斤分のこの食パンには、
1kg以上の重量があることになる。
実際に持ってみると、ずっしりと持ちごたえがある。
その重さに、思わず顔が緩む。

この食パン、よくある四角柱型ではなく、
上部が丸く膨らんでいる。
いわゆる「山形食パン」である。
食パンは、もともと明治時代の初期に、
イギリスから入ってきたものであり、
「イギリスパン」とも呼ばれたこのパンは、
「山形食パン」であった。
これが日本で、様々に改良が加えられていくうちに、
型にフタをして焼くようになり、
現在の四角柱型の食パンになった。
したがって今回貰った食パンは、
由緒正しい「イギリスパン」タイプなのである。

袋から出して、まな板の上に置いてみると、
その堂々とした巨体に見入ってしまう。
スーパーのパン売り場で見慣れている、
すでにスライスされた食パンとは、まるで迫力が違う。
さらにスーパーの食パンと違い、
どこか香ばしいような、いい匂いがほんのりと漂う。
包丁を取り出し端を切ってみると、
そのいい匂いはさらに強くなる。
ちょっと厚めに1枚切ってみたのだが、
切り口から見える内部も、気泡が均一に入っており、
素晴らしい焼き上がりだった。

しかし改めて考えてみると、
「食パン」というのは、ミョーなネーミングである。
「パン」というのは、「食べる」ものである。
いちいち「食」という字を、つけなくてもいいではないか。
そう考え、「食パン」の語源を調べてみると、
その名前の由来には、大きく2つの説があった。

ひとつは「主食用パン」が、
略されて「食パン」になったというもの。
実は日本で、一番最初に有名になったのは、
「あんパン」をはじめとする菓子パンだった。
つまりパンは、食事というカテゴリーの食品ではなく、
菓子というカテゴリーの食品として、認知されていたのだ。
これに対するものとして「主食用パン」、
つまり、食事のためのパンとして、
菓子パンとの差別化を図ったという説である。

もうひとつは、デッサンで消しゴム代わりに使われる
「消しパン」に対し、食べる用のパンということで、
「食パン」とネーミングされた、という説だ。

しかしこの説はどうだろうか?
当時それほど、デッサンが一般的だったとも思えない。
さらにわざわざ「食べる用のパン」などとしなくても、
もともとパンは食べるものである。
ただ「パン」と「消しパン」だけで、
良いような気がする。
これらの説をみるに、
やはり「主食用パン」が略されたとする説が、
正しいように思える。

そもそも「パン」そのものが、日本に入ってきたのは、
1543年のことである。
まだ室町時代だ。
種子島に漂着したポルトガル人が、
自分たちの食料であった「パン」を、伝えたとされる。
この後、キリスト教の布教に合わせるようにして、
国中に広がっていったが、江戸時代に入り、
徳川幕府によるキリスト教禁止例が出されると、
作る者も、食べる者も、いなくなってしまう。
この後、日本でパンが作り始められるのは、
江戸時代末期、伊豆代官江川太郎左衛門によってである。

時代は幕末。
日本近海に出現した黒船によって、
日本は対外戦争に突入するかもしれないという不安が、
世間に渦巻いていた。
彼は、戦争中の兵糧としてパンに注目、
長崎から職人を呼び寄せて、これを作らせたのだ。
それまでの米飯と違い、
パンは保存性、携帯性に優れている。
……ん?保存性?携帯性?
と思われた人もいるだろう。
確かに我々が現在食べているパンは、
それほど日持ちするものではなく、米に比べるとかさばる。
だが当時、江川太郎左衛門が焼かせたものは、
現在のような柔らかいパンではなく、
固く焼き上げた、いわゆる「固パン」だった。
現在のものでいうと、非常食の「乾パン」に近い。
なるほど、これなら保存性も高く、携帯性も良い。
幸いにして、このとき作られたパンが、
対外戦争用の兵糧となることはなかった。
だが、ここから日本のパンの歴史が始まったということで、
江川太郎左衛門は「パンの祖」とされている。

明治時代になると、
現在の「食パン」の祖であるイギリスパンが、
製造され始める。
しかしこのころのイギリスパンは、外国人向けの商品であり、
日本人が食べるようになるのはまだ先の話である。
神戸では、大正時代に起こった米騒動により、
朝食にパンを食べる風習が広がっていった。
しかし、全国的にパン食が一般的になるのは、
第2次世界大戦後のことである。
神戸でいち早くパン食の風習が始まっていたためか、
現在、兵庫県のパン消費量は日本一である。
また、兵庫県だけに限らず、関西ではパン食が盛んで、
全国的に見ても、県別パン消費量の上位を占めている。

さて、我が家にやってきた3斤分の食パンに話を戻そう。
スーパーなどで販売されている、
スライスされている食パンと違い、
このパンは食べる前に、必要な分を切らなければならない。
ちょっと考えてみれば、すでにスライスしてある方が、
使いやすいように思えるが、
どうも、味はスライスしていないパンの方がいいようだ。
端から、食べる分を切るたびに、
パンの良い香りが立ち上る。
これは自分の分析に過ぎないが、
スライスしていない分、空気に触れる面が少なく、
香りが逃げないのではないだろうか?
そう考えればスライス食パンは、
便利さと引き換えに、味を犠牲にしていることになる。

これから、食べることを考えながら、
パンを切るのは楽しい。
1枚の厚さも、好きなように出来る。

普段、スライス食パンしか買っていないのなら、
是非一度、試してみてほしい味だ。

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