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歴史 雑感、考察

戦争教育

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毎年、8月に入るとTVなどで「終戦○○年」などと銘打った
特別番組が組まれる。

8月の上旬から中旬にかけては、
広島・長崎の原爆投下や、終戦など、
太平洋戦争における重大な動きのあった期間である。
それに合わせるようにして、戦時中を振り返り、
亡くなった人たちを悼むというのは、
これは当然のことだろう。

本来ならこの期間に、学校で戦争教育を行なうのが、
もっとも自然なのだろうが、
残念なことに、この時期はどの学校も
夏期休暇のまっただ中である。
だから日本の学校における戦争教育は、
この時期を避けるようにして行なわれる。
こういう言い方は不謹慎かも知れないが、
「季節感」のない、戦争教育を行なっているわけだ。
日本の学校では、
「戦争が、如何に悲惨な状況をもたらしたか?」
「戦争が、どれだけ多くの命を奪ったか?」
ということについて、実際の体験談をもとに
子供たちに話して聞かせる。
わざわざこのために、実際に戦争中に生きていた人たちを
学校に招き、生徒たちに「ナマの」体験談を聞かせたりする。

戦後、70年という時間が経っている。
太平洋戦争を、生きてその身で体験した人たちというのは、
少なくとも70歳を超えているわけであり、
戦時中、大人として、しっかりとした目で戦争の全てを
見届けてきた世代は、すでに90歳以上になっているのだ。
これは今年亡くなった、
うちの婆さん(享年101)たちの世代だ。
うちの母親なども、太平洋戦争中には生まれていたが、
あくまでも生まれていた、というだけで
戦争体験を語れるような記憶は無い。
戦時中、1〜2歳だった人間に戦争を語れといっても、
これは無茶ぶりというものである。
戦争を語るには、少なくとも戦争の記憶がしっかり残る程度には
成長していた人間でなくてはならない。
よく、戦時中に子供時代を過ごした人たちの話を聞くことがあるが、
なるほど、同じ世代の子供たちには
戦時中の「同年代」の経験は、なによりリアルに感じられるだろう。
しかしこれは、あくまで子供の目で見た戦争である。
子供の目は純粋ではあるが、視野の広さ、深さでは
大人に及ばない。
戦時中の人々の本当の姿や、当時の空気を正しく語れるのは、
やはり戦争を「大人」として体験してきた人たちだけだろう。
そういう人たちは歳をとり、
どんどんと少なくなっていっている。
(うちの婆さんも、リアルに戦争を体験していたはずだが、
 これを孫たちに語って聞かせることはしなかった。
 もともと過去を振り返って、
 どうこう考えるような性格でもなかったが、
 戦争についても、
 所詮は「終わったこと」だったのかも知れない)
TVなどでは、「戦争体験の継承」なんてことを
言っていることもあるが、
「体験の継承」なんて、本質的にできることではない。
出来ることは、映像記録や文書などで、
戦争体験者が語る言葉を、記録しておくことだけだろう。
これらはあくまでも歴史として、記録するだけのことであり、
戦争経験者の体験というのは、
戦争経験者の死亡とともに、消えていくものである。

こういった戦争経験者の体験談などを元にして行なわれる
「戦争教育」だが、学校などで行なわれている「それ」は、
抜本的な所で大きな間違いを犯している。

基本的に我々は、「戦争とは間違ったことである」と教えられる。
つまり「戦争」=「悪」という価値観を教えられるわけである。
日本で行なわれる「戦争教育」が、
全てそうであるかどうかは知らないが、
少なくとも自分が受けてきた「戦争教育」は、
そういうスタンスで終始一貫していた。
戦争体験者の話の中に、よく
「我々は戦争を「正しいこと」と教えられてきた」
というものがある。
国が国民のコントロールのために、
そういう価値観を「教育」という形で植え付けていったのだろう。
そういう歪んだ「教育」をして、
歪んだ価値観を植え付けていたために、
敗戦後、その反動のような形で国民の意識は
「反戦争・平和主義」一色に染まることになった。
これを「恐ろしいことだ」と我々に教えてくるのだが、
冷静に考えてみれば、現在の教育者たちに
戦前・戦中の教育を非難する資格は欠片も無い。
現在の教育者たちも、戦前・戦中の教育と
同じことをしているからである。
戦前・戦中の教育者たちは「戦争」=「善」と教え、
戦後の教育者たちは「戦争」=「悪」と教える。
「善」と「悪」という、価値観こそ反転しているものの、
思想・価値観を押し付けるという意味で、
両者は同じことをしている。
戦前・戦中の「戦争教育」の間違っていた点は、
戦争を「善」であると教えていたことではなく、
1つの価値観を国民に押し付け、
他の意見を排除してきたことだ。
これこそが戦前・戦中の「戦争教育」の
間違っていた点であるのに、
戦後の教育者たちは戦前と同じ方法で、
「戦争教育」を行なっている。
つまり、自らの価値観を押し付けているのである。

本来、戦前・戦中の「戦争教育」を省みて、
行なわれるべき「戦争教育」とは、どんなものなのか?
もちろん戦争中の体験や、
出来事は正しく伝えられるべきである。
ただし、その情報も偏っていてはいけない。
戦争によって起こった悲惨な出来事はもちろん、
戦争に至るまでの経緯や、
戦争によって発達した技術や、
戦場で繰り広げられた戦いなども、余す所なく伝える。
そこに英雄譚の様なものが入っていてもいい。
全てを正しく、ありのままに伝えるのである。
その上で戦争の是非を「子供自身」に判断させる。
決して、教師たちの価値観を子供たちに押し付けてはいけない。
子供たちの中には「戦争」を「悪」と判断する者もいるだろうし、
「戦争」を「善」と判断する者もいるだろう。
それらを否定してはいけない。
あくまで、一人一人の出した判断を尊重しなくてはいけない。
それぞれが、それぞれの判断で「戦争」を評価し、
それぞれの「戦争」観を持つ。
そういう形になってこそ、真の意味で
戦前・戦中の「戦争教育」から生まれ変われるのである。

現在、学校で行なわれている「戦争教育」によって、
日本の国民の多くが「戦争」=「悪」というイメージを持っている。
しかし、多くの「それ」は、
自らの中から生み出されたものではなく、
教育者たちによって、植え付けられたものである。
もし、今後、日本が中国・韓国・北朝鮮辺りに戦争を仕掛けられ、
アメリカ軍と協力しこれに打ち勝った場合、
戦後補償などで、日本は空前の好景気に沸き上がるだろう。
そういう状況になったとき、再び価値観の反転が起こる。
価値観を教え込まれていた国民の多くは、
いとも容易く、「戦争」=「善」と価値観を変え、
自衛隊は、正式に「日本軍」ということになるかも知れない。

よく、新聞などで「軍靴の音が聞こえる」という表現を
目にすることがあるが、
日本の中でもっとも「軍靴」の音が響いているのは、
自衛隊でも、政府与党でも、在日米軍でもなく、
子供たちの判断を封じ、価値観を植え付けている
日本の教育機関である。

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