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芋ケンピ

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By: Kanko*

「やめられない、とまらない」という、キャッチフレーズがある。

ご存知、カルビーかっぱえびせんのCMに使われている
キャッチフレーズなのだが、
この「やめられない、とまらない」というのは、
美味しいスナック菓子の場合、大方の場合にあてはまる。
1つ、また1つと口に運び、
気がつけば1袋が空になっている。
今日は半分だけで止めておこう、と思っていても、
あと1口、あと1口だけと食べ続けた結果、
1袋食べ切ってしまい、自分の意志の弱さにガックリとくる。
本当に美味しいスナック菓子とは、
人間を「そういう」状況に追い込むものであって、
人間を「そういう」状況に出来ないお菓子は、
本当に美味しいスナック菓子とは言えない。

ただ、この「やめられない、とまらない」お菓子というのは、
個人の嗜好によって、随分と変わってくる。
ポテトチップスが「そういう」お菓子だという人がいれば、
チョコレートが「そういう」お菓子だという人もいる。
バターピーナッツが「そういう」お菓子だという人もいれば、
カレーせんべいが「そういう」お菓子だという人もいる。
もちろん、本家本元のかっぱえびせんが
「そういう」お菓子だという人もいる。
自分のように、これら全てが「そういう」お菓子だという人も、
いるかも知れない。
自分の場合、1度お菓子の袋を開けてしまうと、
かなりの確率で「やめられない、とまらない」が発動し、
1袋まるまる食べ切ってしまう。
正直、自己嫌悪にたえないところだが、
こればっかりは、一種の本能のようなものなので、
なるべく「買わない」ことを、まず第1としている。

今回のテーマである「芋ケンピ」も、
自分にとって「やめられない、とまらない」お菓子の1つだ。
油でカリカリに揚がって、糖衣をまとった芋ケンピは
ある程度食べて、この辺で止めておこうと袋を閉じるのだが、
しばらくすると、ついついまた袋を広げてしまう。
カリッとした堅い外皮を噛み破ると、
わずかにホックリとしたサツマイモの甘味が口の中に広がる。
この控えめなサツマイモの甘味と、
糖衣のやや強めの甘味が交互に口の中に広がり、
自分の手を止めさせてくれない。
まことに悪魔のお菓子である。

芋ケンピは、サツマイモを細切りにして油で揚げ、
これに砂糖を絡めて作った、スナック系のお菓子である。
食べてみれば分かるが、
どことなく「かりんとう」に似た所がある。
あちらは、小麦粉を練って油で揚げたものを、
同じように砂糖を絡めたものであるから、
サツマイモと小麦粉の違いはあれど、
製法はほぼ同じと考えていい。
そのため、「芋かりんとう」と呼ばれることもある。
大方の場合、一般のスナック菓子と同じように
袋入りで販売されており、
パッと見た感じは、ちょっと出来の悪い
フライドポテトのようにも見える。
もちろん、芋ケンピはサツマイモ、
フライドポテトはジャガイモと、原材料が違う上、
味付けも芋ケンピは砂糖、フライドポテトは塩味なので、
出来上がりは全くの別物となっている。
サツマイモを油で揚げるお菓子といえば、
「大学芋」が思い浮かぶが、
こちらはサツマイモを大振りにカットしているため、
中心部にホクホクとした部分を多く残している。
それに対し芋ケンピは、サツマイモが細切りにされているため、
比較的固めに仕上がっており、
カリカリとクリスプな歯ごたえになっている。

芋ケンピが、いつぐらいから作られるようになったのかは、
はっきりとしていない。
サツマイモが日本に持ち込まれたのが、
江戸時代中期ごろのことなので、
少なくともこれ以降のことであるのは間違いないのだが、
詳しいことについては、全く明らかになっていない。
ただ、初めて作られたのが土佐(高知県)だということなので、
サツマイモが琉球から薩摩(鹿児島)へと伝わり、
それが土佐へと伝わってからのことであるらしい。
では、どうして土佐で
「芋ケンピ」が作られることになったのだろうか?

