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明石焼

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今月4日、東京の臨海副都心で行なわれた
「B1グランプリスペシャル」において、
兵庫県明石市が、1位のゴールドグランプリに輝いた。

3、4日の2日間で、20万2千人を集めた今回のイベントは、
「行きたい町、住みたい町、応援したい町」をテーマに、
自治体に投票する形式で行なわれた。
明石市は、ご当地グルメ「あかし玉子焼」などで地域をアピール、
見事にグランプリを勝ち取った。
(ちなみに2位は千葉県勝浦市、3位は北海道釧路市釧路町だった)

だが今回、明石市が1位を獲得したことについて、
ネット上で「ある」議論が巻き起こった。
すなわち、
「そもそも明石焼は、B級グルメなのか?」
ということである。
「明石焼」とほぼ同じような形をしている「たこ焼き」が、
B級グルメとして認められているのだから、
「明石焼」もまたB級グルメ、
と言うことでいいんじゃないか?という意見もあれば、
いや、「明石焼」はB級グルメとはいえないだろう、
という意見もある。
まあ、そこら辺の受け止め方は、
それぞれ個人の感覚によって変わってくるだろうが、
実は、B1グランプリを主宰している団体「愛Bリーグ」によれば、
「B1グランプリは、いわゆるB級グルメとは関係ありません」
と、公式サイトに明記してある。
公式サイトによれば、B1グランプリは「町おこしイベント」であり、
その目的は
「地域独特のご当地グルメを活用し、地域をPRすること」
とある。
そのネーミングとは異なり、
「B級グルメの日本1を決めるイベント」ではないというのだ。

だが、「B1グランプリ」に詳しい人なら、
疑問を持つ人もいるはずだ。
だって「B1グランプリ」は、2006年に、
「B級ご当地グルメの祭典 B1グランプリ」という触れ込みで、
スタートしているのだ。
これで、B1の「B」は、B級グルメの「B」じゃないよ、といっても、
説得力は無いだろう。
だが、あまり知られていないことだが、
2012年の第7回大会を最後に、当初のコンセプトに沿う形で、
「B」を「ブランド」の「B」として再定義し、
「B1グランプリ」へと、名称変更を行った。
「B級ご当地グルメの祭典」という文言が、カットされたのである。
つまり、2013年以降、「B1グランプリ」からは、
「B級ご当地グルメ」という、いわば一種の縛りが
無くなっていたのである。
そういうことであれば、
「明石焼」がB級グルメであろうと無かろうと、
「B1グランプリ」に出場するのは、
全く問題がない、ということになる。

さて、めでたく「B1グランプリ」において、
グランプリを獲得した「明石焼」(正確には明石市)であるが、
世の人々の認識では、せいぜい、
ダシツユにつけて食べる「たこ焼き」、くらいにしか
思われていないのではないだろうか?
たしかに「明石焼」の写真を見てみると、
何か板のようなものに並べられていて、
横にダシツユの入った容器が置かれている以外、
「たこ焼き」との外見的な相違は、無いように思える。
ともすれば、「明石焼」は「たこ焼き」の亜流、
という風に思われているかも知れない。
知名度、ということになれば、
これはやはり「たこ焼き」の方が圧倒的で、
「明石焼」は、「たこ焼き」ほど、その名を知られていない。
だが、かつて「たこ焼き」について書いた折に触れたように、
歴史的にいえば「たこ焼き」が作られたのは、
昭和10年ごろ、大阪の会津屋でのことであり、
その「たこ焼き」の前身には、
「ラジオ焼き」「肉焼き」などがあったのだが、
それらの、さらに元となったものこそが、
この「明石焼」であったと考えられるのである。
つまり、「明石焼」こそが「たこ焼き」の先祖だったわけである。

実を言えば、「明石焼」という呼び方は、
兵庫県明石市には存在していない。
では「明石焼」がどう呼ばれているか?というと、
これが「玉子焼き」と呼ばれている。
実際、今回のB1グランプリでゴールドグランプリに輝いた
明石市が推していたのも「あかし玉子焼き」であった。
この「玉子焼き」というのは、地元明石を中心とした
東播磨地方近辺での呼ばれ方で、「明石焼」というのは、
それ以外の地方での呼び方ということになる。
普通に卵を焼いた「卵焼き」と区別するために、
このように呼ばれているようだ。
使われている材料は、鶏卵、ダシ、
浮き粉(うきこ)か沈粉(じんこ)、小麦粉を混ぜ合わせた生地と、
タコのみである。
「明石焼」を焼くのに使うのは、「たこ焼き」用の鉄板とは違う
銅製の専用焼き鍋で、ちょうどこの鍋1つ分で、
1人分の「明石焼」を焼き上げることが出来るようになっている。
焼き方は「たこ焼き」のそれとほぼ同じで、
油をひいた焼き鍋を熱し、そこに生地を流し入れ、
さらにくぼみにタコを入れていく。
ある程度、生地が固まった所で、これをクルリと回転させてやるのだが、
銅製の焼き鍋を使っているので、「たこ焼き」のように
千枚通しなどの金属製の器具を使わず、箸を使ってひっくり返す。
やがて「たこ焼き」と同じような形に焼き上がるのだが、
生地の中に鶏卵、浮き粉(または沈粉)などの材料が使われているため、
「たこ焼き」よりも遥かに柔らかく仕上がっており、
「たこ焼き」のように串に刺して、皿の上にのせることが出来ない。
そのため、焼き上がった焼き鍋の上に、皿となる板をのせて、
そのまま鍋ごとひっくり返し、板の上に盛りつけるのである。
そして、その板にのせたまま、客の元へと運ばれる。
客も、串などを使わず、箸でこれを掴み、
ダシ汁に浸して食べるのである。

