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歴史

大阪城

更新日:

「大台ケ原」からの帰り道、
意外に時間が余ったため、奈良・大阪を観光しながら
帰ることに決め、「吉野山」「高松塚古墳」とまわり、
最後に友人の希望である「大阪城」へと向かうことになった。

「高松塚古墳」を後にした我々は、
南阪奈道路にのって大阪に入り、
そのまま高速道路を走って「大阪城」の近くまで移動した。
高速道路を降り、しばらく一般道を走ると、
目の前に、広い敷地を持つ大阪城公園と、
その中央に聳える天守閣が見えてきた。
カーナビの案内に従って、大阪城公園の駐車場に向かったのだが、
どういうワケか、入り口付近で停められてしまった。
係員に話を聞いてみると、
どうやらカーナビが案内してくれた駐車場は、
関係者以外、駐車することが出来ないようだ。
ひょっとしたら、ナビの地図か古かったのかも知れない。
そのまま係員に、一般車両が駐車できる駐車場がないか聞くと、
城の外堀に沿ってグルリと一周する間に、
あちこちに駐車場があるという。
早い話、近くには有料駐車場もたくさんありますよ、
ということらしい。

係員のその言葉に従って車をUターンさせ、
城の外堀沿いに道路を走ってみると、なるほど、
小さな規模のものが多いが、かなりの数の有料駐車場がある。
ただ、連休中ということもあり、
そのほとんどが「満車」と表示されていて、
なかなか空いている駐車場が見つからない。
あそこも満車、ここも満車と、走っているうちに、
ようやく空きのある駐車場を見つけた。
川沿いに作られた駐車場で、
車を停めた場所から、堀と石垣、さらに天守閣が見えている。
地図で確認してみた所、ちょうど城の北側に位置しており、
目の前の川を、平べったい旅客船が航行している。
どうやら水上バスの様である。
路面電車というのは、何度か目にしたことがあるが、
水上バスというものを見たのは、今回が初めてである。
我々は車を降り、川沿いを歩きながら京橋口へと向かった。

京橋口は、京街道への玄関口となった場所で、
石垣が「枡形(ますがた)」と呼ばれる、独特の形で築かれている。
目を引くのは、使われている石の巨大さである。
これでもか、というほどの巨石がふんだんに使われており、
今までに見た他の城の石垣とは、一線を画している。
特に、この京橋口の枡形に使われている巨石は、
城内第2位の大きさのもので、「肥後石」と呼ばれている。
思わず、城を建設した豊臣秀吉の権力は、
こんなにも凄かったのかと、驚いてしまったが、
なんのことはない、現在残っているのは、
1620年に、徳川幕府の手によって「大阪城」が再建された際に、
築かれたものだという。
石はきれいな平面状に加工されており、まるで石造りの壁の様だ。
どういうわけか、我々がこの京橋口の枡形を通った際、
地元のオッサンがスカッシュの道具で、壁打をやっていた。
こんな人通りの多い通路でそんなマネをしていて、
係員に叱られないのだろうか?

枡形を抜けて進んでいくと、「大阪城」の内堀に突き当たる。
ある程度の幅があり、それなりに深さもあるようだが、
本丸や天守閣の周り全てに、巡らされているわけではなさそうだ。
地図で確認した限りでは、本丸南側の堀は空堀になっており、
水は入っていないらしい。
そんな内堀を、和式の遊覧船がゆったりと航行している。
当時の屏風絵を元に作られた御座舟で、
金箔がふんだんにあしらわれており、かなり派手である。
正直言って、かなり悪趣味な船だ。
恐らく秀吉ならば、
こんな感じの船を造っただろうということらしい。
船を見ながら、内堀沿いを東方向へ進んでいくと、
内堀にかかる唯一の橋、「極楽橋」がある。
これを渡ると、目の前が「大阪城天守閣」である。

