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松茸

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先日、市内のスーパーに入ってみると、
青果売り場の一画に「松茸」が並んでいた。
小さなサイズのものが2~3本ほど入っていたが、
どうやら国産のものではなかったらしく、
それほど極端な価格はついていなかった。

そういえば、少し前にTVにて、
「今年は松茸が豊作である」というニュースがあった。
今年は、気候条件が松茸の生育に良かったのか、
ニョキニョキと松茸が生えてきているらしい。
近年は、松茸が採れなくなったという話ばかり聞いていたので、
これはなかなか嬉しいニュースといえる。
豊作ということは、
いささかでも値段が安くなっているのかと思い、
ネットで販売している所を調べてみたが、
そこには恐るべき価格がつけられていた。

比較的小さなものが2本入っていて、4000円。
それよりはるかに大きな、ジャンボサイズ松茸が14000円。
この隣に置かれている、
そこそこのサイズのものが2本入りで、9600円である。
豊作で値段が下がってこの価格なのか、
それとも豊作の影響は、まだ値段に転嫁されていないのか、
普段から松茸を買い慣れていない身としては、
その価格がお買い得なのかどうかも判断出来ない。
一応、全て国産品ということになるのだろうが、
やはり今年も、一般庶民にとっては高嶺の花ということらしい。

さて、これまでに書いてきたこともある通り、
自分は四季を問わず、山に登っているのだが、
秋の山では様々な「お土産」を手に入れている。
その代表が、栗の実でありアケビであるのだが、
実は今までにキノコの類を収集してきたことがない。
まあ、正確にいえば何度か、生えているキノコを
適当に採取して帰ってきたことがあるのだが、
それをキノコの本で調べてみても、
どのキノコなのかキチンと同定することが出来なかったため、
それ以降、キノコの採取は止めてしまった。
さすがに正体不明のキノコについては、
調理して食べようという気にはならない。
自分が、生えているのを見て、
ひと目で「それ」と見分けることが出来るのは、
恐らくシイタケと松茸くらいのものであろう。
だが、シイタケにしても松茸にしても、
山歩きの最中には出会ったことがない。
特に、アカマツが生えているような場所を歩くときは、
視線を地面の方に向けて歩いているのだが、
松茸どころかキノコらしきものも、見つかったことがない。
やはり、天然の松茸を山歩きの最中に見つけるというのは、
都合の良すぎる話のようである。

松茸は、ハラタケ目キシメジ科キシメジ属に属する
キノコの一種である。
養分の少ない、比較的乾燥した土地を好む。
主にアカマツ林の地上に生育することから、
「松」と「茸」から、「松茸」と名前がついた。
こういう名前の由来を聞くと、どうしてもアカマツの下のみに
生えてくるキノコのように思えてしまうが、
実はツガの林に発生すると紹介している書物もあるし、
ブナ科の常緑樹林に生えてくるものものある。
また、アカマツの林に生えるといっても、
実際には樹齢20~30年ほどたったアカマツでなくては、
松茸は発生しない。
その後、30~40年ほどの間は
もっとも松茸の発生が盛んになり、
その後、70~80年ほどは松茸が生え続ける。
つまり、ある程度の成熟したアカマツ林でなければ、
松茸は発生せず、さらにいえば、
そのアカマツ林の落葉、落枝、などを燃料として使い、
腐葉土の発生をさせず、林床を貧栄養化させることによって
初めて松茸が生えやすい状況になる、ということである。

松茸は、「香り松茸、味しめじ」といわれるように、
独特の強い香りを持っているが、
これはマツタケオールと呼ばれる物質によるものである。
松茸が日本で、高級キノコとして扱われているのは、
ひとえにこの「香り」のためなのだが、
どうもこの松茸の「香り」は、
日本人以外には理解されないものらしい。
欧米人たちにとって、松茸の香りは松脂の匂いの様に感じられ、
非常に不快な匂いとされる。
松茸の学名も、直訳すれば
「吐き気を催させるキシメジ」という意味になるので、
日本人の感覚からすれば、納得しかねる所だろう。
同じアジア人である中国人も、
松茸に関しては、薬品として使用はするものの、
これを食品として、好んで食べることはないという。
そういう意味では、まさに日本でのみ
その価値を認められているキノコといえる。

日本人が、いつごろから松茸を食べていたのか?
ということに関しては、はっきりとしたことは分かっていない。
と、いうのも、今から約2000年前の縄文時代の遺跡から、
キノコを食物として利用していた形跡が残っているものの、
そのキノコの中に松茸が存在していたかどうかは、
わからないためである。
弥生時代の遺跡である、岡山県の百間川・兼基遺跡からは、
松茸を模した土人形が出土しており、
少なくともこのころには、松茸は日本人にとって
かなり身近なキノコになっていたであろうことが伺える。
「日本書紀」には、応神天皇に
「茸」を献上したことが記されており、 
「万葉集」の中には、松茸の短歌が載っている。
平安時代になると、貴族たちが松茸狩りを
季節の行事として楽しむようになり、
「古今和歌集」「拾遺和歌集」の中にも、
松茸を題材とした和歌がいくつも見られるようになる。
江戸時代になると、一般庶民たちも松茸を食べていたようで、
1643年に発刊された「料理物語」の中にも、
庶民の日常食として、松茸が登場している。
これ以降に書かれた様々な料理書の中でも、
松茸を使った、吸い物、焼きもの、蒸し物、
寿司などが書かれており、
当時の松茸は、現在ほどの高級食材ではなく、
むしろ庶民の日常の食材であったようだ。

江戸、明治、大正、昭和の中ごろまでは、
日本のアカマツ林の面積も広く、
(燃えやすいアカマツは、燃料として栽培されていた)
それらの葉や枝は燃料として使われていたので、
アカマツ林は非常に松茸の生えやすい状況であった。
実際、昭和16年の松茸の生産量は12000tにもなっている。
生産量といっても、現在に至っても松茸は人工栽培出来ないため、
これらは全て天然の松茸である。
これが2010年には140tにまで落ち込んでおり、
これは昭和19年の80分の1の生産量である。
総量がここまで落ち込んでしまえば、
値段が跳ね上がるのも無理のない話である。
こうなった原因は、石油や電気などのエネルギーが
一般的になることによって、
それまで使われていたアカマツの落葉や落枝などを
燃料として使うことが無くなってしまい、
アカマツ林の林床が落葉などが腐葉土化することにより、
富栄養化してしまったことにある。
現在でも、松茸を生やしているアカマツ林では、
事業者たちの手によって落葉などが取り除かれ、
松茸の生えやすい環境が維持されている。

よく、落葉や落枝が使われなくなり
アカマツ林が富栄養化した現状を、
「アカマツ林」の手入れが行き届かなくなったと、
まるで悪いことのようにいわれることも多いのだが、
本来、林床に落葉や落枝が堆積し、これが腐葉土になるのは
ごく当たり前の自然の営みである。
アカマツ林で松茸が生えてこなくなったというのは、
それだけアカマツ林が、本来の姿を取り戻したともいえるわけだ。

「自然を大切にする」という、大前提からしてみれば、
松茸が生えてこないというのは、むしろ歓迎すべきことなのだが、
日本人はこれに「食欲」が絡むと、
平気でこの大前提を忘れてしまう。
なんとも業の深い民族である。

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