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ハヤシライス

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ハヤシライスというのは、実に微妙な立ち位置にいる。

人気があるか?と聞かれれば、
あるような気もするし、ないような気もする。
メジャーか?と聞かれれば、
メジャーなような気もするし、そうでないような気もする。
食べたいか?と聞かれれば、
食べたいような気もするし、別にそうでもないような気もする。

ハヤシライスの辛い所は、
見た目がカレーライスに似すぎていることである。
ハヤシライスとカレーライスの写真を並べられたら、
これを瞬時に見分けることは難しい。
せいぜい、ルーが赤味を帯びている方を
ハヤシライスじゃないかな?と推測することしか出来ない。
最近では、カレーの中にトマトなどを煮込み入れたりして、
赤味の強いカレーもあることを考えれば、
一概に、「赤い」=「ハヤシライス」と
決めつけることも出来ない。

「人気」というものを持ち出されれば、
これはもう、カレーとハヤシでは天と地の差がある。
カレーライスといえば、子供の大好きなメニューの筆頭である。
これは昭和の時代から平成の現代に至るまで、
全く不動の1位である。
これ以下、10位までは昭和・平成で
順位や面子の変動が激しいのだが、
カレーライスのみは、全く不動の1位なのである。
一方のハヤシライスは、昭和・平成ともに
10位以内に入っていないのである。
よく、雑誌などのハヤシライス特集のアオリで、
「子供たちも大好きな」なんて文句があるが、
この現実を目の前にしてみれば、それも全く虚しいだけだろう。

ハヤシライスの悲劇は
「カレーライスに似ている」という所に発している。
子供たちに何も言わず、目の前に「ハヤシライス」を出せば、
子供たちはそれが「カレーライス」だと思い込み、大喜びする。
これは当然の話だ。
だって、新旧問わず「カレーライス」は子供たちの大好物なのだ。
その姿を目の前にして、喜ばない筈がない。
しかし、それが「カレーライス」ではなく、
「ハヤシライス」であることが分かれば、
当然、子供たちはがっかりする。
これまた当然の話だ。
「ハヤシライス」は、新旧ともに
子供の好きなメニューランク外なのだ。
1位がランク外に変われば、これは大人だってがっかりする。
そして、ここからが「ハヤシライス」の辛い所なのだが、
子供たちは、その「がっかりした」気分を引きずって
「ハヤシライス」を口に運ぶことになる。
そんな気分で食べたものは、実際よりも
美味しさが半減してしまっているに違いない。
スパイシーな辛さを期待していた舌には、
深いコクのある、甘味すら感じさせるブラウンソースは
どうしたって物足りなく感じる。
それもしようがない。
「ハヤシライス」では、甘口の「カレーライス」よりも
刺激が少ないのである。
母親が、「今夜はカレーよ」と言えば、
子供は「わっ」と喜ぶが、
「今夜はハヤシライスよ」と言っても、
子供は「フーン」となるだけだ。
甘味すら感じるほどの深いコクを持った
ブラウンソースのかかった「ハヤシライス」は、
本来であれば、もっと高い評価を受けてもいい料理である。
ただ1点、見た目がカレーライスに似ているという点のみが、
彼に不遇を囲わせているのである。

「ハヤシライス」は、薄切り肉とタマネギをバターで炒め、
赤ワインとドミグラスソースを加えて煮込んだものを、
ご飯の上にかけた料理だ。
見た目は、カレーライスに非常に似通っている。
基本的に肉は牛肉を使うことが多いが、
豚肉を使うこともある。
その場合は、「ポークハヤシ」などと呼ばれる。
肉、タマネギの他にも、マッシュルームやエリンギ、
しめじなどのキノコ類や、
しいたけ、ニンジン、ジャガイモなどが加えられることもある。
タマネギ、ニンジン、ジャガイモと揃えば、
ますます「カレーライス」のようだ。
料理店の中には、煮込みの際にトマトピューレや、
トマトケチャップなどを加える所もあり、
そういう所では、ルーの赤味が強くなっている。
(市販のハヤシルーの中にも、
 トマトが入っていることを宣伝文句に使っているものもある)

