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かき氷

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By: nubobo

連日、地獄のような猛暑が続いている。

TVでは、毎日、猛暑のニュースが取り上げられ、
やれ、今日は○○で、39度を記録しただの、
やれ、今日は熱中症で○○○人が病院に搬送されただの、
代わり映えのしないニュースが続いている。
そうかと思えば、ゲリラ豪雨で道路が冠水したとか、
山が崖崩れを起こして、
大きな被害が出た、などというニュースが流れる。
崖崩れはともかくとして、ゲリラ豪雨といえども
豪快に雨が降っている映像を見ると、
ああ、きっとここは今夜は涼しい夜になるんだろうなと、
羨望を感じざるを得ない。
と、いうのも我がたつの市では、
連日35度を超える猛暑を記録しておきながら、
一滴たりとも雨が降っていないのである。
先日、たつの市の北の空に
巨大な積乱雲が沸き上がっており、
ああ、今日こそはザッと一雨来てくれて、
涼しい一夜が過ごせるな、なんてことを考えていたのだが、
結局のところ、自分の住んでいる、たつの市揖西町近辺では
一滴の雨も降らぬまま夜になり、
相変わらずの熱帯夜を過ごすことになった。
結局それ以降も、一滴の雨も降ることなく、
連日35度越えの、酷暑が続いている。

ここまで、ひどい暑さが続くと、
飲むものにしても、食べるものにしても
冷たいものが欲しくなる。
ホットなコーヒーよりは、アイスコーヒーを飲みたいし、
熱々のかけうどんよりは、
キンキンに冷えたぶっかけうどんが食べたい。
先日、近所に新しいコンビニがオープンしたのだが、
どういうわけか、気温が36度もあるような日に
スチームケースの中に肉まんを入れて販売していた。
これを「いかがですか?」などと聞かれた日には、
「アホたれ!」と怒鳴り返してしまいそうだ。
やはり、気温が35度を超えるような猛暑の中では、
肉まんよりは、冷たいアイスなどを食べたいところだ。

さて、冷たいアイスと、略すような書き方をしたが、
これは正しくは「冷たいアイスクリーム」ということになる。
(冷たくないアイスクリームなどありはしないのだから、
 「冷たいアイスクリーム」というのは2重表現だ、
 なんてことは言わないでいてくれると嬉しい)
しかし、暑さもある程度を超えると、
アイスクリームでさえ、充分な涼感を得るのは難しくなる。
アイスクリームは原材料に牛乳を使っているだけに
乳脂肪分が豊富に含まれており、
ややもすると、ベットリと重い後味を残してしまう。
このベットリ、コッテリと重い後味が、
酷暑の中ではありがたくない。
できれば、サッパリ、スッキリとした、
爽やかな後味のものが嬉しい。
そういうことになると、これはアイスクリームではなく、
かき氷ということになる。

かき氷とは、氷を細かく削り、
これにシロップ等をかけた氷菓の一種である。
アイスクリームとは違い、原材料に牛乳を全く使っていないため、
「クリーム」的な要素は皆無である。
(もちろん、ミルク金時などのように
 コンデンスミルクなどをかけてあるものは、別として)
そのため、アイスクリームに比べると、
食べた後口は非常にサッパリとしており、
当然カロリーなども、アイスクリームに比べると低くなっている。
屋台や喫茶店などで販売されているものの他にも、
カップ入りの製品が、スーパーやコンビニなどでも販売されている。
「かき氷」の名前は、東京方言の「ぶっかき氷」からきており、
これが変じて「かき氷」になった。
関西では「かちわり」などとも呼ばれることもあるし、
全国的にも「みぞれ」「氷水」などと呼ばれることもあるが、
一般的には「かき氷」の呼称が全国的に広まっている。

