前回、夏の飲み物ということで、カルピスについて書いた。
今回も同じように、夏の飲み物、「甘酒」について書いていく。
いや、「甘酒」って、冬のものじゃないの?
という風に考えている人も、多いと思う。
実際、冬場に暖かい甘酒を、フーフー冷ましながら飲むのは、
一種の風物詩といっていい。
たつの市で、毎年1月に行なわれる、消防署の出初め式でも、
甘酒の振る舞いが用意されている。
だが、焼きそばや、焼き牡蠣などが振る舞われている中で、
甘酒の振る舞いは、いまいち人気にかけるようだ。
焼きそばなどが、100m以上の大行列に並ばないといけないのに対して、
甘酒はほぼノータイムで受け取ることができる。
それどころか、毎年わりと余り気味でさえある。
甘酒の振る舞いに並んでいる人を見ると、圧倒的に高齢者が多い。
というより、若い人がいない。
子供に至っては、ほぼゼロである。
よくよく考えてみれば、自分も子供のころは甘酒が嫌いであった。
あのドロリ、もったりとした味わいは、正直、子供に好まれるものではない。
かといって、いい歳した男が、嬉しそうに飲むものでもない。
実際、周りを見回してみて、甘酒を嬉しそうに何杯も飲んでいた男というのは、
自分くらいで、他は圧倒的に女性が多かった。
そう考えてみると、わりと女性受けする飲み物なのかもしれない。
長々と冬場の甘酒について書いたが、本来、甘酒は夏のものである。
俳句の世界でも「甘酒」というのは、夏の季語になっている。
夏に飲む場合は、栄養補給を目的としている場合が多く、
夏バテを防ぐための、一種の栄養ドリンクであった。
甘酒には、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6、葉酸、食物繊維、
オリゴ糖、アミノ酸、ブドウ糖などが含まれている。
この中でも、ブドウ糖は特にたくさん含まれており、
成分的には、栄養剤の点滴に酷似している。
そのためか「飲む点滴」といわれることもある。
江戸時代の夏には、この甘酒を売り歩いており、非常に人気があった。
もちろん、暖かい甘酒ではなく、冷やした甘酒だ。
値段は1杯4文。
かけそばが1杯16文であるから、かなりの安価である。
この値段は、幕府によって制限されており、4文以上とることができなかった。
これは、江戸の庶民が、誰でも購入できるようにという、配慮であった。
それほど、夏場の甘酒による栄養補給は、かかせないものであった。
甘酒の歴史は古い。
もともとは中国の酒であり、周の時代にはすでに存在していた。
もちろん、現在のものと同じように、アルコール分はほとんど含まれていない。
一種の、祭祀用のお酒だったようだ。
これがいつ、日本に伝わってきたのかは、はっきりしないが、
第15代・応神天皇のころには、すでに存在していた。
「日本書紀」の中に、応神天皇が吉野に行幸した時に、
古代大和の先住民が、「醴酒(こざけ)」を献じた、という記述がある。
なぜ、先住民がこれを作っていたのか、疑問は残るが、
これが我が国の文献に出てくる、もっとも古い「甘酒」の記録である。
甘酒の作り方は、大きく二通りある。
麹を使う方法と、酒粕を使う方法である。
麹を使う方法では、粥にコメ麹を加え、一晩かけて発酵させる。
これにより、デンプンを糖化させ、甘味を得る。
別名「一夜酒」とも言われ、酒造業者が夏場の副業に作っていた。
酒粕を使う方法は、簡単だ。
酒粕をお湯に溶いて加熱し、そこに砂糖を加えて甘味を出す。
これで完成である。
これに生姜などを加える場合もある。
奈良時代の歌人、山上憶良が「糟湯酒」と書き残したものが、
このタイプの甘酒の元になったと思われる。
もちろん、酒としてはかなり最低の部類に入り、アルコール度数も低い。
と、いうより、酔えるレベルのものでは無いだろう。
おまけに砂糖も入っていないので、甘味も無い。
あくまでも、酒の模造品であった。
現在では、甘酒も缶入りのものや、ペットボトル入り、瓶入り、
レトルトパウチされたものなどが販売されている。
昔は冬場を狙うようにして、販売されていたが、
現在ではほぼ通年販売しているだけでなく、
夏場には冷やした甘酒も販売している。
ちょうど江戸時代に、戻ったような格好だ。
これから暑くなれば、だんだん体力も落ちてくる。
そういう時、ジュースや麦茶などではでなく、
よく冷やした甘酒を試してみてはどうだろうか?
夏バテしている体に、案外、よく効くかもしれない。