理由は簡単で、土佐にはもともと
「ケンピ」と呼ばれる菓子があり、
「芋ケンピ」はこれを元にして、作られたからである。
もともと土佐にあった「ケンピ」は、
小麦粉に砂糖と水を混ぜて練り、これを棒状に成型して
焼いた菓子である。
堅干、健肥、犬皮などと書かれるが、
どれが正しいのかはわからない。
それぞれの漢字に、全くといっていいほど共通点がないので、
マトモに推測することも出来ない。
ただ、自分の感覚だけで判断するのであれば、
健肥、犬皮については、
どことなく求肥や牛皮に通じるものがあり、
全くの宛て字の可能性が高そうである。
小麦粉を「堅」く、焼き「干」していることから、
「堅干」と名付けられたのだと思う。
ともあれ、この「ケンピ」、
その製造方法を見ても分かるように、一種のビスケットである。
「ケンピ」は現在でも土佐の銘菓として作られ続けており、
その姿は、やはりスティック状のビスケットに見える。
この「ケンピ」を、薩摩からもたらされた
サツマイモで作ったのが「芋ケンピ」なのである。
……。
ここで、疑問を持つ人がいるかも知れない。
「ケンピ」は焼き菓子なのに、
「芋ケンピ」はどうして揚げ菓子になってしまったのか?

恐らくはこういうことだと思う。
江戸時代中期、薩摩よりもたらされたサツマイモは、
土佐に向いた作物であった。
何故なら、台風の被害を受けることの多かった
薩摩や土佐において、茎が上に伸びる米などと違い、
ツルが地面の上を這うように生長するサツマイモは、
台風の被害の少ない作物だったからだ。
当然、サツマイモは盛んに作られるようになり、
その食べ方についても、色々と工夫がなされるようになった。
そんな中で、土佐の銘菓「ケンピ」を、
サツマイモで作ってみようと言う人間が出てくるのは、
当然のことである。
だが、問題が1つあった。
普通にサツマイモを棒状に切って焼いても、
細い焼き芋が出来るだけである。
「ケンピ」のような、カリッとした堅い食感にはならない。
さらに水分を多く含んでいる焼き芋では、
保存性も悪く、菓子として流通させるのは難しい。
では、サツマイモを「ケンピ」のように
カリッと仕上げるにはどうすればよいのか?
様々な方法が試された中で、もっとも有望だったのが
油で「揚げる」というものだったのだろう。
これをさらに糖衣で包むことにより、
より「ケンピ」に近いものに仕上げることが出た。
かくして、サツマイモで作った「ケンピ」、
「芋ケンピ」が誕生したのである。

だが、その後、皮肉なことが起こった。
もともとの「ケンピ」より、「芋ケンピ」の方が
メジャーになってしまったのである。
これもよく考えてみれば、当たり前のことかも知れない。
本来の「ケンピ」は、ただのビスケットである。
明治維新を迎え、様々な洋菓子が持ち込まれた中に、
同じようなものが色々あったのだから、
これらに埋もれてしまうのは、しようのないことである。
それに引き換え、サツマイモを揚げて
糖衣で包んだ「芋ケンピ」は、
洋菓子の中にも同じようなものはなく、
比較的似ているとされた「かりんとう」とも、
明らかに風味の違いがある。
つまり、完全なオンリーワンだったわけである。
かくして「芋ケンピ」は全国的にもメジャーな菓子となり、
現在では、日本全国どこでも購入することが出来る。

「芋ケンピ」は無骨なお菓子だ。
整然と切り分けられたサツマイモが、ただ揚げられ、
これに雑に糖衣がかけられている。
種類もなく、ごく稀にゴマを振ってあるものがあるくらいだ。
インターネットで画像検索してみても、
フライドポテトを堅くしたような、無骨な画像しか出てこない。
似ているといわれる「かりんとう」には、
黒いの、白いの、平べったいの、
砕いたピーナッツがまぶされているものなど、
様々な種類があるのに対し、あまりにも種類が少ない。

この辺りの無骨さは、「芋ケンピ」の生まれた
土佐という土地の性格、そのものなのかも知れない。

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