その発祥に関しては、様々な説があり、
「ハヤシライス発祥の店」を自称する店も、複数存在する。
その中で、もっとも早く
「ハヤシライス」を考案したとしているのが、
「丸善」の創業者、早矢仕有的が作ったとされるものだ。
……。
ここで現在の「丸善」を知っている人から、
ツッコミが入るかも知れない。
「丸善」って、書店とか出版をしている会社じゃないか、と。
その通りである。
別に創業時の「丸善」が、飲食業をしていたということもなく、
やはり書店や出版を主とした企業であった。
では、そんな会社の創業者が、
どうして「ハヤシライス」を作ったのか?
彼は仕事が終わったあとの丁稚たちに、
英語や会計などを教えていたのだが、
その際、夜食として、
肉や野菜のごった煮をご飯にかけたものを出していた。
「丸善」の創業が明治2年というから、
恐らくはその辺りの話ではないかと考えられる。
だが、その当時はまだ
ドミグラスソースは日本に入ってきておらず、
味付けには醤油や味噌が使われていたという。
さらにいえば、「ハヤシライス」の重要な要素であるタマネギも、
この時代にはまだ一般的になっていない。
ということは、現在の「ハヤシライス」とは
似ても似つかない料理であった可能性が高い。
むしろ、「ハヤシライス」というよりは、
「牛丼」などに近かったのかも知れない。
タマネギが食用として試験栽培され始めたのが明治4年。
ドミグラスソースが日本に入ってきたのが、明治20年代。
自分の独断になってしまうが、
この2つの要素が揃う以前の「ハヤシライス」は、
正直、全くの別物と考えた方が、いいかもしれない。

もう1つ、有名な説がある。
元宮内庁大膳職主厨長だった秋山徳蔵が考案したものが、
「ハヤシライス」の元祖である、という説である。
彼が宮内庁に勤め始めたのは、大正2年のことだ。
だが、それ以前、明治40年の新聞広告に
「固形ハヤシライスのたね」という商品が載っている。
と、いうことは少なくとも、明治40年には
「ハヤシライス」という言葉が
すでに通用していたということである。
と、なると、秋山以前の「ハヤシライス」が現在のものとは
似ても似つかない料理で、秋山の手によって初めて、
現在の「ハヤシライス」が出来上がったということだろうか?
それもちょっと無理がある気がする。

「ハヤシライス」の出自は、調べれば調べるほどあやふやで、
ワケのわからないものになっていく。
ここで、1つ思い当たった。
最初に書いた自分の言葉を思い出してほしい。
「ハヤシライス」は「カレーライス」に似ている、というあれだ。
そもそも我々は、「米」を使った料理となると、
自然と、日本人が作ったと考えてしまう。
だが、冷静に考えてみれば「カレーライス」は、
そのままの状態でイギリスから持ち込まれたものである。
日本人が「カレー」を「ライス」にかけたわけではないのである。
つまり、「ハヤシライス」も同じだったのではないか?
ドミグラスソースで肉や野菜を煮込んだものを、
ご飯にかけた料理が、外国にあったのではないか?
高価なスパイスを使った「カレーライス」と違い、
あまった肉や野菜をデミグラスソースで煮込み、
ご飯にかけたものは、むしろ賄い食に近い。
もちろん、そんな料理に名前などつく筈がない。
西洋へ料理を習いにいった人間が、これを食べ、
日本へ帰ってきて、それを再現したのではないだろうか?
で、あれば、その際に「その」料理に対して、
何らかの名前をつけなければならないことになる。

ここで、「ハヤシライス」名前由来の話の中で、
もっともバカみたいな話が浮かんでくる。
「林さんが作ったから、ハヤシライス」という説である。
だが、海外のレストランで賄いとして食べた名もない料理に、
何か適当な名前を付けるとしたら、
「林さんが作ったハヤシライス」というのは、
しっくりくるのではないか?
つまり、「ハヤシライス」というのは、
海外のレストランで修行した林さんが帰国後、
そこで食べた賄いに、自分の名前を付けて
売り出したものではないのだろうか。

現在、海外ではあまりドミグラスソースは
使われていないようである。
つまり、ドミグラスソースの衰退と同時に、
海外の賄い食「ハヤシライス」は消えてなくなり、
ドミグラスソースが残っていた日本でのみ、
「ハヤシライス」が食べられ続けたのではないだろうか?

子供のころ、我が家でも「ハヤシライス」を作ったことがある。
だが、「カレーライス」と違い、
刺激も辛みもない「それ」は不評で、
我が家ではそれ以降、
「ハヤシライス」が作られることはなかった。
大人になり、改めて「ハヤシライス」を食べてみると、
その深いコクと、旨味に驚いたものである。
今では、たまにレトルトの「ハヤシライス」を
買ってきて食べるぐらいには、気に入っている。

「子供も大好き」というアオリで紹介されることもあるが、
「ハヤシライス」というのは、
実は大人にこそ受ける味なのかも知れない。

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