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注連飾り

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By: Kanko*

このお正月、元旦早朝に行なった元旦登山以外、
特にすることもなく、久方ぶりの寝正月、ということになったのだが、
さすがにそんな生活をしていると、身体がなまってくる。
3日には、家の中でじっとしていることに耐えられなくなり、
自転車に乗って、フラフラとお正月の町へと出かけていった。

昨今、お正月といえども、開いている店は多い。
コンビニエンスストアなどが年中無休なのは当然だが、
最近では、普通のスーパーや電気店、ホームセンターなどの中にも、
お正月から店を開けている所があった。
もちろん、置いてある商品は「お正月用品」なのだが、
さすがに1月3日になってから、「お正月用品」を買いにくる客も
いないのではないだろうか?
ただ、それらの店が開いていることは、
自分のような、正月に暇を持て余している人間にはありがたい。
自転車で町を回りながら、それらの店を覗いて回り、
時間をつぶすことが出来るからである。

今年のお正月は、幸いにも好天に恵まれ、
風も強くない、あたたかなお正月だった。
ある意味では、絶好の自転車日和である。
のんびりと住宅街の中を、サイクリングしていたのだが、
お正月ということもあり、外を出歩いている人はほとんどいない。
皆、家の中でTVにかじりついているのか、
あるいは寝正月を決め込んでいるのか?
自転車で住宅街の中を走り、それらの家々を眺めてみると、
お正月用に玄関飾りをしている家が、
思いのほか少ないことに気がついた。
「門松」を飾っているのは、ちょっとした企業などの玄関先のみで、
一般家庭でこれを飾っている所は、皆無であった。
この「門松」の代わりに、自治体から配布されている
「門松カード」(長方形の紙に、門松のイラストが
印刷されているもの)を貼っているのも、全体のうちの半分ほどで、
多くの家は、この「門松カード」すら貼られていない。
かつてはあちこちで見られた、「餅花」なども全く見かけず、
藁で作られた「注連飾り」なども、
5軒に1軒ほどの割合でしか、飾られてはいなかった。

かつて、自分が子供だったころ、お正月になれば、
どこの家でも「注連飾り」を飾りつけていたものである。
ちょっと本格的な家になれば、これに「餅花」が加わり、
さらに本格的な家になれば、ここに「門松」が加わっていた。
我が家の両親は、この手の正月飾りには、ほとんど情熱を燃やさず、
やることといえばせいぜい、玄関先に「門松カード」を貼付け、
ほんの小さな「注連飾り」を、玄関の上に飾るだけであった。
正直、他所の家と比べても、
かなり寂しい正月飾りであったことは否めない。
それでも最低限、「門松カード」と「注連飾り」だけは、
小さいものではあっても、飾り付けられていた。
それから30年という年月が過ぎ、
この最低限のラインというのは、ぐぐっと引き下げられ、
「門松カード」や「注連飾り」でさえ、
飾らない家が多くなってしまったのである。

さて、「餅花」「注連飾り」などと書いてきたが、
ひょっとしたら、これが何のことか、
よくわからないという人もいるのでは無いだろうか?
「餅花」は「もちはな」と呼び、ヤナギやヌルデ、エノキなどの木に
カラフルなピンポン玉のようなものが、
たくさんついているものである。
パッと見感じには、ピンポン玉が枝に
突き刺さっているように見えるのだが、
もちろん、カラフルな玉はピンポン玉ではなく、餅である。
ただ、餅といっても、販売されている「餅玉」の多くは
普通の餅ではなく、半球状のモナカの皮のようなものである。
これで枝を挟み込むようにしてくっつけると、
簡単に「餅玉」を作ることが出来る。
年末になると、ホームセンターの正月飾りのコーナーに、
他の正月飾りと一緒に置かれているので、
興味のある人は、見てみるのもいいだろう。