これは秀吉の時代はもちろん、江戸時代に作られたものでもない。
1629年に徳川幕府の手によって再建された2代目天守閣は、
1665年の落雷によって焼失してしまっており、
以降、「大阪城」は天守閣を持たない城であった。
「大阪城」に天守閣が再建されたのは、
昭和6年のことであり、この際、外観だけを模した、
鉄筋コンクリート製の天守閣が造られ、太平洋戦争を越えて
現在まで続く、3代目天守閣となっている。
あくまでも外観を模しているだけなので、
姫路城のように内部構造には、資料的な価値はなく、
それをカバーするためか、天守閣内部は
「大阪城」の博物館となっている。

天守閣内部を見学するためには、
入場券を購入しなければならない。
見学の順路は、まず、エレベーターか階段で最上階まで登り、
そこから階段で1階ずつ下っていく。
最上階には展示物はなく、建物の外にグルリと回廊が巡らしてある
展望台になっている。
たしか、マンガ「名探偵コナン」では、
大阪城の屋根の上で人が死ぬ場面があったが、
この展望台は金網で覆われているため、屋根の上に下りることは、
実際には不可能である。
それぞれの階の中央部分を貫くようにして、
エレベーターと階段が設置されており、
これを使って、下の階へと下りていく。
博物館は6フロアーあり、模型、イラスト、他、
各種資料が展示されていて、「大阪城」について知ることが出来る。
休日であることも重なって、かなりの観光客が
「大阪城」を見学している。
外国人観光客も多く、普通に中を観光していると、
様々な国の言葉を聞くことが出来る。
この日、城の外は気温も高く、非常に蒸し暑い一日だったのだが、
城の中にはしっかりとエアコンが効いており、
非常に快適に、見学することが出来た。

城内には各種資料の他、
戦国武将のコスプレコーナーなども用意されており、
人々は長蛇の列を作っていた。
特に今年は、大河ドラマ「真田丸」が放送されており、
「大阪城」は、このドラマの重要な舞台になっていることから、
真田幸村関連の展示が、多くなっているようだ。
(そもそも「真田丸」というのが、
 大阪夏の陣において、真田幸村が大阪城内に築いた
 曲輪の名前である)
数年前、大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送された際には、
その舞台となった兵庫県姫路市に、大勢の観光客が押し寄せたが、
それと同じ現象が、現在、「大阪城」で起きているのである。

さて、ここ数回の記事を読まれた人は知っているだろうが、
今回、自分と同行している友人は、
「大台ケ原」の10㎞にも渡る山歩きによって、膝を痛めている。
そのため「高松塚古墳」を見学したときも辛そうであったし、
「吉野山」の見学については、歩く距離が長くなりそうということで、
急遽、中止ということになっている。
歩くたびに、膝裏に激痛が走る様なので、
結構な距離を歩かなければならない観光は、
NGということなのだろう。
だが、ここまで書いている分を読んでいただいたら分かるように、
この「大阪城」観光も、外堀の外に駐車した車から、
この天守閣の階段に至るまで、
かなりの距離を歩かなければならなかった。
本来なら、膝の痛みで観光どころではないのだろうが、
自分から希望した「大阪城」観光である、ということで、
敢えて痛みを推しての観光だったようだ。
天守閣の下り階段などでは、左右の手すりを掴み、
まるで松葉杖でもついているように身体を持ち上げ、
膝に負担がかからないようにしていた。
なんとも器用というか、涙ぐましい努力である。

天守閣を見学してみて、改めて思ったが、
やはり鉄筋コンクリート製の天守閣というのは、
「大阪城」というものの体裁を整える、一種のハリボテである。
しかし、城内の石垣、随所に使われている巨石の数々は、
「大阪城」が、時の最高権力者の手によって作られたことを、
何よりも如実に表している。
建築物の価値という点では、「姫路城」など、
古来からの木造建築には及ばない「大阪城」だが、
その辺りに、「元・天下人の城」という矜持が見て取れる。

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