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特薄→特濃

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世の中には、「濃い」ことを尊ぶ風潮がある。

牛乳パックを見れば「特濃」の文字が印刷されており、
そういう商品は、他の商品よりも値段が張る。
カレールーやシチュールーの売り場に足を運べば、
「濃い」と銘打った商品が並んでいる。
ペットボトルのお茶などでも「濃い」をウリにした
商品が並んでいる。

逆に「薄い」ということは、蔑まれる風潮にある。
薄いカルピスをお客に出せば、
ああ、この家はビンボーなんだな、
オヤジの稼ぎが悪いんだな、なんて風に蔑まれ、
薄いお茶は「出涸らし」などと呼ばれ、蔑まれる。

昨今では、ラーメンスープなども
こってり濃厚なものが好まれているようである。
豚骨などを主体にコッテリとしたダシをとり、
それにニンニクなどをタップリと加えて、濃厚な香りを作る。
さらにその上から、豚の背油をビタビタと振りかけ、
ラーメンのスープなのか、溶けた豚の脂なのか、
判断のつかないような1杯を、客に出したりする。
どう考えても、健康に悪そうな1杯なのだが、
その健康に悪そうな1杯が、信じられないほどの人気を呼ぶ。
そんなラーメンに群がっている人たちを見ると、
日本人の食生活は、油分が少なくヘルシー、
なんていう海外の評価が虚しく聞こえてくる。

日本に数あるラーメンの中で、もっとも濃いものは、
いわゆる「九州とんこつラーメン」だろう。
豚骨を徹底的に煮込み、濃厚になることだけを考えて作られた
あの白濁したスープは、他のどのラーメンよりも「濃い」。
わずかな黄色みを帯びた、あの乳白色のスープは
表面に分厚い油の層を浮かべており、
これを食べていると、唇が油でネトネトとくっつきはじめる。
さらにスープを飲み干すと、
どんぶりの底には澱のようなものが残っている。
これは煮溶かされた豚骨の成れの果てである。
これを食べていると、ひょっとしてこのラーメンは、
美味しくなることを目的として作られているのではなく、
ただただ「濃く」なることだけを目的として、
作られているのではないか?という錯覚を引き起こす。
それほどに「九州とんこつラーメン」は、
「濃い」ということに特化したラーメンである。

逆に日本のラーメンの中で、もっとも「薄い」ものはどれか?
「薄い」という表現がマズいというのであれば、
もっともあっさりしているラーメンは?ということになる。
そしてこれは全くの独断になるのだが、
自分の知る限り、もっともあっさりしているラーメンは、
株式会社イトメンが販売しているインスタントラーメン、
「チャンポンめん」ではないかと思う。
この「チャンポンめん」に関しては、
以前にこのブログでも取り上げたことがある。
我がたつの市にて作られているインスタントラーメンで、
たつの市民にとっては、
ソウルフードともいえるラーメンである。
この「チャンポンめん」は、パッケージにも書いてあるように、
本当にあっさりとしている。
秘密は、その原材料にある。
「チャンポンめん」には、
一切の動物性の油脂が使われていないのである。
鶏ガラや豚骨などを煮出していれば、
当然、その成分中に動物性の油脂が含まれることになるのだが、
これらが一切含まれていない。
これが、独特のあっさりとした味わいを作り上げている。

自分は、福岡の大学に入学したことにより、
この日本でもっとも「あっさり」したラーメンから、
日本でもっとも「こってり」したラーメンへと、
味覚を対応させなければならなかった。
タイトルにある通り「特薄→特濃」を、
その身で体験することになったのである。

大学に入学し、福岡に行く以前、
自分にとって「ラーメン」といえば、「チャンポンめん」だった。
もともと、播磨地方には「これ」といえるほど
地方色の濃いラーメンは存在していない。
現在でこそ、やや甘口の醤油ラーメンを「播州ラーメン」として
大々的に扱っているが、
自分の学生時代はまだそれほど一般的ではなく、
これを食べさせる店も、ごく一部にしか存在していなかった。
ラーメンブームはまだ田舎まで波及しておらず、
当時の龍野近辺にはラーメン屋自体が少なかった。
当然、ラーメンを食べるということになると、
スーパーなどで購入してきたインスタントラーメンが
主流であり、そのインスタントの中で
もっとも良く食べていたのが
「チャンポンめん」だったわけである。
福岡に行くまでの18年間、
そのような生活をしていたために、
ほぼ、「ラーメン」=「チャンポンめん」という価値観が
出来上がってしまっていたのである。