日本における「かき氷」の歴史に関しては、
平安時代をその最初としているものが多い。
その理由は、平安時代の女流作家・清少納言の書いた
「枕草子」の中に、
「削り氷に甘葛(あまづら)いれて、
 新しき金椀(かなまり)に入れたる」
とあるからである。
これが「あてなるもの」、つまり上品なもの、として
紹介されているところから見ると、
当時の「かき氷」は、日本の上流階級の中でも
超特級のスイーツであったと考えられる。
……。
ここで、こう考えている人はいないだろうか?
平安時代に、「氷」を作ることが出来たの?
全くその通りである。
平安時代には当然、製氷技術などはなく、
「氷」というのは、冬、自然に出来るのを待つしかなかった。
え?じゃあ、清少納言たちは冬にかき氷を食べていたの?
と、考えてしまうが、もちろんそんなことはない。
今も昔もかき氷がおいしいのは、夏に決まっている。
では夏にどうやって「氷」を手に入れていたのか?
冷静に考えてみれば、現在でも夏に「氷」がある場所がある。
例えば、標高3000mほどの高山にある雪渓などである。
ここでは深く降り積もった雪が、高山ゆえの低温のために
非常に溶けにくい状況になっており、
(一般的に100m標高が上がれば、
 0.6度気温が下がるといわれる。
 つまり標高3000m地点では、
 平地の気温が18度を超える季節までは、
 ずっと氷点下ということである)
そこで深い谷などに降り積もった雪は、なかなか溶け切らず、
夏になっても残っていることがある。
もちろん、この雪渓の雪を溶かさずに運ぶのは無理だし、
かといって、わざわざ清少納言たちが山に登って
雪渓の雪を食べに行ったわけでもない。
ただ、原理は夏まで残っているこの雪渓と同じで、
平地に、深い大きな穴を掘って、
その中に冬に出来た氷や雪を、
タップリと詰め込んでおくのである。
そうすると、その穴の中は放り込まれた雪や氷によって冷やされ、
一種の冷蔵庫のような状態になり、
中の雪や氷が溶けにくくなるのである。
これを「氷室(ひむろ)」という。
氷室によって、溶けずに残っていた氷を夏に取り出して
食べるのである。
とてつもなく大掛かりな仕掛けであり、
これが出来たのは、相当な有力者だけであったといわれている。
清少納言が書いている「かき氷」の氷は、
この氷室を用いて、冬の氷をとっておいたものである。
この氷室に関しては、
奈良時代の「長屋王木簡」にも記されていることから、
平安時代以前にも、かき氷が存在していたと考えられる。

製氷技術が確立し、夏場に氷が作れるようになるまでは、
「かき氷」というのは、一部の最高権力者しか口に出来ない
至高のお菓子だったわけである。
(もちろん、冬であればどんな一般庶民であれ、
 気軽に口にすることは出来ただろうが……)
これが大衆的なものになるのは、
明治時代になって製氷機が作られてからである。
だが、かき氷にかけるシロップ等に関しては非常に数が少なく、
かき氷に砂糖をかけただけの「雪」、
同じく砂糖水をかけた「みぞれ」、
小倉餡をのせた「金時」などしか
バリエーションは存在していなかった。
現在あるような、色とりどりの各種シロップが
作られるようになったのは、戦後のことである。
(基本的にはどれも同じ味であるが、
 色素と香料の違いによって、
 イチゴやレモンなどということになっている)

さて、時代は変わり、現在では各家庭の冷蔵庫でも
氷が作れるようになった。
氷を削るにしても、手動式もので手軽に削ることが出来る。
色とりどりのシロップさえ揃えておけば、
家庭でも手軽に、かつ非常に安価に
「かき氷」を楽しむことが出来る。
平安の昔に比べれば、随分とありがたい時代になったものである。
ガリガリと氷を削り、ワシワシとかき氷を頬張り、
暑さを吹き飛ばしてしまいたい。

ただ、腹を壊さないよう、食べ過ぎにだけは注意しよう。

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