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食べ物

アンコ

投稿日:

歳を取って、味覚の好みが変わるということは、良くある。

子供の頃は食べられなかったもの、嫌いだったものが、

大人になって気がつくと、普通に食べられるようになっていた

などというのは、心当たりのある人も多いのではないだろうか?

これは別に大人になって味覚が成長した、というわけではなく、

逆に味覚が鈍くなった為だという。

子供の頃は味覚が鋭敏で、わずかな渋み、苦み、臭みなどに敏感に反応して

いたものが、歳を取り、味覚が鈍くなることによって、

これらを感じにくくなってくる、ということらしい。

もっとも、人が食べ物を嫌いだという現象は、何も味覚だけが原因で

発生しているわけではない。

口当たりの良くないもの(感触、触覚)、見かけが受け付けないもの(視覚)、

さらには精神的なものまでが原因となって、人は食べ物を嫌いになる。

味覚は歳とともに変化するが、

これらは歳とともに変化するというものでもないだろう。

自分の周りにも、いろいろなものが嫌いだという人間がいる。

昆布が苦手だという人間は、あの感触がだめだと言い、

魚介類がだめだという人間は、とにかくだめだと言う。

ウズラの卵がだめだという人間は、昔ウズラを飼っていたからだと言う。

どの例を見ても、味覚そのものでだめ、というものはなく、

食感や、精神的なものが大きく関係している。

自分の場合、子供の頃、驚く程たくさんの嫌いな食べ物があったが、

どれも味覚によっていたのか、年が経つに連れて嫌いなものはなくなった。

嫌いなものがなくなった、と言った。

そう、嫌いではなくなったが、特別に好きになったというものも、何もない。

普通に、美味しく食べることができるようになった、というだけである。

唯一の例外がある。

お汁粉(缶)だ。

お汁粉(缶)というのは、おかしな表現だ。

なんだ(缶)って。

そう思った人のために解説すると、自動販売機のホットドリンクのコーナーの

端っこに、肩身が狭そうにしている、恐らくは不人気商品。

大手メーカーの自動販売機だと、商品のラインナップに入っていることすら

ほとんど無い、哀れな和風ホットドリンクである。

もともとお汁粉自体は嫌いではない。

イベントなどで振る舞われていたり、お袋が家で作ったりすると

結構何杯もおかわりをしていた。

だが自動販売機に入っているお汁粉(缶)だけは別だった。

あれはひどく嫌いだった。

今、冷静に考えてみれば妙な話だ。

振る舞いや自家製のお汁粉と、お汁粉(缶)は、

味わいに明確な差があるわけではない。

両方ともゆで小豆と砂糖の味である。

あえていうならば、振る舞いや自家製のお汁粉の中には餅が入っていた

くらいであろうか?

だが冷静に考えてみると、この餅の存在がそれほど決定的な差だとは

決して思えない。

お汁粉(缶)はもともと自動販売機のラインナップの中にあって、

購入候補の中に入っていない商品だった。

清涼飲料水、コーヒー、紅茶、ココア、お茶等々は

購入する際に取捨選択されたが、お汁粉(缶)は

そこに入ってくることすらなかった。

それが現在、そこにあれば迷わず購入する程に重要な位置にある。

お汁粉(缶)の価値は、まさに暴騰したと言っていいだろう。

何故そんなことが起こったのか?

これを理論的に考えていく上で、決して避けることができないのが

自分とアンコとの関係だろう。

お汁粉は水とアンコでできている。

原材料的には、極めてシンプルな飲み物だ。

自分とアンコはどういう関係なのか?

今までの人生における、自分とアンコの関係は極めて良好だった。

自分はアンコに対しては概ね好意的であったし、

アンコとの関係がこじれる、などというトラブルもなかった。

自分と食品としてのアンコは、長らく平和にやってきた。

アンコ。

ここで言うアンコとは、小豆あんのことを指す。

小豆あんは小豆をゆでて砂糖を加え、すりつぶしペースト状にしたもので

主に和菓子を始めとする、菓子類に多く使われている。

大きく粒あんとこしあんに分けられる。

白あん、うぐいすあん、などいうものもあるが、これらは白インゲン豆や

空豆などが原材料になっていて、小豆あんとは一線を画している。

一部、白小豆を原料をした白あんもあるが、極めて少ない。

小豆あんは、赤あん、小倉あんなどとも呼ばれる。

原材料の小豆だが、現在では国内産のほとんどは北海道で作られている。

よく「大納言」といわれるが、これは小豆の種類ではなく

5.5mm以上の粒の大きさの揃っているものを言う。

アンコの身の上にも不審な所はない。

が、自分とお汁粉(缶)とは、近年急激に蜜月の仲になった。

あのねっとり、ほっくりとした甘ったるさが、心地よい。

190ml缶だけでなく、350ml缶や500ml缶で飲んでみたいとさえ、思う。

さて、これをどう解釈すべきであろうか?

自分の内に潜む、食の嗜好という不思議は、

いくら考察しても明確な答えを出すことができない。

まさしく、謎である。

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