雑学、雑感、切れ味鋭く、思いのままに。

Falx blog 2

書籍

仮名手本「忠臣蔵」~その1

更新日:

JR山陽本線・姫路駅から下り列車に乗ると、

その終着駅は、概ね3つか4つに絞ることができる。

まず、岡山行き。

言わずと知れた、岡山県の県庁所在地である。

次に、上郡行き。

これは赤穂市の北に位置する上郡町のことであり、

この駅からは智頭線が出ている。

次に、網干駅。

ここは、姫路から3駅ほど下った所にあり、大きな列車基地がある。

また山陽本線の新快速は、この網干駅までしか来ていない。

そして最後に、播州赤穂駅である。

「赤穂」の前に、わざわざ「播州」とあるが、

「赤穂」という地名は、ここにしかないので、

ただの「赤穂駅」であっても通じるはずである。

それをわざわざ「播州赤穂」としているのは、

「播州赤穂浪士」を強くイメージしてのことだろう。

そう、赤穂は塩の町、そして赤穂浪士の町である。

昔は、年末になるとTVで「忠臣蔵」を放送していたという。

現在でも、年末には、ひとつふたつは「忠臣蔵」を見ることができる。

よく言われることだが、昔は芝居小屋に客が入らなくなった時、

「忠臣蔵」を上演すると、たちまち客が押し寄せたという。

それだけ、日本人には受けのいいストーリーだということだ。

たまにNHKなどで「忠臣蔵」を取り上げた番組があると、

そこによく出てくるのが、「仮名手本忠臣蔵」という言葉である。

「忠臣蔵」というのは、わかる。

恐らくは「忠臣・大石内蔵助」を縮めたものだ。

もちろんこれには異説もあって、

「蔵一杯になるほどの忠臣」という意味だとも言われる。

なるほど、47人もいれば、普通の蔵なら一杯になるかもしれない。

しかし、冷静に見た場合、やはりこれは「忠臣・大石内蔵助」の方が、

正しいように思える。

問題は「仮名手本」の部分である。

「仮名手本」というのは、もともと、いろは歌を平仮名で書いた、

習字用の手本のことである。

いろは歌自体を、指すこともあるようである。

では「仮名手本忠臣蔵」とは、どういうことなのか?

単純に考えれば、習字のお手本になるような、

きれいな平仮名で書いてある「忠臣蔵」ということになる。

……。

さすがに「そんなバカな」としかいいようがない。

それではまるで、絵本ではないか。

実際にインターネットで「仮名手本」というワードで検索すると、

出てくる検索結果は、99%が「仮名手本忠臣蔵」である。

逆にいえば、この「忠臣蔵」以外には、

「仮名手本」というものが、存在していないようだ。

この「仮名手本」が文字通り、習字用の手本だった場合、

他にも「仮名手本桃太郎」とか、「仮名手本源氏物語」などがあってもいい。

しかし、どうも「忠臣蔵」以外には「仮名手本」は存在していない。

ということは、この「仮名手本」というのには、

習字用の手本以外の、意味があるのではないか。

そう考えて調べてみると、この「仮名手本」というのは、

赤穂浪士四十七士を、いろは四十七文字にかけて、

「仮名」と表現したものらしい。

では「手本」とは?

これに関しては、言及しているものがなかった。

ただ無理矢理、意味を通すということになると、

「忠臣・大石内蔵助」を代表とする四十七士「仮名」は、

武士のお「手本」である、というような意味があるのかもしれない。

なんとも、回りくどい表現を使ったものであるが、

当時としては、「赤穂事件」が世間を揺るがした大事件だっただけに、

それをモデルにしたストーリーを作ったとしても、

「四十七」という直接的な数字をタイトルに入れず、

「仮名」とすることで、なんとなく四十七という数字を表現したのかもしれない。

さらに「いろは歌」には暗号が隠されている、という説もある。

いろは歌というのは、いろは四十七文字を全て1文字ずつ使った歌のことだ。

ちょっと書き出してみよう。

いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へと 散りぬるを)

わかよたれそ つねならむ(我が世誰そ 常ならむ)

うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 今日越えて)

あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見し 酔ひもせず)

「ゐ」や「ゑ」が入っているが、確かに四十七文字だ。

ちなみにいろは歌の中には「ん」は入っていない。

果たしてこれに、どんな「謎」が隠されているというのだろうか?

言われているのは、このいろは歌を7文字ずつ区切って、

その7文字目だけを拾って呼んでいく。

すると「とかなくてしす」となる。

これを「咎、無くて死す」と読むのだ。

この「咎、無くて死す」というのが、浅野内匠頭を指すのか、

四十七士を指すのかはわからないが、なんとも暗示的なことだ。

ただ「いろは歌」が初めて文献に出てくるのは、

1079年に書かれた「金光明最勝王経音義」で、「赤穂事件」のはるか前だ。

この説については、全くのこじつけであろう。

今回は、仮名手本「忠臣蔵」の「仮名手本」の部分について考察してみた。

次回は「忠臣蔵」、つまり内容の部分について、書いていく。

Related Articles:

にほんブログ村 その他生活ブログ 雑学・豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーリンク
スポンサーリンク

-書籍

Copyright© Falx blog 2 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.