そしてもう1つ。
今回のテーマである「注連飾り」だ。
漢字で書くと、ちょっと厳めしい感じになるが、
これは「しめかざり」と呼ぶ。
「注連縄」の「注連」と同じく、「しめ」と呼ぶわけだ。
こちらの方は「餅玉」のように、自分で作るということは無く、
すでに完成品が、店先に並べられている。
安いものでは100〜200円程度のもの、
(100円ショップでも販売されている)
高いものでは数千円するものもある。
稲藁で作られているのだが、稲を収穫した後の藁ではなく、
まだ稲が青いうちに刈り取った藁で作られる。
そう考えてみれば、随分と贅沢なもののように思えるが、
「注連飾り」1つに使われている稲藁の量を考えてみると、
実は普通に米を作るよりは、利益率が高いのかもしれない。
稲藁の他にも、麻や葛の繊維を用いることもあるようだが、
そういう例は極めて少数で、ほとんどが稲藁で作られている。
最近では、ビニール製の「注連飾り」も作られているが、
当然、ビニール製では「とんど焼き」などで
燃やすことは出来そうにない。
現在では、年末になるとホームセンターやスーパーでも
「注連飾り」が販売されており、一般的にはこれらで購入したものを
玄関先、あるいは車のグリル部分などに飾ることが多い。
(近年では、車に「注連飾り」をつけているのは、
 100台に1台といった所だろうか。
 もし、正月中に「注連飾り」をつけている車を見かけたら、
 結構、幸運かもしれない)

さて、この「注連飾り」、基本的には神社などにある
「注連縄」と同じものである。
「注連縄」の場合、これで区切られた場所を神域として、
現世と隔てる「結界」の役割を持っており、
厄や災いを祓ったりする意味もある。
さらに御霊代・依り代として、神がここに宿る印ともされる。
一般家庭で正月に飾られる「注連飾り」には、
この神の依り代としての役目が強い。
(ちなみに、同じく正月に飾られる「門松」も、
 歳神の依り代としての役割を持っている)
昔から、お正月には「神(歳神)」がやってくる、
という風に考えられており、「注連飾り」「門松」などの正月飾りは
これらを迎えるための、一種の目印、依り代としてのものである。
このお正月に「神(歳神)」がやってくるという考え方は、
昔話「かさ地蔵」の中でも示されており、
(「かさ地蔵」の中で、爺さんが笠を売りにいったのは
 正月用の餅などを買うためであったが、これが売れず、
 お地蔵様に売れなかった笠をつける、ということになっている。
 その後、お地蔵様が「歳神」として、様々な宝物を持って
 爺さんの家にやって来ることになる)
広く一般的な考え方だったようである。
これと同様の話は、日本全国に存在している。

この「注連飾り」がお正月に飾られるようになったのは、
室町時代のことだといわれている。
同じ正月飾りである「門松」が、
平安時代ごろから飾られていたことを考えると、
随分と遅れている印象である。
ただ「門松」の風習は一般庶民ではなく、
貴族階級で行なわれていた正月飾りであり、
これが現在のような玄関飾りになったのは、
やはり室町時代のことらしい。
恐らくは室町時代ごろには、一般庶民の生活が豊かになり、
貴族の間でのみ行なわれていた正月飾りをアレンジして取り込んだり、
神社の「注連縄」を元に、
新たな正月飾りを作り出したりしたのだろう。
このとき、作り出されたのが「注連飾り」だったのだと思われる。
もともとの「注連飾り」は、「注連縄」のごとく、
稲藁と紙垂のみで構成されていたと考えられるが、
時代が進むにつれ、裏白や橙なども使われるようになった。
現在では、さらにこれに、色とりどりの飾りが付け加えられている。

冒頭で、この手の正月飾りを飾っている家が減ってきている、
というような話を書いたのだが、実は、我が家も今年、
「注連飾り」を飾らず、「門松カード」を貼るのみのお正月だった。
見ようによっては、世の中の流れに乗ったとも言えるのだが、
「注連飾り」を飾らない正月というのは、
やはり、いまいち正月気分が出ない。
一人暮らしということもあり、もともとお正月らしいことは
あまりしない方なのだが、
やはり「注連飾り」は、小さくて安いものでも飾っておいた方が、
正月の雰囲気が出る。

そういうことをシミジミと感じた、今年のお正月であった。

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