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歴史 雑感、考察

サバ大師

投稿日:

前々回、「読みがたり 兵庫のむかし話」という本を
図書館から借りてきたことを書いた。

実は、この「兵庫のむかし話」を借りた理由というのが、
前回、紹介した「菜食わずの祭り」の話が掲載されていたからだ。
「神戸神社」について調べてみた際、その祭礼の中に
「菜食わずの祭り」という変わったものがあることを知り、
その由来について、詳しく書かれている本を探していたのだが、
この話が「兵庫のむかし話」に掲載されていることを知り、
図書館から借り出してきた、というワケなのである。

もちろん、せっかく借り出した本なのだから、
「菜食わずの祭り」以外の昔話も、ひととおり目を通した。
このことについては、前々回に書いた通りなのだが、
目当てであった「菜食わずの祭り」のすぐ後に、
どこかで聞いたような話が掲載されていた。
その話のタイトルこそが、「サバ大師」である。

「兵庫のむかし話」に掲載されている
「サバ大師」の話というのは、大まかにいえば
次のような感じである。

昔、ある所に、大きな松のある古い寺があった。
あるとき、その寺に1人の坊さんが泊っていたのだが、
そこに「塩鯖」をたくさん馬に積んだ、馬方が通りかかった。
坊さんは馬方に

「すまないが、そのサバを一本恵んでもらえないだろうか?」

と無心したのだが、

「何を抜かす、この生臭坊主め」

と、全く相手にされなかった。
坊さんは重ねて、サバを恵んでくれるように頼んだが、
馬方は全くこれを相手にせず、さっさと出発してしまった。
馬方が山へさしかかったとき、突然、馬がしゃがみ込み、
悶え苦しみ始めた。
馬方はあわてて、馬の腹をさすってやったのだが、
全く良くなる気配がない。
そこで馬方は、ハタと思い至った。
そういえば、先ほど坊さんにサバを恵んでくれと頼まれたが、
全く相手にしなかった。
それが悪かったのではなかろうか、と。
馬方はあわてて先ほどの寺まで戻り、坊さんに謝ってサバを渡し、
馬を救ってくれるようにと頼み込んだ。
坊さんは快くその頼みを聞き、馬の腹を撫でながら拝んだ。
するとあれほど苦しんでいた馬が、
たちまち元気になって立ち上がった。
坊さんが、馬方から貰った「塩鯖」を海に向かって放り投げると、
サバはたちまち生き返り、元気に泳いで去って行った。
これを見た馬方は、坊さんの力に恐れ入り、
その場で頭を丸めて、坊さんの弟子になった。
これ以降、このお寺を
「サバ大師」と呼ぶようになったということである。

これが「サバ大師」の大まかなあらすじである。
本に書かれている注釈によれば、
この話は淡路地方に伝わる昔話ということになっている。

だが、実は「サバ大師」といえば、全国的に有名な話がある。
徳島県海部郡海陽町に伝わる「サバ大師」伝説である。
この一帯は、八坂八浜と呼ばれ、四国の札所を巡る遍路道の中でも
もっとも美しく、もっとも険しい場所として知られている。
ここで修行していた「弘法大師・空海」が、
先述した昔話と同じように馬方と出会い、奇跡を起こしたのである。
早い話、先述した昔話の「坊さん」の所を、
「弘法大師」に置き換えて読んでもらえればいい。
途中の細かい所では、微妙に違っている所もあるのだが、
話の大筋については、先述した話のままである。
「弘法大師」と馬方が出会った坂を「馬ひき坂」、
塩鯖に加持祈祷を施し、蘇らせた海辺を
鯖生→「鯖瀬」と呼ぶようになったという地名由来も語られるのだが、
さらに四国に伝わる「サバ大師」伝説では、
馬方が「弘法大師」の弟子になった後の話も語られる。

「弘法大師」の弟子となった馬方は、やがて立派な坊さんになった。
ある日、弟子は「弘法大師」に、
2人が出会ったあの坂に帰れといわれる。
(四国に伝わる「サバ大師」伝説では、
 2人は寺で出会ったのではなく、
 坂道で出会ったことになっている)
弟子は最初、困惑したものの、「弘法大師」のことだから
何か深い考えがあるに違いないと考え、これを引き受けた。
弟子は2人が出会った地に戻り、小さな寺を建てて
これを「行基庵」と名付けた。
「行基」というのは、日本の仏教の基礎を築いた行基菩薩から来ている。
この「行基庵」が、後に「鯖大師本坊」として
信仰を集めるようになって行くのである。
……。
「弘法大師」の弟子となった馬方が
「鯖大師本坊」を建立したということになるのであれば、
淡路地方に伝わっている「サバ大師」は、
時間的な矛盾をはらんでいることになる。
(だからこそ、「弘法大師」ではなく、
 ただの「坊さん」としたのであろうが……)

それにしても、四国に伝わっている「鯖大師」伝説が、
どのようにして淡路地方に伝わってきたのか?

実はこれ、そんなにおかしな話でもない。
というのも現在でこそ、
淡路島は兵庫県の一部ということになっているが、
江戸時代には阿波国(徳島県)の一部だったからである。
(四国・阿波を本国とする、属国のような扱いだったらしい)
恐らくは、かなり自由に人の行き来もあったのではないだろうか。
そんな人々の交流の中で、阿波に伝わる「鯖大師」伝説が伝えられ、
淡路地方の昔話として、定着して行ったのだろう。
その際、話の内容が微妙に変化してしまったことは、
まさに人の口から人の口へと繋がるときに起こる
齟齬そのものだろう。

この「鯖大師本坊」は、正式な名称を八坂山八坂寺といい、
四国八十八ヶ所霊場番外札所・四国別格二十霊場の第4番札所に
定められている。
絵馬に開運・子宝成就・病気平癒などの願い事を書いて奉納し、
3年間「サバ断ち」をして、これを口にしなければ、
願いが成就するという、
「サバ断ち祈願」でも良く知られているのだが、
3年間の「サバ断ち」というのは、
サバ好きにとっては、なんとも辛い祈願方法である。

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