生地に使われている材料を見れば、
ほとんど「たこ焼き」と同じように見える。
ただ、一般的な「たこ焼き」の生地の中には、
鶏卵は使われていないし(使っている所もある)、
浮き粉や沈粉を混ぜることも無い。
これらの材料が入っていないため、
「たこ焼き」は「明石焼」に比べると、しっかりと固めに焼き上がり、
串で刺して食べることが出来るのである。

ん?じゃあ、持ち帰る場合はどうするんだ?と、
思った人もいるだろう。
もちろん、持ち帰りの場合は、「たこ焼き」の場合と同じように、
発泡スチロールのケースや、紙製の箱に入れてくれる。
つけ汁もプラスチック製の容器や、
ビニール袋などに入れて渡してくれるので、
持ち帰った後にこれを器に移し、浸して食べることが出来る。
(つけ汁用の発泡スチロール容器を、つけてくれる所もある)
ただ、ソースが塗ってあり、
そのまま食べることの出来る「たこ焼き」に比べると、
どうしても、ひと手間、余計にかかってしまうのは否めない。
「明石焼」が、「たこ焼き」のように
全国的に広まっていかなかったのは、
この持ち帰りの場合のひと手間が、理由なのかもしれない。

「明石焼」のルーツを探っていくと、
江戸時代の末期まで、遡ることが出来、
その誕生には、有名な話が2つある。

1つは、こんな話だ。
昔、明石の殿様のお菓子を作るのに、卵の黄身だけを使っていた。
だが、残りの白身がもったいないので、これを利用して
「玉子焼き」を始めたという。

そしてもう1つ。
江戸時代の末期、天保のころ、
鼈甲細工師の江戸屋岩吉という男がいた。
ある寒い日に、懐に卵を入れていたら、その卵が割れ、
白身が固まった。
鼈甲細工師の彼が、これにヒントを得て作り出したのが、
「明石玉」と呼ばれる、一種の模造珊瑚である。
これは卵白を接着剤として、硝石などを固めたもので、
かんざしなどに使われた。
これは大変な人気を得たようで、
明治・大正のころの記録を見ると、この「明石玉」は
明石の重要な産業の1つになっていた。
一方では、副産物として、卵の黄身が大量に残っていた。
この不要品の黄身と小麦粉、さらに当時からたくさん捕れていた
タコを活用して、出来上がったものが「明石焼」だ、
というものである。

かたや、白身があまり、かたや、黄身が余る。
話としては、ちょうど対になっている所が面白い。
ただ、殿様のお菓子を作っていた余り、というのであれば、
それほど大量に白身が余っていたとも思えず、
これを使って「玉子焼き」を作ったというのも、
ちょっと不自然な気がする。
さらに、現在、残っている明石の和菓子屋のメニューの中にも、
玉子の黄身だけを大量に使用したようなものは、見当たらない。
そうなると、「明石玉」にまつわる話の方が
信憑性があるということになる。
実際、産業として「明石玉」を生産していたのは事実だし、
その過程で黄身が余る、というのも、確かに道理である。
ただ、濃厚な黄身のみを使用して作られていた、としたら、
当時の「明石焼」は、現在のものよりも堅く、
濃厚な味わいだったのかも知れない。
ちょっと、食べてみたい気もする。

明治末期には、向井という人物が、浜国沿いに屋台風の店を出し、
「玉子焼き」を販売していた。
これがかなりの人気を得ていたらしく、
近くの芝居小屋に出演していた多くの役者たちも、
これに舌鼓を打っていたという。
彼の「玉子焼き」は、1個売りも行なわれており、
その場ですぐに食べられるよう、
冷ましたダシ汁で食べていたらしい。
大阪から多くの人が、彼に「玉子焼き」の秘伝を
聞きにきたということから、そのうちの誰かが、
「ラジオ焼き」を作ったのかもしれない。

さて、このように、「たこ焼き」の先祖ともいえる
「明石焼」なのだが、いざ、これを食べようとすると、
これを販売している所は、驚くほど少ない。
「たこ焼き」の店は、あちこちに林立しているのに比べ、
「明石焼」を販売している店は、ほんのごくわずかである。
同じ兵庫県内の西播磨地区でこうなのだから、
県外、関西以外ということになると、
多分、皆無といってもいいだろう。

だが、逆に言えば、そこまで狭い地域のみでしか
食べられていなかったおかげで、ひとつの「ご当地グルメ」として
B1グランプリでグランプリを獲得することが出来た、と考えれば、
これは、なんとも面白い話である。

明石に行かなければ食べられない「明石焼」。
明石を訪れた際には、忘れずに食べておきたい、
「ご当地グルメ」である。

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