だが、福岡では「チャンポンめん」を売っていなかった。
「チャンポンめん」を売っていない以上、
ラーメンを食べたければ、他のラーメンを食べるしかない。
スーパーに行ってみても、
現地の人の嗜好を汲み取っているのか
そのほとんどが「とんこつ」ラーメンであり、
それ以外のラーメンの扱いは、かなり少なかった。
現在では全国区で販売されている、
「マルタイの棒ラーメン」なども、
当時は九州近辺でしか販売されていなかった。
(これもまた「とんこつ」である)
福岡市はかなり大きな町なので、龍野と違って
至る所にラーメン屋はあるのだが、
そのすべてが「九州とんこつラーメン」の店であり、
店の前を通っただけで、あの独特の
ケモノ臭いスープの香りが漂っていた。
当然、そんな町で大学生として生活しているのだから、
友達から「ラーメン食いにいこう」なんていうお誘いがかかる。
もちろん、付き合い上これを断るわけにもいかず、
現地の友達推薦の、ラーメン屋の暖簾をくぐることになる。
それまで「チャンポンめん」の
「あっさり味」ばかり食べていた自分にとって、
そこは魔窟というしかない場所であった。

友達に倣って注文し、やがて出てきた丼の中に入っていたのは、
自分がそれまで体験したことのない「ラーメン」であった。
丼にタップリと入ったスープは、
これでもかというくらいに白濁しており、
スープの中に入っているはずの麺の姿が見えない。
表面には分厚い油膜が張っており、
このラーメンを食べる限り、避けて通ることが出来ない。
丼と一緒に出されたレンゲで、スープをひとすくい飲んでみると、
イヤというほど濃厚な豚骨の味わいに、こってりとした脂の味。
それまでに自分の抱いていた「ラーメン」のイメージを
粉々に打ち砕くものであった。
とても食べきることが出来ず、
結構な量の麺を残してしまうことになった。
もちろん、スープの方もなみなみと残っている。
その横で、九州出身の友人たちはウマそうにそれを食べ、
あまつさえ、「替え玉」という麺のお代わりまでしてみせた。
(今ではどこでもやるようになった「替え玉」だが、
 当時、これを行なっていたのは九州のラーメン屋のみであった)

全員、ラーメンを食べ終わり、店を出たのだが、
そのとき友人たちが言った言葉が忘れられない。
「ここのラーメン、こってりしとらんかったね」
恐ろしいことに、生粋の九州人たちの舌には、
この店のラーメンでは「濃厚さ」が足りなかったというのだ。
そのときほど、エラい所に来てしまったと思ったことはない。

だが、4年間という時間は人間の味覚を変える。
そんな人間たちを育てた「九州」という土地で、
そんな人間たちを育てた食べ物を食べ続けているうちに、
味覚は徐々に変わっていった。
いつの間にやら、全く平気な顔で
「九州とんこつラーメン」をすすり、替え玉を注文し、
白濁したスープをすっかり飲み干してしまうほどに、
九州の味に馴染んでしまったのである。

大学を卒業し、龍野に返ってくると、
今度は「九州とんこつラーメン」が食べたくて
どうしようもなくなった。
地元のラーメン屋に入り、「とんこつラーメン」を注文するものの、
出てくるラーメンはまるで濃厚さが足りない。
表面に分厚い油膜が張ることもなければ、
丼の底に「澱」が沈んでいることもない。
ただ、スープの色が白いだけのラーメンであった。
4年間の大学生活のうちに、自分の味覚はすっかり
九州人の「それ」になってしまっていたのである。

この後、地元で生活するうちに、
味覚は再び「こちら」のものに変わっていった。
人間とは、どこまでも適応してしまう生物のようだ。
もっとも「あっさり味」のラーメンから、
もっとも「コッテリ味」のラーメンへ、
そして再び「あっさり味」のラーメンへと、
自分の好みは恐ろしいほどの振り幅で変化した。

だが、今でもたまに、あのコッテリとした
本場九州の「とんこつラーメン」を食べたいと思うことがある。

食べきれるかどうかは、わからないが。

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