夏の飲料、と聞いて一番最初に思い浮かぶのは、麦茶である。
これは夏になると、常に冷蔵庫の中に常備されていた。
暑い時期、喉が渇くとめいめいが冷蔵庫を開けて、渇きをいやした。
これは大人も子供も同じである。
この麦茶より、ランク的に上だったのがカルピスだ。
夏になると、どこからかお中元というものが届く。
運がよければ、そのお中元の中にカルピスがあった。
ビール瓶ほどの大きさの、原液の入った瓶が左右の両端に2本、
これは青の水玉模様の包み紙に、包まれていた記憶がある。
間のスペースには、オレンジ味のカルピスとかの、
変わり種の瓶が何本かあったと、記憶している。
これが届くと、子供心がときめいたものだ。
このカルピスの瓶が、麦茶の横に鎮座していた。
麦茶については子供の自由裁量で、飲むことができたが、
カルピスについては厳しい管理がしかれていた。
これを飲む時には、母親の厳正な監視のもと、
兄弟のカップに等量の原液が入れられ、水が加えられ、氷が入れられた。
大概の場合、やや薄めであった。
カルピスは、最後まで自由裁量にならないまま、その姿を消した。
今回は、その感慨も込めて、「カルピス」を取り上げてみたい。
現在の子供達は、カルピスに原液があることを知っているのだろうか?
うちの甥っ子もカルピスウォーターが大好きで、
うちに遊びにくる時には、1.5ℓ入りのペットボトルを買ってきて、
これをがぶがぶと飲んでいる。
すでに世の中では、カルピスウォーターの方がメジャーになり、
瓶入りの原液というのは、忘れ去られた存在になっている。
実は現在でも、カルピスの原液というのは売られている。
ホームページで見る限りでは、原液もペットボトル入りになっているようだ。
ギフトセットなどを調べてみても、すでに紙包みの瓶は無いようだ。
青い水玉模様のペットボトルを見ると、時代の移り変わりというものを、
感じさせられる。
とはいえ、やはり現在の子供も、カルピスのギフトセットが送られてくると、
心をときめかせたりするのだろうか?
カルピスが生まれたのは、大正8年(1919年)のことだ。
この年の7月7日、日本初の乳酸菌飲料カルピスが発売された。
実に95年の歴史があることになる。
僧侶出身の三島海雲が、これを作り出した。
彼は大陸に渡り、騎馬民族が飲んでいた酸乳(ジョッヘ)に出会う。
これは、搾った乳を静置し、分離させることによって作られる。
静置された乳は、濃厚なクリーム部分と、脱脂乳に分離する。
このクリーム部分が、ジョッヘである。
分離させている間に、乳酸発酵が進み、クリームはサワークリームになっている。
このジョッヘにヒントを得て、カルピスは作り出された。
カルピスは、このクリーム部分ではなく、脱脂乳の方を、
乳酸発酵させることによって作られている。
生乳からクリーム分を取り除き、残った脱脂乳に菌を入れて発酵させる。
この菌を「カルピス菌」という。
この時、取り除かれたクリーム部分からは、バターなどが作られる。
発酵の進んだ発酵乳に、砂糖を加え、さらに発酵させることにより、
我々のよく知っている、カルピスの原液が出来上がる。
「カルピス」という名前は、サンスクリット語の「サルピス(熟酥)」と
「カルシウム」をあわせて作られた。
サンスクリット語を使っているところが、僧侶出身の三島海雲らしい。
「カルピス」以外にも、いくつか候補をもって、
音楽家の山田耕筰に相談したところ、響きが良いということで、
「カルピス」に決まった。
スタジオジブリの映画で、「火垂るの墓」という作品がある。
この中の、主人公兄妹の回想シーンで、母親が子供に「カルピスがある」
というような台詞があった。
初めてこの映画を見たときは、カルピスはこのころからあったのかと、
驚いたものだ。
実は、戦時中、軍用カルピスというものが、存在していた。
陸軍から資材や原料の提供を受け、兵隊達の健康飲料として作られた。
そういえば、あの戦艦大和の中には、ラムネを作る機械が積み込まれており、
乗組員達は、ラムネを買って飲むことができたという。
陸軍のカルピスに、海軍のラムネ。
ラムネの方は、嗜好品的な要素が強いが、
カルピスの方には、その健康効果を期待しているような節がある。
カルピスの原液は、その濃さのために常温でも長く保存できる。
その点も、軍隊が携行するのに向いていた。
ちなみに同じ軍隊でも、アメリカ軍の場合は、
戦場へコカコーラを持ち込むことによって、兵達の士気を維持した。
戦うものにとって、甘い飲み物というのは、一種の癒しになるのだろうか?
自分が大学に入ったころ、カルピスウォーターが発売された。
カルピスを水で割るのを、面倒がる人なんかいない、という意見があったが、
実際に販売されてみると、驚くほどの大ヒットになった。
どうも皆、カルピスを水で割るのを、面倒だと思っていたようだ。
一度カルピスウォーターに慣れてしまうと、もう原液には戻れない。
人類は、一度楽な方法を知ってしまうと、二度と不便なころには戻れない、
という言葉を聞いたことがある。
自分は、これをカルピスで思い知ることになった。