今では信じられないかもしれないが、
昔、あのTVアニメ「サザエさん」は週2回放送だった。
ひとつは日曜午後6時30分。
これは、現在でも続いている放送枠である。
当時はスポンサーが東芝一社だけであり、他のスポンサーはなかった。
もうひとつは火曜午後7時の枠である。
実はこれは再放送であり、正式には「マンガ名作劇場 サザエさん」という
のが正式なタイトルであった。
再放送といっても、ありきたりのものではなく、
オープニングとエンディングは新録であり、本編とは全く違った歌が流れていた。
そのエンディングの中に、こんなフレーズがあった。
「ニシンが3匹、ドンブラ、ドンブラ、ドンブラコ」
なんせ相当子供のころの記憶なので、間違いがあるかもしれない。
これが自分と鰊の、初邂逅であった。
今回は、この「鰊」について書いていく。
「鰊」と書いて、「ニシン」と呼ぶ。
先に、「サザエさん」のエンディングの歌詞において、
登場していたことを書いたが、当時すでに鰊というのは一般的な魚ではなかった。
もちろん、現代においてはなおのことである。
小さな子供に限らず、結構な年齢を重ねている人間であっても、
鰊のことを知らなかったりする。
仮に知っていたとしても名前だけ、あるいは京都名物「鰊そば」や、
身欠きニシンの名前程度だろうか。
お正月の名物「数の子」は、実はこの鰊の卵である。
「数の子」の名前通り、子孫繁栄の願いが込められている。
多産の魚であり、かつては現在では考えられないほどの、漁獲量があった。
天明8年(1788年)、幕府巡検使に随行して北海道に渡った古川古松軒は、
その著書「東遊雑記」の中で、松前の漁民について
「春三月の間に、およそ100日鰊を取り、一年中暮らし方の代とし……」
とある。
つまり春先3ヶ月の漁獲で、1年分の収入を得ていたのだ。
松前藩では「鰊役」を設け、藩の重要な財源である鰊を管理していた。
幕末ごろにおいては、北海道の全漁獲量のうち、実に70%を鰊が占めていた。
これらが日本海を航行していた輸送船「北前船」によって、全国にもたらされた。
このころの鰊のうち、食用にまわされていたのは全体の2割で、
残りの8割は油を搾り取った後、魚肥として畑に使われていた。
この魚油は灯りなどに使われており、
よく「化け猫が行灯の油をなめる」といわれるのは、それが魚の油だからである。
搾りかすの魚肥も、畑に取っては最高の肥料であり、
これを使うのと使わないのとでは、その生産高に大きな違いが出た。
主に綿花の栽培に使われることが多く、
江戸時代の綿花栽培は、鰊、鰯をはじめとする、魚肥が支えていた。
魚肥としては、鰊は鰯よりも安価であった。
いかに漁獲量が多かったかが、その一事からもうかがえる。
明治期の最盛期には、1年間に100万tちかくの水揚げ量があった。
北海道では、鰊漁で財を成した漁師による「ニシン御殿」が建ちならんだ。
もともとは富山沖から秋田沖にかけてが、その漁場であったが、
時代とともに北上していき、最終的に北海道沖にうつった。
明治以降、戦前まで鰊の年間水揚げ量は、日本の魚種のトップであった。
ところが昭和28年(1953年)から、漁獲量の減少が始まり、
昭和30年には漁獲量は5万tにまで、激減した。
最盛期と比べると、まさに激減というしかない数字であるが、
現在の漁獲量は4000tほどである。
激減時の数字から比べても、さらに10分の1以下に減っている。
これもまた激減といっていい数字だ。
4000tという漁獲量では、鰊が市場に出回らないのも無理の無い話だ。
かつて日本の漁獲量No.1であった鰊は、今やその名を知る人も少ない、
希少魚のようになってしまった。
なぜ、鰊はここまで激減してしまったのか?
単純に考えて、もっともそれらしい原因は人間による乱獲であろう。
日本人は、いろいろな魚を、乱獲によって激減させてきた。
この件に関していえば、日本人は過去に学ぶ事が少なすぎるだろう。
しかし鰊に関しては、単純に乱獲のせいだけではない、とする説がある。
現在有力視されているのが、海水温の上昇説である。
鰊は、オホーツク海をはじめとする、冷水域を好む魚なので、
地球温暖化が叫ばれている現代では、それなりに説得力がある説だ。
しかし詳しい原因は、現在でも、わかってはいない。
恐らくは、乱獲、海水温の上昇、単体での原因ではなく、
複合的な原因があるのではないかと思われる。
かつては全漁獲量の80%が魚油や、魚肥として使われていたと聞くと、
鰊というのは味の悪い魚ではないか、と考えがちであるが、
実は極めて美味しい魚だ。
もともと冷蔵・冷凍保存技術の無いころから、大量に獲られていたので、
身欠きニシン(干物)、数の子(塩蔵)に加工されて運ばれた。
身欠きニシンは山間部においては、重要な食材であった。
生のまま輸送する技術ができると、塩焼きやフライなどの調理にも
使えるようになったが、肝心の鰊自体が少なく、食べる機会は少ない。
現在流通している鰊は、そのほとんどが海外からの輸入物である。
「ソーラン節」という歌がある。
結構、有名な歌であるが、もともとは鰊の沖揚げ音頭であった。
網にかかった鰊を、ヤン衆と呼ばれる漁師たちが引き上げる時に歌った歌である。
現在では歌だけが残り、鰊の方は忘れ去られている。
かつては日本で一番獲れていた魚、鰊。
現在では、その名を知っている人も減ってきている。
いつか再び、鰊が復活する日はくるのだろうか?