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蓮根

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前回、「蓮」について書いた際、
地上、というよりは水上に出ている部分については
詳細に書いたのに、地中の部分に関しては全く触れなかった。
今回は、その「蓮」の地中部分、「蓮根」についてである。

うちの婆さんは、野菜類に関しては
おおよそ何でも作ってしまう人だったが、
そんな婆さんが、全く手を付けなかったものもある。
その代表的なものが「米」だ。
さすがにこれは無理もない所である。
「米」を作るためには、水田を用意せねばならず、
水田を用意すれば、トラクターをはじめとする各種機械を
買いそろえなければならない。
婆さんは一輪車1台とツルハシ1本、スコップ1つだけで、
どこからか土を探してきて、荒れ地に畑を作ってしまう
まるで屯田兵のような婆さんだったのだが、
さすがに水田だけは作り出すことが出来なかった。
さらに「大豆」も作ることがなかった。
これはどうしてなのか、今だにわからない。
「大豆」は比較的作りやすい筈であるし、
(なんせ、畦に適当に植えても収穫出来たため、
 「畦豆(あぜまめ)」なんて名前を付けられたくらいである)
婆さんの技術をもってすれば、簡単に作ることが出来ただろう。
収穫した後の、豆を脱穀したり
乾燥させたりする行程が面倒だったのか、
あるいは、そのまま料理に使うには、
意外に使いにくい「大豆」を、
料理を担当していた母親が嫌ったのかも知れない。

「蓮根」もまた、婆さんの作らなかった野菜の1つだ。
しかし、これもまた無理のない所だろう。
「蓮根」は、水田よりももっと面倒な
「池」で作るものだからだ。
さすがの婆さんも、大量の水を使う水田や池は
自作することが出来なかったのである。

我が家では、婆さんの作っていない野菜が
食卓に上ることは少なかった。
婆さんが作っていないものは、
わざわざ金を出して買ってこなければならない。
肉や魚については、婆さんが作れるわけでもないので、
買うことに抵抗はなかったようだが、
野菜は婆さんが畑で量産しているのである。
そんな野菜を買うことには、抵抗があったようで、
母親は極限まで、野菜類は婆さんの作ったものを使い、
それ以外の野菜については、
本当に最小限しか買ってこなかった。
「蓮根」についても、わざわざ買ってくることは稀で、
大方は知り合いから貰ってくるものが、ほとんどであった。

蓮根は、ヤマモガシ目ハス科ハス属に属する
多年生の水生植物「蓮」の地下茎である。
円筒形をしているが、途中にくびれがある所が特徴である。
これが池の底の泥の中で、横たわるようにして埋まっている。
だが、その最大の特徴は内部にあいている「穴」である。
「穴」は細長い蓮根に平行に通っており、
中心部に小さな「穴」が1つ、その周りを囲うようにして
やや大きめの「穴」が7~8個ほどあいている。
(ちなみに例外もある)
その「穴」が全て見えるように、
輪切りにして調理されることが多い。
これは、見た目が美しいという理由の他にも、
「穴」があいているのが「先を見通す」ことに通じて、
縁起がいいとされるためである。
そういう理由もあり、おせち料理などにも使われてきた。

原産地に関しては、はっきりしないとされる。
なんで「蓮」の原産地がインドらしいことがわかっているのに、
「蓮根」の原産地が分からないんだ?と思うだろうが、
インドでは「蓮根」を食べなかったからである。
「蓮」の地下茎である「蓮根」を食べるようになったのは、
「蓮」が中国へ持ち込まれて以降のことである。
つまり、「蓮根」がはじめて日の目を見たのは中国であり、
食用としての歴史も中国から始まっている。
日本が「蓮根」を食べるのも、中国の影響である。
実際、現代でも「蓮根」を食べるのは
日本と中国だけといわれている。
異説として、エジプトが原産地であるという話もある。
古代エジプト人は「蓮根」を好み、
茹でたり焼いたりして食べていたという話であるが、
古代エジプトで栽培されていたのは「睡蓮」であり、
これは地下茎を食べることが出来ない。
かつて「蓮」と「睡蓮」は「蓮華」という名前で
同一視されていたことから、
情報が混同し、エジプトで「蓮根」を食べたなどという話が
出来上がったのではないだろうか?
現代のエジプト付近で、「蓮根」を食べる食習慣がないことから、
これがエジプト原産であるとは考えにくい。

日本で栽培が始まったのが、奈良時代のこととされている。
ただ、当初の「蓮根」は収穫量が少なかったため、
本格的な栽培が始まったのは、
明治時代に中国種が入ってきて以降のことである。
文献上では、718年に書かれた「常陸国風土記」に
「蓮根」らしき記載がある。
ちょっと書き出してみると、
「神世に天より流れ来し水沼なり、
 生ふる所の蓮根、味いとことにして、
 甘美きこと、他所に絶たれり、病有る者、
 この蓮を食へば早く差えて験あり」
とある。
「神世に天より~」とあるのは、
仏教の本場・インドよりやってきたためであろうが、
「味いとことにして、甘美きこと、他所に絶たれり」
というのは、あまりに褒め過ぎではないだろうか?
「病有る者~」の下りなどは、
いっそ狂信的ですらある。
ひょっとしたら、「常陸国風土記」の編者は
「蓮根」を食べたことがなく、 
インドからやってきたという点と、
仏教で神聖視されているという点でのみ「蓮」を捉え、
全く適当なことを書いたのではないだろうか。
「甘美」だの、「病有る者」などというのは、
余りにも「蓮根」の現実とかけ離れすぎている。
「甘美」といわれるほどの甘味(?)もないし、
(別に美味しくないといっているわけではない)
「病有る者」を救えるほどの薬効もない。
それなりの教養と、地位があると思われる「風土記」編者が
食べたことがないという点から推測するに、
相当な身分の人間でなければ、口に出来なかったに違いない。

この「蓮根」、実は姫路市の特産品の1つである。
市内南西部、大津区勘兵衛町を中心とした一帯で栽培されていて、
兵庫県下では、数少ない「蓮根」産地の1つである。
姫路で「蓮根」が栽培されるようになったのは、
300年前からという説もあるのだが、これは伝承上の話である。
「播磨群誌」によれば、約150年前に
姫路藩の学者・河合惣兵衛が市川流域の三角州の干拓地に
朝鮮ハスを導入したと記されている。
大津区勘兵衛町への導入は約90年前までさかのぼる。
当時の勘兵衛町は地下水の湧出量が多く、
水稲栽培に向いていない土地であったため、
イネに代わる農作物として、山口県より「蓮根」を導入した。
昭和初期のころには、米作よりも収益性が高かったこともあり、
勘兵衛町の「蓮根」栽培は定着していった。

この大津の「蓮根」、
同じ姫路市の特産品、太市のタケノコなどと比べると
いまいち知名度が低い。
「ブランド化」というのも、良し悪しだとは思うが、
100年に及ばんとする「蓮根」栽培の歴史などについては、
もっと力を入れてアピールしてもいいのではないだろうか?

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