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ピザ〜その2

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By: Haseo

日本という国に、ピザが伝わったのは
決して古いことではない。

今回の記事を書くにあたって、古い百科事典を調べてみたのだが、
それには「ピザ」という項目自体が、存在していなかった。
その辞典が発行されたのが、昭和39年、1964年である。
そのころはまだ、「ピザ」というものが、
まだほとんど知られておらず、
百科事典を編集した人たちも、
これについては掲載しなくてもいいか、と判断したようである。
現代の百科事典であれば、大々的にスペースを割いて、
ことこまかに、その種類や歴史について書かれているだろう。
今からおよそ半世紀前、
「ピザ」の知名度とはそんなものであった。

「ピザ」の歴史を遡っていくと、
その原型は「フォカッチャ」と呼ばれる、
平焼きのパンであるとしているものがある。
小麦粉、油、水、塩、イースト菌などを原料とした生地を、
麺棒や手で平たく押し伸ばし、石釜で焼いた「フォカッチャ」は、
古代ローマから伝わる、イタリアの伝統的なパンである。
生地にオリーブオイルが使われており、
サクッとした口当たりが特徴である。
様々な「フォカッチャ」があるが、
確かに種類によっては、具やソースが全くない
「ピザ」の様に見える物もある。
生地の材料は「ピザ」のそれに酷似しているし、
食感などを見ても、「ピザ」に似通っている所もある。
しかし、さすがにこれを「ピザ」の原型といえば、
どうしても違和感が拭えない。

我々が「ピザ」といわれて、頭の中に思い浮かぶものは、
丸く薄い円板状の土台の上に、赤いトマトソースが塗られ、
溶けたチーズがいっぱいにのっかっているものである。
具材については、はっきりとしたイメージはわかないが、
少なくとも、トマトソースもチーズものっかっていない、
ただの薄いパンを「ピザ」だ、といわれても、
きっと誰も納得しないに違いない。
そうなってくると、「ピザ」というのは、
薄い土台としての「パン」の上に、「トマトソース」を塗り、
「チーズ(溶けるもの)」を乗せて焼いたものこそが、
その原初、原型であるといえるだろう。

そうなってくると、「ピザ」の条件は以下の3つだ。

・薄い、サックリとした食感のパン
・トマトを煮込んで作った、トマトソース
・焼くことによって、溶けるチーズ

「ピザ」の生まれ故郷であるイタリアに、
これらの材料が揃ったのはいつか?
少なくとも、パンとチーズについては、
もともとヨーロッパ、もしくはその近辺で作り出されたもので、
その歴史については、圧倒的に古く、
いつからイタリアにあったか?ということを考えても、
きっちりとした答えは出てこない。
だが、トマトソースだけは別である。
トマトは、もともと南アメリカ原産の植物である。
ヨーロッパにもたらされたのは、
大航海時代による、ヨーロッパ人の
アメリカ大陸到達以降のことである。
さらにいえば、ヨーロッパにもたらされた当初、
トマトには毒がある、と考えられていたため、食用にはされず、
もっぱら観賞用として使われるだけであった。
これが食用にされるようになったのは、いつなのか?
以前、「ケチャップ」について書いた際、
アメリカ合衆国においては、建国の父と呼ばれる
トマス・ジェファーソンがトマト食を広めたと書いた。
ではヨーロッパでは?
実は、ピザ発祥の地といわれるイタリア・ナポリこそが
ヨーロッパでもっとも早く、トマトを食べるようになったらしい。
当時のナポリはスペイン領であり、
同じくスペイン領であったインカの、
トマトを食べるという習慣が、伝わったのかも知れない。
18世紀の後半には、ナポリの貧しい人々は
パン(フォカッチャ?)の上に、
トマトを乗せて食べるようになった。
恐らくは、この瞬間こそが、我々の良く知る「ピザ」の
誕生の瞬間だったに違いない。
つまり言い換えれば、「ピザ」こそが、
ヨーロッパ最古のトマト料理だったとも
言えるのではないだろうか?

それまでは、食用とされていなかったトマトでさえ、
「ピザ」の具となったわけだから、
恐らくは、ありとあらゆるもの(総じて安いもの)が
「ピザ」の具として、用いられたことだろう。
そして、「ピザ」誕生から100年ほど後、
ついに「ピザ」は、イタリアの王と王妃が食べるまでになる。
その際、イタリアの国旗をイメージして使われた具材は、
トマト、バジリコ、チーズのみであった。
王妃はこれを気に入り、このピザに自分の名前、
「マルゲリータ」を与えた。
現在まで続く、「ピザ・マルゲリータ」誕生の瞬間である。

同じころ、イタリア系移民によって、
アメリカ合衆国にも「ピザ」がもたらされた。
だが、このころの「ピザ」は、
あくまでもイタリア系移民の間でのみ食べられている料理で、
これが一般のアメリカ国民に広がっていくのは、
第2次世界大戦後のことであった。

日本に「ピザ」が持ち込まれたのも、やはり戦後のことである。
日本のピザの事始めには2つの説があり、
1つの説では神戸、もう1つの説では宝塚に、
ピザを提供するレストランが出来たとするものである。
どちらが正しいのかはわからないが、
少なくとも、兵庫県こそが、
日本のピザ・発祥の地であるようだ。
日本では「ピザ」は「ピザパイ」などとも呼ばれた。
もちろん、「パイ」とはついているものの、
別段、パイ生地を使って作られていたわけではない。
これはパイ皿の上に、様々な具材を盛りつけたものに、
形状が似ていたためにつけられただけである。
実際、マンガ「ミスター味っ子」のピザ対決では、
堂々と「ピザパイ」と言い切っている。
それを考えると、随分と長い間、
「ピザパイ」という呼び方が、一般的だったようである。

また、この「ピザ」の変形として、
日本独特の料理が作り出された。
それが「ピザトースト」である。
これは小麦粉などを練って生地を作る手間を省き、
食パンで代用してしまうものである。
食パンの上に、トマトソースもしくはトマトケチャップを塗り、
その上に様々な具材を乗せる。
最後に溶けるチーズをタップリと乗せて、
オーブントースターで焼き上げるのである。
この料理は、「ピザ」がまだ高価だった1960年代に、
東京の喫茶店が、安価にピザを食べてほしいと作り上げた。
これは、溶けるチーズさえあれば、家庭でも簡単に作れるので、
一気に全国に広まっていった。
現在でも「ピザトースト」は人気があり、
スーパーなどで、本物の「ピザ」のチルド品に混じって、
「ピザトースト」のチルド品も販売されている。

1990年代になると、イタリア料理ブーム、
通称「イタめし」ブームが起こり、本格的なイタリアンピザも
一気に広がることになる。
現在では、「ピザ」をモチーフにした各種商品が、
各所において販売されている。

戦後、「ピザ」がもっとも早く持ち込まれた、
「ピザ」先進地・兵庫において、
宅配ピザ空白地帯という、屈辱的な扱いを受けた我が家だが、
後に、配達区域の延長もあり、
無事、ピザの宅配を受けられるようになった。

そのことだけ、断っておいて、今回は筆を置く。

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