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セミたち〜その2

更新日:

By: t-mizo

前回、自分の子供時代、
身近に生息していた蝉について書き、
その見分け方、目標の定め方までを書いた。
今回はそれ以降、実際に蝉を捕まえるための
あれこれについて書いていく。

目標が決まったら、いよいよ捕獲だ。

と、いっても特別なことをするわけではない。
手を蝉の上へとかぶせるようにして、蝉を捕らえるだけだ。
ここでは何よりも、正確さと素早さが必要になる。
もちろん、蚊を叩き潰すわけではないのだから、
蝉を潰してしまわないように、力を加減しなければならない。
だが、何匹も蝉を獲っているうちに
あまり素早さが必要ないことに気付いた。
もちろん、最低限の素早さはいるが、
何より大事なことは、蝉を捕まえようとする瞬間、
捕まえたいという気持ちを無くすことによって、
驚くほどのんびりとした動きでも、
蝉を捕らえることが出来る。
いわば、殺気を消すとでもいうのだろうか?
それに成功すれば、かなりゆっくりとした動きでも
蝉を捕まえることが出来る。
事実、これを覚えてから、蝉を捕まえる数は格段に増えた。

しかし、そうなってくると、
さらに多くの蝉を捕まえたくなるのが人間である。

これまでのやり方だと、
数匹とまっている蝉の中から1匹捕まえると、
残りの蝉たちは全て逃げ去ってしまう。
そうなると、しばらく時間を置いて
再びセミたちが桜の木に戻ってくるのを待たなくてはならない。
もうちょっと効率を上げたい、という小さな子供(自分)は
妙な技を編み出した。
二刀流である。
何のことはない、右手と左手、両方の手でそれぞれ1匹ずつ、
同時に蝉を捕まえれば、蝉を捕まえる能率は2倍になる。
一見、凄く難しいことのように思えるが、
実際にやってみれば、かなりの高確率で成功した。
気配さえ上手く消していれば、
蝉を2匹同時に捕まえるのも、そうそう難しいことではない。
これが出来るようになり、
セミ獲りの効率はさらに上がった。
2倍とまではいかないものの、それまでのやり方より
1.5倍以上、捕獲数は増えたのである。

だが、人間の欲望にはキリがない。

二刀流の成功率がある程度高くなると、
なんとかして、1回に3匹の蝉を捕まえられないかと
考えるようになった。
蝉が2匹、凄く近い位置にいる場合は、
片手でその両方を押さえることにより、
1回3匹の捕獲があったが、
これを成功させるためには、蝉の配置が全てである。
あくまでも偶然の機会を待つしかない。
しかも2匹同時に押さえようとするため、
どうしても掴み損ねが多くなり、失敗することも多かった。
そうなると、もっと根本的な所から考え直すしかない。

そもそも、蝉を1匹捕まえた際、
他の蝉が逃げてしまうのは、桜の木に衝撃が走るためである。
それが他の蝉を飛び立たせているのだ。
だとすれば、桜の木に衝撃がいかないほどソフトに、
柔らかなタッチで蝉を取り押さえれば、
他の蝉が飛び立つことはない。
そう考えた自分は、出来る限りソフトなタッチで
蝉を取り押さえることを心がけた。
蝉を捕まえるためには、
どうしてもある程度のスピードが必要なため、
これはなかなか難しかったが、
小さな子供にはいくらでも時間がある。
毎回ソフトタッチを心がけているうちに、
木にほとんど衝撃を与えず、
蝉を取り押さえることが出来るようになった。

そうなると、いよいよ蝉獲りがはかどるようになった。
全く何事もないように木に近づき、
下の方にとまっている蝉から、次々と取り押さえていく。
もちろん、ソフトタッチの二刀流である。
捕まえた蝉をプラスチックの虫かごに入れ、
さらに次の蝉を取り押さえる。
それを繰り返すことによって、
1回に4〜5匹以上、蝉を捕れるようになった。
時代小説などを読んでいると、
厳しい修行の果てに、剣理に開眼する場面が出てくるが、
子供時代の自分も、果てしない創意工夫の末に、
蝉獲りの理に開眼したのかも知れない。

それ以降は毎日、蝉獲りに邁進していたのだが、
ある日、1日でどれくらいの蝉が捕れるのか
試してみたくなった。
朝からこまめに桜の木に通い、せっせと蝉を捕り続けた。
小さなプラスチック製の虫かごは、
あっというまに蝉でいっぱいになり、
すし詰め状態になってしまった。
さすがにこれ以上、蝉を捕るわけにもいかない。
捕まえた蝉を放すべく、外で虫かごのフタを外すと、
虫かご一杯に詰まっていたセミたちが、一斉に飛び去っていった。
それはなんともいえないほど、不気味な光景で、
捕まえた本人でさえ、あっけにとられてしまった。
母親や妹などが「あれ」を見ていたら、
ギャーッと、悲鳴を上げていただろう。

不思議なことに、それ以降、全く蝉を捕らなくなった。
あれほど燃やしていたはずの情熱は、
虫かごの中から一斉に飛び立つ蝉を見た瞬間、
きれいに消えてなくなってしまった。
どうして、こんなことに血道を上げていたのだろう?
そういう風に考えると、何となくシラケてしまったのである。
蝉が良くとまっていた桜の木にも行かなくなり、
虫かごも使うことが無くなった。
それ以降は、ほとんど蝉を捕まえた記憶がない。
すぐ近くにいる場合に限り、ひょいと捕まえて、
ひとしきり鑑賞した後、放してやる。
それだけである。

小学校の高学年ぐらいになると、
カブトムシやクワガタムシを捕るのが、周りで流行っていたが、
こちらには蝉のときほど、のめり込むことはなかった。
こちらの方には、蝉を獲るときのような
のるか、そるか、というような緊張感がまるでない。
自分には向いていないのだ。

蝉獲りをしなくなり、その内に借家住まいが終わり、
少し離れた場所へと引っ越した。
そして、ある日、その桜の木のあった近くを通ると、
木はいつの間にか切り倒され、無くなってしまっていた。

あれから何十年かたち、蝉も随分と少なくなってしまった。
今でも蝉を見つけると、捕まえてみようかと思うのだが、
あのころほどの技のキレも、もう無くなってしまっている。

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