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死中の「活」

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By: nnice

自分は、わりと本を読む。

そのジャンルは、わりと広範で、
普通の小説類を読むこともあれば、
自然科学系の専門書を読むこともある。
マンガを読むこともあれば、
郷土史の古い資料を漁ってみることもある。

そんな中で、数冊の「漁業」にまつわる本も読んだ。
やはり面白いのは、実際の漁師の話を聞き書きしているもので、
普段、知ることの出来ない「漁師」という仕事の裏側、
魚たちの習性や、漁のシステムなどは
読んでいて非常に面白い。

ただ、どんな漁師の話でも共通していることがある。
魚が減ってきている、という話だ。
昔はこれだけ獲れていたものが、今はこれだけしか獲れない。
昔はここで○○という魚が獲れていたが、
ここの所に人工島を作ってからは、全く姿を見なくなった。
このような話は、漁師の話を聞き書いたようなものの中では、
いつも聞く話である。

これは漁師の感覚だけの話ではなく、
数字の上でも現れている。
ほとんどの魚種で、漁獲量は大幅に減少してきており、
マグロやウナギなど、すでに絶滅を危惧されているものもある。
これらについては、TVなどでも
「○○が食卓から消える?」とか、
「○○が食べられなくなる?」などというアオリで、
散々特集しているので、これを目にした人もいるだろう。
寿司屋やウナギ屋の店主が映り、
困った困ったと愚痴をたれている。
TVなどは、「○○が食卓から消える?」と、
視聴者の不安さえ煽れればそれで満足なようで、
抜本的な解決策に関しては、全く口にしようとしない。
まだまだ採算の合わない「養殖」や、
ウナギの代わりにナマズを食べる、なんていう方法を紹介して、
適当にお茶を濁している。
なぜ、抜本的な解決策について語らないのか?

そもそも、抜本的な解決策とは何か?
簡単である。
「禁漁」だ。
一切合切の漁を、ばっさりと止めさせてしまえばいい。
数年間、一切の漁業を禁止して、
資源の回復を待てばいい。
漁師や漁業関係者たちは、「我々を殺す気か」と言うだろうが、
何、今のペースで漁獲量が減り続ければ、いずれ死ぬのだ。
いずれ死ぬのを待っていたのでは、
当然、魚類も絶滅に近い状態になってしまうが、
そこから資源の回復を待つよりは、
今死んで資源の回復をさせる方が、
回復期間は短く済む道理である。
ならば、いずれ死ぬものにはさっさと死んでもらい、
少しでも早く資源を回復させた方がいい。
この期間は、スーパーの鮮魚コーナーには輸入魚しか並ばず、
回転寿司のネタからも、国産魚は姿を消すだろう。
(それだけなら、存外今と大して変わらないかも知れないが)
高級料亭では、稚魚を捕まえてこなくてもいい
養殖魚しか扱えなくなり、
寿司屋は新鮮な国産魚が全く使えなくなるため、
輸入冷凍物などを、
いかに上手く寿司にするかで腐心することになる。
この辺りからも、ガタガタ文句が出るかも知れないが、
何、今のままの漁獲量の減少が続けば、いずれそうなるのだ。
そう考えれば、鬼のような「禁漁」も
大した後ろめたさもなく実行出来る筈である。
今、商売がダメになって死ぬのなら、
それは近い将来、死ぬということでもある。
ならば、今死なせてしまえばいい。

東日本大震災が起き、福島第1原子力発電所の汚染水が
海に流出し、その一帯での漁が禁止された。
禁漁後、3年ほどたって、その海域に試験的に網を入れてみた所、
禁漁前の3倍もの漁獲があったという。
そう、漁さえせずにおいておけば、まだ資源は回復するのである。
今、禁漁して資源を回復させずして、
いつ回復させるというのか?
どこかの塾講師ではないが、
「いつやるの?」「今でしょ」である。
3年なり、5年なりを完全禁漁期間とし、
それ以降は、漁師1人1人に、厳しい漁獲量制限を課すのである。
現在も、漁獲量制限はあるものの、
実際の漁獲量が制限漁獲量に近くなると、
これを変更するようなマネをしているのである。
こんなバカなマネをしていれば、資源は減るばかりだ。
そういうマネは、金輪際止めて、
1年間の漁獲量は○○キロまでと、きっちり制限するしかない。
そうなれば、そのキロ数の中で
少しでもいい値段で売れるものを揃えなければならず、
必然的に型の大きな魚を選んで獲ることになる。
現在、小さな魚まで獲ってしまっているのは、
資源の保護という点から見て、最悪の漁業だ。
それを成り立たなくしてしまうことは、
資源保護の点において、重要なことである。
実際に、個別漁獲量制限を設けた諸外国や、
国内でもこの制度を取り入れた新潟県の甘えび漁では、
その効果は覿面に現れているのである。

3年なり、5年なり待てば、大方の魚種で数は増え、
型の良い魚も多くなるだろう。
そういう状況になった所で、
型の良い魚だけを選んで獲るような漁業に転換すれば、
漁獲量のグラフが右肩下がりに下がり続けることもないだろう。
今までのような、大きいものも小さいものも、
獲れるだけ獲るなんていうバカな漁業は辞め、
常に資源管理を念頭に置いた漁業へと、
転換しなくてはならない。
現在、世界の漁業国のほとんどでは、
厳格な漁獲量制限が行なわれ、これが厳守されている。
大西洋では、様々な魚種においてこの制限の効果が現れ、
太平洋では絶滅が危惧されているマグロでさえ、
相当な数が生息している状況になっている。
大西洋で出来ることが、太平洋で出来ない筈がない。

現在、日本の漁獲量は右肩下がりで、
このままだと「漁業」そのものが死んでしまいそうな状況だ。
これは、多くの漁師の意見でも、そうなっている。
このままではいけないのだ。
一度死んで、生まれ変わらなければならない。
それも、このまま死ぬのに任せての「死」ではいけない。
一歩進んで、自ら「死」を選び、
その中に、日本漁業の「活」を見出さねばならない。

「死中に活を求める」。
有名な諺だが、まさに日本の漁業が直面しているのは、
資源の乱獲・枯渇による「死」である。
日本の漁業は、自ら「死」を選び、
その中に「活」を見出せるのであろうか?

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